男の標準語キモいんじゃボケェ
「やめぇろぉやぁ!男の標準語キモいんじゃボケェ!」
滑らかな巻き舌で高圧的な罵声を浴びせてくるのは、大阪生まれ大阪育ち野球部出身19歳の男だった。大阪のとある予備校の教室でふいに怒号をくらった俺の心情はというと、『男の標準語の何がきもいのよ』5割、『関西人は怖いと聞いてはいたけどほんとに怖いんかい』3割、『こいつ巻き舌うまいな』2割だった。
生まれてから18年間を青森で過ごした後、故郷を飛び出して大阪の予備校に通うことになった俺は大阪での使用言語の選択を迫られた。①その土地の方言に移行する、②地元の方言を貫く、③テレビで聞き馴染みのある標準語を使う。何かの漫画で得た『生半可な覚悟で練度の低い関西弁を使ったヤツは大阪からつまみ出され、最悪の場合殺される。』という雑学から、①は即座に選択肢から消された。また『関西人は田舎の珍しい方言を話すヤツを死ぬまでイジり倒し、最悪の場合殺される。』というもう一つの有益な雑学から②も消されることになった俺は、消去法で標準語を身につける羽目になった。とは言っても何から始めようか迷った俺は、とりあえず東京の象徴であるキムタクのドラマを教材にし繰り返し鑑賞することにした。
「お姉さん、暇?」
「恋愛なんてバカになっちゃっていいんじゃないの?」
「俺がそばにいてやっから」
実用性低いフレーズ使うなやと脚本に腹を立てながらも、日常生活で使えそうなフレーズが登場するたび、口に出し復唱してみた。そういえば「ちょ待てよ」は標準語なのだろうか。一瞬判断に迷ったがいつか使う時が来るかもしれないので念のため3回復唱した。(あれから10年以上経つが、まだ練習の成果を発揮する場面は訪れていない)
そこから時が経ち、キムタク仕込みの標準語を履修し終え、これで自分の身の安全は確保できたと安堵していた矢先でのこの罵倒である。そんなの先に教えといてくれや。知らんがな(今思えば「ちょ待てよ」チャンスだったが、そんな無謀な勇気などもちろん俺は持ち合わせていなかった)。ただそいつの話をよくよく聞いてみると、その怒号は決して、田舎からのそのそと首都を飛び越えてきた外様に大阪での生き方を教えてやろう、という身勝手な牽制ではなく、小学生の頃、木の棒の先につけた毛虫をうぇーいと突きつけてきた、どの地域にでもいる"あいつ"に対して皆が感じた生理的な拒否反応だそうだ。どうやら大阪の一部の人は男の標準語を聞くと寒気が走る生理現象を持っているらしい。こいつの志望校が第1志望から第3志望まですべて関西の大学だったのも納得がいった。とはいえ、大阪にきてまだ日も浅く、関西人だらけの予備校に決して馴染めているとは言えなかった自分は、まさか生きる術として必死に拵えてきたこの喋り方を否定されるとは思っておらず、狭い肩身をより縮こませることになった。
寮に帰り、俺は翌日からの使用言語を再考した。「また怒鳴られんの嫌やし生理的に無理ならしゃあない、標準語やめるか。いやいや、何であいつの都合で変えなあかんねん」(お分かりの通り心の中の使用言語は常に関西弁だった、カッコいいから)ただ、異国に渡航してきて間もない余所者に選択の余地はなく、次の日からあっさり地元の方言に戻すことにした。
予備校に通っているのは普段親しくしていた友人も含め関西出身がほとんど。何の説明もなく突如聞き馴染みのない方言を話し出す俺に、これまで仲良く会話してきた友人たちは明らかに困惑していた。そらそうだ。朝登校してきた友人が変化していて許容できるのはせいぜい髪の毛とピアスが限界である。
「あ、この方言?ノリで変えてみたー」に対して「似合ってんじゃん。」とノータイムで返せる人がいたら即座に抱きしめたほうがいい。一生の親友になれるだろう。するとそこにこのノリを生み出した元凶がやってくる。俺の話す方言を耳にしたそいつは他の友人同様明らかに動揺した表情をみせる。頼むからイジってくれるなと願うと、そいつは無言で数秒こちらをみた後にボソッと呟いた。
「えぇやん。おもろいやん。」
なぜか俺は評価された。大阪人は標準語の男を毛嫌う性質があると同時に、"らしさ"を高く評価する民族だということをそこで知った。異質なものを全て"おもろい"に変換する思考回路になっていることを知った。今あらためて思い返すと、何勝手に評価してんねんと言いたくなるが、一度突き放された後に褒められるとなぜか人は嬉しくなってしまうもので、その日から自分は余所者だという引け目を感じることはなくなった。当然殺されることもなかった。
わざわざ読んでいただいてありがとうございます。 あなたに読んでいただけただけで明日少し幸せに生きられます。