見出し画像

Relaxin'

「マイルスが聴きたい。」

バーでこういうリクエストをしたのは、随分久しぶりだった。
古い洋楽をレコードでかけているシガーバーで、酒と葉巻をくゆらすうちにそんな気分になった。来たのはまだ二回目だったけれど、なんとなく、こういうリクエストを受けてくれそうな気がした。

『リラクシン(Relaxin')』。
奇しくも、学生の頃初めて行ったジャズバーでかけてもらった名盤。
学校のチャイムのメロディーで始まる一曲目(『if I Were A Bell』)が、デートの下見で背伸びしていた22才の冬を思い出させる。

マイルスがジョン・コルトレーンらを率いていた素晴らしいクインテットで録音した、いわゆる「マラソン・セッション」の中で誕生した四部作の一枚。
1956年5月11日から10月26日にかけて行われたレコーディングから4枚のアルバムを作ったわけだが、ただアトランダムに曲が並べられているわけではない。
例えばこの『リラクシン』には5月11日と10月26日のセッションから収録されているけれど、「まさに“リラックス”したムードになるよう、絶妙に構成されている」。
(中山康樹『マイルス・デイヴィス ジャズを越えて』講談社現代新書 2000, p77)

マスター自身この時代のジャズが好きらしいが、姉妹店に何枚か持っていってしまって、今あるマイルスはこの一枚だけだったらしい。
偶然の「再会」になったけれど、この夜この場所で聞くにはこれしかないというような、素晴らしい観賞体験だった。

ひとつの閉じられた、完成した作品としては、『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』などの名盤のほうが優れているだろう。
マイルスの「身体性」というか、「熱気」みたいなものがより生々しくプレゼンテーションされたものなら、『フォア・アンド・モア』などのライブ盤がある。

でもこのバーで、お客もまばらな9時前のゆるんだ時間、寛いだ雰囲気で聞くには、この『リラクシン』以外にそぐわしい音楽はきっとなかった。
もっと混み合っていたら『フォア・アンド・モア』のサディスティックにアップテンポなプレイが良かったかもしれないし、終電を過ぎて朝まで行き場のない時であれば『ビッチェズ・ブリュー』を聞きながら、祈りを捧げるようにウイスキーをすするしかなかっただろう。強めの葉巻の煙は、まさにアメリカの原住民がそうしていたように、魔術的なものを醸しながらマイルスのトランペットと絡み合い、部屋を満たしていただろう。

しかし今は、『リラクシン』が良い。
このほろ酔い加減のバーの親密な雰囲気の中でこのレコードがかけられた瞬間、マイルスたちは確かにここに「いた」。

作り込まれ閉じられた録音ではなく、雛壇のステージ上から僕らを眺め下ろし対峙するのでもない。
今まさにこの酒場に彼らはいて、(もしかしたら一杯ひっかけたり一服やったりしながら)音楽を「作り上げて」いる。
そういう親密な、人間臭いライブ感(「アウラ」とすら呼べるかもしれない)が、立ち上がってくるのだ。

それはまず、店の中の音とよく絡み合う。
声を落として話すお客とマスター。
若いバーテンダーが氷を砕く音。
ボトルからそっと注がれるスコッチのかすかな波。
そうした「営み」の音を、このアルバムは否定せず、排除もしない。それらを受け入れたくつろいだ雰囲気の中で、彼らは自分たちの音楽を作り上げていた。

そしてそれは、酒と葉巻とも素晴らしいマリアージュだった。
葉の詰まったずっしりとしたパルタガスの終盤の凝縮した喫味と、シェリー樽の甘いスコッチ(「グレンアラヒー」を僕は不勉強で知らなかった)。
こんな「ブルジョア」な楽しみと「ジャズ」を合わせる罪深さを感じさせない懐の深さ、人懐っこさを、マイルスたちは示してくれた。

うっとりとした心地好さに酔いしれるうちに最後の「woody'n you」が終わり、コルトレーンが栓抜きを探し始める。
パルタガスはリングのあった辺りをとうに過ぎ、燃え尽きようとしている。
僕は最後のケルティックコーヒー(アイリッシュ・コーヒーのスコッチ版で、香りを立たせるためにジョニー・ウォーカーをフランベしたり、クリームにドランビュイを混ぜたり、まさに「芸術」的なこだわりで作られていた)をすすり、席を立つ。

「Why?」

マイルスのややしわがれた声が、背中に響いた気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?