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ショートショート『野生のトーナメント』

 この山に入ってから15分ほど歩いたであろうか。時折きらりと輝く朝露が、少なく見積もっても10時間以内にこの山に雨が降り注いでいたことを示している。条件は整った。この辺りにいるはずだ。

 警戒心を一層高め、体の重心の現在地を正確に把握できるほどの速度で私は歩いた。わずか3歩ほど歩いた時点で私は自分の見積りが正しかったことを確信する。右手に見える樹齢1000年をゆうに超えるであろう大樹の脇から2本の足が間抜けに飛び出ているのが見える。


 野生のトーナメントだ。


 2本とも足が黒いことからまだ1回戦は開始していないことが伺える。私は足音を立てないよう慎重に足を運ばせる。もしこちらの存在が気付かれてしまい戦いが始まってしまうと迷惑だ。私は1回戦からしかと見届けたい主義だからだ。すると、おもむろに飛び込んできた光景に私の心臓の鼓動はもう一段階速度を上げる。裏側から回り込むことに成功した私の目に、トーナメントの足が2×3+1の計7本であることが視認できたからだ。

 シードだ。これは希少価値が高いトーナメントだ。8本足のトーナメントと違い、7本足のトーナメントはなかなかお目にかかることができない。私は歓喜のあまり汗腺から滲み出るその汗を拭うことに必死だった。今日は忘れられない一日になりそうだ。観戦場所を確定させたところで、深く肺に空気を込め、私はその大きな枝葉で刺激の強い太陽光を遮ってくれる大樹から神聖なパワーを受け取った。準備は整った。さぁ行こう。私は高らかに宣言した。

 レディィィ、ファイト!!!

 宣言を終えた瞬間、怠惰に放り出されていた7本足が綺麗に整列し、完璧で美しい形が組み上げられる。するとしばらくしてトーナメントは私から見て一番左の足を下から上に赤く染め上げていく。第一試合は出場者Aが勝ち上がったようだ。私は今後二度と染まることがなく未来永劫自身の足のカラーを黒に確約されてしまったもう片方の足に自分を重ね合わせ、止めていた息をふぅと大きく吐き出した。

 宣言から5分が経過し、A・C・F・G(左から1・3・6・7本目の足)が赤く染め上げられたところで小休憩だ(Gはシードなので無条件に染色された)。さぁ、A vs C、F vs Gの準決勝が始まる。期待に胸を膨らませ、競馬場にいる予想屋さながら赤ペンを左耳に挟み優勝者を予想してみる。シードのGが有力だがここは値千金、Fの大金星とみた。いやしかしAが思わぬ活躍を。いやあんたCを忘れちゃいけないよ、と予想に耽っている間に準決勝の口火が切られた。

 勝ち上がったのはAとF。これは予想できなかった展開だ。

 さぁいよいよ決勝だ。どっちが勝っても大きな拍手で讃えてやろう。それくらいの度量の大きさは持ち合わせている。こちとら大の大人だい。さぁさぁさぁ、時間いっぱい。運命の一戦が始まるぞ!!

 、、、おや?様子がおかしい。動きが止まった。戦いが始まる気配がない。私はその理由に気付き絶望した。トーナメントの行く末に自身の神経のスロットを使い果たしていたため気付かなかったが、羽織っていた緑のカーディガンがいつの間にか深い藍色に変色しその重量を増やしていた。

 雨天中止だ。突然の雨に試合が取り止めになったのだ。普段は都合の悪いイベントに参加しなくていい理由を作ってくれる雨に感謝する一方だが、この時ばかりは深く恨むこととなった。私は行われることのなかった幻の決勝の様子を妄想しながら下山した。次は晴天の日にこよう。

わざわざ読んでいただいてありがとうございます。 あなたに読んでいただけただけで明日少し幸せに生きられます。