雨傘 オサナイ
実話
芸人としての活動報告
空想
4年ほど前、沖縄に1人で旅行をしに行ったことがある。当時会社勤めをしており、仕事で溜まりに溜まったストレスを解消するのが目的だった。 那覇空港に降り立ち、よれよれのアロハシャツを着こなす現地住民とすれ違ったところから俺の旅行は始まった。 11月。この時期は気温も適温で暑さに無駄なストレスを感じることもない。かつ晴天。最高。沸き立つ高揚を抑え、ストレス解消プランを確認する。 那覇空港からレンタカーを借りて北上。首里城を闊歩し、万座ビーチで海水浴、アメリカンビレッジ
小学4年から6年までの3年間、私は野球にいそしんでいた。小学校の野球部に加え地域のクラブチームにも所属していたくらいである。かといって別にそれはプロを目指してのことではない。軟式の誰でも加入できるクラブである。なぜ加入していたかの理由すら今となっては覚えてもいない。「⚪︎⚪︎君がクラブチーム入るみたいだけど一緒に入ってみる?」おそらくそんな勧誘を母親から受けて二つ返事で頷いたのだろう。 ちなみに3年間所属したが一度もレギュラーになれたことはない。当時の私はというと、色白
僕は生まれた時から本を読み続けている。これまでに何冊読んだかなど、とうの昔に数えることを諦めた。 小高い丘にある一本の大樹が僕のお気に入りのスポットだ。ここで体育座りをし本を読むのが僕の使命である。誰に言われたわけでもない。生まれ落ちた瞬間からそう決められているのだ。僕の街には街灯がない。だから星の灯りを頼りにしている。毎日変わらない満天の星空が僕の読書を助けてくれる。 ただ一つだけ不満がある。何者かに頭を叩かれるのだ。それも必ず右側から。僕は右を向くことができない。な
ボラードに乗っているのだ、スイマーが。 ボラードとは車道と歩道の間に等間隔で並んでいるポールのようなアレである。時にはこちらに警告し、時にはさらりと景観になじみ、ほろ酔い気分の帰り路に、軽快にタッチしたくなるアレである。太さ、高さ、形状、色彩、模様、多々あれど、あれらは全てボラードである。なぜボラードの説明をしたか。私も今しがたコレの正式名称を知ったからである。 つい先ほどのことである。国道沿いのボラードにスイマーが乗っている。最寄りのコンビニから1人暮らしのマンシ
家の扉が開かない。困った。これから高校以来会っていなかったクラスメイトと久々に会うというのに、家から抜け出すことができない。 そのクラスメイトとは当時、特に言葉をかわす間柄ではなかったが、いかんせん全校生徒の数が少なかったため、卒業して10年経つ今でもその顔だけは記憶の片隅に残ってしまっていた。3ヶ月前に偶然、地下鉄銀座駅のホームで再会し、 「あー!」 「え?久々じゃんー!」 「えーびっくりー!全然変わってないじゃんー!」 「ほんと!ほんと!え、今何してんのー!?
駅前で待ち合わせをしていると、目の前に置いてある二つ口のついたゴミ箱が目に入る。家庭用洗濯機ほどの大きさだ(ドラム式の洗濯機を想像したあなたは富裕層である)。それぞれの口の下に文字が書いてある。 『生きているゴミ』 『生きていないゴミ』 ゴミを生命の有無で分別したことなど生まれてこのかたありゃしない。そもそもゴミに命なんてないから全て等しく『生きていない』のではないか。ちなみに『死んでいる』ゴミではなく『生きていない』ゴミとあえて否定系で記載しているのはコンプラを
芸歴2年目としての活動がもう少しで終わるわけだが、今年1年を振り返っても、激動の日々もなければ明確な成長を実感した瞬間もなく、おそらく芸人というのはほとんどの人が毎年変わり映えのない日々を送っているわけで、M-1グランプリの準決勝に進出した漫才師(芸歴15年目以下の漫才師のTOP30!)でさえ、準決勝で敗退した際に「あぁまた同じ1年を繰り返すのか」と年の瀬に意気消沈してバイト先へ向かっていくような世界である。 そんな世界にいると、お笑いという世界に身を置かない人から「地
みんなクリスマスってどう過ごしているんだろう。自分はというと、実家にいた時は自家製のパエリアとケンタッキーのチキンがテーブルに並び、ラジカセから流れるクリスマスソングをBGMに家族で食卓を囲むのが常であったが、実家を出て一人暮らしを始めてからは、からっきし行事行事したことは行っていない。過去10年分のカレンダーを見返してみたが、クリスマスの日に予定が書き込まれていたのは2013年の自動車教習と、去年のライブ手伝いだけであった。それ以外は他364日となんら変わらない一日を過ご
「やめぇろぉやぁ!男の標準語キモいんじゃボケェ!」 滑らかな巻き舌で高圧的な罵声を浴びせてくるのは、大阪生まれ大阪育ち野球部出身19歳の男だった。大阪のとある予備校の教室でふいに怒号をくらった俺の心情はというと、『男の標準語の何がきもいのよ』5割、『関西人は怖いと聞いてはいたけどほんとに怖いんかい』3割、『こいつ巻き舌うまいな』2割だった。 生まれてから18年間を青森で過ごした後、故郷を飛び出して大阪の予備校に通うことになった俺は大阪での使用言語の選択を迫られた。①
自分は楽観的な性格だという自負がある。深夜に鍵を失くして家に入れなかった際は公園で一晩中ブランコに乗って靴飛ばしの飛距離を更新してきたし、会社でミスを犯した時も一晩寝るだけでテンションはいつも上向きに戻っていた。ただ、そんな自分が一晩の睡眠では拭えない程の不安に襲われた経験が幾度かある。その一つが会社員時代の120万円請求事件だ。 アシナガバチが六角形の巣穴を健気に増大させている頃(多分6月)、何の予定もなくベッドの上で胡座をかきながら何周目に突入したか分からないハガレ
何で律儀に1往復半やねん。
10/23〜11/6の2週間、白黒-1グランプリという人力舎のお笑い賞レースに参加しておりました。 ※詳細は以下の記事に記載しております 僕らのネタ動画をご覧になっていただいた方々、ご協力本当にありがとうございました。 結果はというと、6位で決勝進出ならずでした。 (上位3組が決勝進出) 動画を人より多く見てもらうのって難しいですね。自分自身何か結果を残していたり、人に見てもらう魅力がないと再生してもらうのは難しいなと実感しました。 えー訴求力の話をする
八身上の都合により、勝手ながら退職いたします。
おじさんはふいにやってくる。終わりを告げにやってくる。どこからともなくやってくる。スクリーンの中か、マジックバーでしかお目に掛かることのないシルクハットを被りやってくる。 現れる場所はジャンルを問わない。恋人とのデート現場、エレクトリカルパレード、漫才師の舞台中、どんな場所へもやってくる。 フィナーレおじさんはみんなの嫌われ者。だって高揚感に満ち溢れた気持ちを一気に転落させるから。フィナーレのタイミングはこちらで決めさせてくれ。皆一同におじさんのフィナーレ宣言に忌々
社会人生活の火蓋が切られた4月。平日のとある日の朝5時3分に俺はスーツを着てダッシュしていた。目的地は最寄りの西小山駅。 始発である05:05発の電車に乗り込むためだ。 別に遅刻を恐れていたわけではない。家から会社へは電車で40分弱。その時は研修期間であったが、研修の開始時刻は9時ジャスト。街中で困ってるおばあさんを5人助けても、まだ遅刻の言い訳にできないほどのゆとりがある。 かといって別に今後待ち受ける闘争に備え強靭な下半身を手に入れようとしていたわけでもない
誰しもがお世話になってるそんなボタン。 10円玉より多い頻度であなたの指を接触させているそんなボタン。(スマートなあなたは圧倒的に接触させているだろう) 人差し指で(片手派のあなたは親指)で懸命に押し、反応しない時は温厚なあなたもさざなみ程度に気が立ってしまうそんなボタン。 正式名は『全画面アイコン』 一方で全画面を終了させるアイコンは、怒りマークとして長らくの間市民権を得ている形状である。 こちらの正式名は『全画面表示終了アイコン』 思いついたので被ってみ