「あれはクレシダであってクレシダではない!」(『トロイラスとクレシダ』論考①)
「あれはクレシダであってクレシダではない!」
シェイクスピア「トロイラスとクレシダ」第五幕第二場
彼女が別の男と、僕の酒を飲み、僕が贈った花を髪に飾って、僕とよく歌ったあの歌を歌うのを見た時、僕は叫んだ。
大きなガラスの部屋にでも閉じ込められているのか、僕の声は向こうには届かず、中で反響するのみ。
こんなに近くに見えるのに。
クレシダだ!
クレシダではない!
クレシダだ!
クレシダではない!
…
部屋を満たす残響に耳を犯された頭蓋は、男と女が抱き合う光景を眼から取り込んだ瞬間に中身が焼け付き、空っぽになった。
「戦争とセックスでなにもかもめちゃくちゃになるがいいんだ!」
同第二幕第三場
破れそうになりながら、強く速いビートを刻む心臓はそう叫ぶ。
高鳴る鼓動は身体を、そして世界を震わせ、僕を包むガラス張りの膜は音を立てて崩れ去るー
朝、僕の体はベッドの上で伸びていた。
酒臭い口を水で漱ぎ、「あれ」は夢だったのだと胸を撫で下ろす。
「クレシダ」がもう僕の隣にいないことは「夢」ではないということを、思い出さない振りをして。
『トロイラスとクレシダ』
『トロイラスとクレシダ』は、トロイア戦争中の、トロイの王子トロイラスと神官の娘クレシダの虚しい恋を中心にした「グロテスク劇(ヤン・コット)」である。
作者はかの有名なウィリアム・シェイクスピア。
『ハムレット』の少し後に書かれたと推定されている。
この戯曲ではトロイア戦争自体の推移、両陣営の様子も描かれているが、二人の恋人のドラマだけを取り出すと以下の通りだ。
戦時下のトロイの都で、王子トロイラスと神官の娘クレシダは恋に落ちる。
しかし初夜を迎えた後の早朝に、使者が告げる。
人質交換で、クレシダはギリシャ陣営に連れていかれる、と。
クレシダの父カルカスはトロイ人ながらギリシャ陣営に与し、クレシダは叔父パンダラスの庇護下でトロイの都に暮らしながら、半分人質のような微妙な立場にいた。それをギリシャ側の父が手をまわし、人質交換で娘を自分の元に置こうとしたのである。
仕方なく二人は別れを交わす。形見の品として、男は女に自分の袖を、女は男に手袋を託して。男は隙をみてギリシャ陣営に忍んで会いに行くから、女はそれまで操を守ると誓い合って。
そしてその機会は、思っていたより早く訪れる。
休戦期間中の一種の「余興」とでも言おうか、トロイ王の長男ヘクターとギリシャの将軍エージャックスが決闘を行う運びとなったが、いとこ同士の二人の間のこと、命の取り合いまでには至らず、引き分けということでお開きになり、その流れでトロイの一行がギリシャ陣営に招かれ親交を深めることになった。
宴が終わり、トロイラスは急いでカルカスのテントに忍んでいく。父の元に身を寄せる、クレシダに会いにいくために。
しかしそこでトロイラスが目にしたのは、クレシダの元を訪れるギリシャ男と、彼を迎えるクレシダの姿だった。
「あれはクレシダであってクレシダではない!」
シェークスピア「トロイラスとクレシダ」第五幕第二場
「こと」のすべてを見届けた後、トロイラスはそう叫ぶのだった。
作品との「縁」
この作品とは、奇妙なくらい縁がある気がする。
最初にこの戯曲を知ったのは、大学4年の時だった。
あの頃僕は就職活動もしないでサルトルのゼミに出ていたのだが、そこで一緒だったバイエルン人に薦められたのだ。
「初恋」に破れたばかりの僕に、わざわざである。
ショック療法のつもりだったのかもしれないし、『コジ・ファン・トゥッテ(女はみなこうしたもの)』だと伝えたかったのかもしれない。彼は当時相当なプレイボーイだった。
「遊ぶ」だけでなく、女性が望む役割を「演じる」という意味での「プレイ」でもあったわけで、気苦労が絶えなかったみたいだが。
それから1年半ほどして、僕はドイツに留学した。ドイツで初めて観に行った芝居が、この『トロイラスとクレシダ』だった。
丁度ドイツ再統一記念日だった。
冬学期始業前の外国人向けドイツ語コース最後の日で、授業後にみんなでお昼にバーベキューをした後、部屋で少し休んでから劇場に出かけた。
現代風の演出で、戦争風刺も効いた面白い演出だったが、実は後半はよく覚えていない。
幕間にロビーでスパークリングワインを飲みながら休んでいると、見覚えのある女性がソファーで連れと談笑しているのを見た。
ドイツ語コースのチューターをしていた、ズザンナだった。
金髪で癖毛の可愛らしい娘で、ドイツに来たばかりの僕にいろいろよくしてくれた。
愛してる、とは言えなかった。
ただ最後の授業の後、誰もいなくなった教室で、そっと花束を渡した。照れながら、震える声で「ありがとう」といって。
午前中そんなことがあった後で、このようなシーンに遭遇するとは思わなかった。
僕は飲み物を手早く片付け、そそくさと席に戻った。
こんな状態だったので、ヘクターとエージャックスの決闘のシーンはただ目の前をさっと過ぎ去るだけだったし、例のクレシダの「浮気」のシーンも、「リアル」で見てしまった直後では全く感情移入できなかった。
その夜遅くに酔って帰ってきて、WG仲間を邪魔しないようそっと部屋に戻ると、今度はFBに「初恋の人」からの予期せぬメッセージが入っていたのだが…
とにかくそんなわけで、僕の人生の中で妙に縁のある戯曲がこの『トロイラスとクレシダ』、である。
なのでシェイクスピア専門でも、まして英文学専攻でもない身ではあるが、この作品について次回以降論じてみたい。
恐らく作品の名場面、名台詞を抜粋して紹介する形式になるだろう。
また考察にあたり、昔からよく読んでいたヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』を援用するかと思う。1961年に世にでた論文集で少し古いが、大胆かつ説得力のある、いい本だ。
正直かなりな難物なので、更新に時間がかかるだろうがご容赦願いたい。
次回の記事を書き上げるまでに、今の僕の「クレシダ」とまた一緒になれるといいのだが…
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