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 (前回からの続き)学校へ行こうといってもさ、学校を監視したほうがいいとかそういう話じゃないのよ。学校や先生は敵じゃないからさ。
 敵じゃなくて、学校と保護者と地域は、そこの子どもたちを一緒に育てていく仲間なんだよね。
 PTAってそのためにあるんだよね、きっと。PTAのPはペアレンツ、Tは地域だよね、きっと! Aは…A…明日の学校をつくるのは俺たちだ!! の略だしね(parent‐teacher associationだそうです)。
 でもまず学校と保護者と地域が仲間だって意識がない。私も無かったし。教育って学校がするものって思っててさ。だから私は関係ないって。
 何かあったら学校や先生のせい、学校の責任にしちゃってる。 

 でもさ、それって子育てに全くかかわろうとしない父親みたいだよね。普段は子どものことすべて母親任せで何もせず、何か問題が起こったらお前のしつけが悪いんだって責めるのと同じじゃないかなってさ、最近思うんだよね。OSWじゃダメだよね、やっぱり(O=お前の S=しつけが W=悪いんだ の略)。

 デモクラティックスクールに娘が通うようになってみて気が付いたのだが、今いってるところはあまり親同士の交流がなくて。
 子どもたちがスクールで、本当にやりたいことをやろうとしたとき、子ども同士ケンカもたくさんしてほしいし、トラブルだってあっていいはず。そうやって子どもたちは人間関係を学んでいくのだろうから。

 でもそのためには親同士、つながりをもってなかったら、ケンカの相手を快く思えなくなったり、スタッフに不信感を抱いたりという、オオゴトになってしまう可能性があるんじゃないか。子どもの側はもう何のわだかまりもないのに、親の側にそれが生まれてしまうと、子どもは安心して本当にやりたいことがやれなくなってしまう。

 我が家の幼稚園は自主保育とよばれる森のようちえんみたいなところで、親も毎日交代で保育に入って、子どもたちの様子も毎日共有してたから、ケンカしても何しても、みんな可愛い親戚の子みたいだった。
 子どもの間では意地悪やトラブルもあったけど、意地悪した子の親が「ごめんね」と言っても、された方の親が「いいよいいよ、いまそういう時期なんだね~」と受け止められて、お互いの気持ちのハードルがとても低かった。

 親は勉強したり実習したりして親になるわけじゃない。私はこの自主保育やプレーパークで、子どもがどうやって成長していくのか教えてもらったり実感したりして、理解できるようになったと思う。
 親だって、親になるためにちょっと知識を得たり、友だちや先輩から(もちろん子どもからも!)教えてもらえるだけで、ずいぶん楽になるのだ。

 そう感じて、スクールでもっと親の交流を大切にしたいと提案してみた。それは受け入れられて、アメリカのデモクラティックスクールのドキュメンタリー番組を観る会をやったり、今ちょっとずつ動き出している。

 だから子どもの教育が良くならないかなー?って考えてる人は、学校へ行こう。もしできるならPTAにも参加してみよう。PTAで何ができるのか私にはよくわからなくて申し訳ないのだが、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』とかって本も出てるし、おススメだ。

 PTAまでは無理って人は、まずは親や地域も教育に責任があるってことを、意識してみることから初めるのはどうだろう? 学校に目を向けるだけでもいい。仲間内で話してみるだけでもいい。これってどうなんだろうって感じたら、ちょっとアンテナ立ててみる。
 OSWじゃなくて、今の学校がどうなっているのか、その中で子どもたちがどういう思いをしてるのか、知ろうとすることから始めてみたら、なんか変わるんじゃないか?

 先生たちだって話してみると、いろいろ悩んでることも多かったよ。立場じゃなくて人間同士の顔で話せるといいよね。線を引かなきゃいけない時もあるけどさ。
 そうやって大人同士、助け合えるところは助け合ったほうが、結局自分も楽になると思うんだ~。

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