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ありがたい言葉

 小学4年から6年までの3年間、私は野球にいそしんでいた。小学校の野球部に加え地域のクラブチームにも所属していたくらいである。かといって別にそれはプロを目指してのことではない。軟式の誰でも加入できるクラブである。なぜ加入していたかの理由すら今となっては覚えてもいない。「⚪︎⚪︎君がクラブチーム入るみたいだけど一緒に入ってみる?」おそらくそんな勧誘を母親から受けて二つ返事で頷いたのだろう。

 ちなみに3年間所属したが一度もレギュラーになれたことはない。当時の私はというと、色白かつ細身で眼鏡着用、運動神経も平均程度。バッターボックスに立つと、その姿をみてピッチャーが油断する"いかにも"なルックスであった。なぜこうもユニフォームが似合わないのか、鏡の前で何度も自問自答したものである。

 そんな私だが、なぜかスクイズの技術だけ周りよりもわずかばかり秀でていた記憶がある。スクイズとは、ランナーが3塁にいる際、ピッチャーが投げると同時に3塁ランナーがホームに向かって走り、バントを成功させることでランナーをホームに返す戦術である。通常の送りバントとは違い、バッターはボール球がきてもバントを成功させないといけない。そんなスクイズがなぜだか得意であった。スクイズ要員として試合で代打に送られたこともあるほどだった。スクイズという何十試合に一度出番があるかないかくらいの希少な技術が得意というただその1点で、自分のプライドを保っていた気がする。

 ただそんなクラブチームの活動にも終わりが来る。6年生になり最後の引退試合で審判がゲームセットを告げる。当然レギュラーとして出場することはなく、交代で出場したかどうかの記憶すら曖昧である。引退試合といえど、いつものことなので特に悲しい気持ちも込み上げなかった。

 相手チーム、そして応援してくれた父母会へ挨拶を済ませた後、泣きじゃくるメンバーを監督が集め(私はカラカラである)、グラウンドの脇で輪となって座り、引退する一人一人に監督がありがたい言葉を投げかけるお決まりの式が例に漏れずうちのチームでも執り行われた。

 「まずキャプテン!」
 監督が叫ぶ。キャプテンが腰を上げ輪の中心へと歩く。

 「この1年間キャプテンとしてみんなを引っ張ってくれてありがとう。プレッシャーもあっただろうが、負けずによく頑張ってくれた。」
 そんな類のことを言っていた気がする。キャプテンはボロボロに泣きながらありがたい言葉を受け取り、輪の空席へと戻っていく。

 その後も、監督が叫び、輪の中心へ呼ばれ、言葉を受けとり、再び輪に収まる。このサイクルが続いていく。レギュラーメンバーから順に声をかけられるため、自分は後半、しかも後ろから3番目くらいの出番だった気がする。果たして自分はどんなありがたい言葉をいただけるのだろうか。他人に向け語られる言葉などさして興味はない。その時間は自分へ数分後に送られるであろう言葉を予想するシンキングタイムに費やした。

 さして活躍していないベンチメンバーへ送る言葉ランキング上位常連である「皆勤賞褒め」だろうか。残念ながらその可能性はない。体が弱く体調を崩して休むことが多々あったからだ。悲しいね。
 では「ベンチからいっぱい声出してくれたね」だろうか。いや父母会の方が声デカかった気するな。てか父母会ってなんであんな声デカいんだろ。ほんと感心する。
 まぁ順当にいくとスクイズだろう。ただ実際に試合で決めたのは3年間で3回程度であるため、監督の頭に「俺=スクイズ」という方程式が描けているか若干不安ではあった。

 シンキングタイム終了。ついに私の番である。監督に高らかに名前を呼ばれ、ユニフォームの尻についた土をペシペシ払いながら立ち上がり、みんなの視線を受けながら輪の中央へ向かう。輪の中心に立ち、監督の顔を目の前にしたところで気づいたが、正直何を言われても恥ずかしくないかこれ。プレーを褒められたとて、周囲で涙をポタポタ落としているメンバーほどチームに貢献してなどいない。プレー以外のことを褒められたとて、そら褒めるとこそこしかないよなと俯きたくなる。どうしたって決まりが悪い。ありがたい言葉を文字通りありがたいと思えるほど、負けた経験を当時の私は積めていなかった。さっさとありがたい言葉を受け取り輪に収まりたい。何なら全員分の手紙をこしらえ、一人一人取りに行くテスト返却スタイルにしてほしい。もしくは実家へ郵送してくれ。

 顔を真っ赤にし両腕をぶらんぶらんさせていると監督が逆U字型にしなったピカピカな自分のキャップを親指と人差し指でひょいとつまみあげる。ぺたんと潰れた私のサラサラヘアーが日に当たる。そして一言。



 「君に野球は似合わない。」


 嘘でも褒めろや。


 どうした疲れたんか監督さん。頭回らなかったんか監督さん。スクイズあるよー。ねぇスクイズ忘れたー?おーい。弱いけど珍しい特技持ってるよ監督さーん。

 かくして唯一ありがたい言葉をもらえなかった私は、何も未練もなく野球をやめ、中学からバスケ部へ転向した。その後別にバスケで結果を残した訳でもない。そんなもんである。

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雨傘 オサナイ
わざわざ読んでいただいてありがとうございます。 あなたに読んでいただけただけで明日少し幸せに生きられます。