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生きてる限り何の「損」もしないってのは知ってるかい?

経験を「ネガティブ」にしてしまう呪い

損した…。
よく聞く言葉だし誰しもが使ってしまう。

  • タイムセールに間に合わなかった。

  • 近くではない目当ての店が店休日だった

  • 長年付き合った彼氏彼女と別れた

 こんな時、多くの人が「損した」とつぶやいてしまうのも仕方ない。
 そりゃ、出かけるのに用意にかかった時間も交通費も決して安くはないし、特定の人と過ごした時間を、他の人に使えていたらどんなによかったか…。と感じるのは避けられないかもしれない。
 けれど、そう思いたい気持ちを持ちながら、「損した…。」と思うと体がムズムズするし、心はモヤモヤする。
 損したと感じる時、人は不快感を促進させる脳内物質を体内に放出する。
不快感というストレスを脳は感じて、それに対抗しようと体内にノルアドレナリンが放出される。

 ノルアドレナリンはストレスが強いほど多量に放出される。
 ノルアドレナリンが体内にあると、人は焦燥感や不安、はては恐怖を感じてしまう。

 つまり、損したと思う気持ちが強ければ強いほど、ショックも大きく、取り戻そうと焦り、自分だけが得られるものをえられなかったと不安になり、疲れだけが残ってしまうのである。

 これは機会を逸した自分を責める呪いにほかならない。

 わかっていながらも人は、状況を損得で考えるクセをつけられている。食料がなかった時代などは、それを得られないと生命を維持できないと危険を感じていたのだから、その名残が現代にも存在していてもおかしくはない。

 人は無意識に損失を恐れているのかもしれない。はっきりと失うものがわかっていなくても不安になるのかもしれない。
 そして、失うものばかりではないことを人はすぐに忘れてしまう。
 忘れることは人の能力である。ここでは、忘れることを後悔するのではなく、自分に備わったギフトであると改めて認識してほしい。
 

「今、あるもの」に目を向ける練習をする意味

 「損得」を考える時、「損失」ばかりに目を向けがちなのに、お気づきだろうか?
 「損失」はいつだって大きく見えるのだ。
 満たされた器が、どれだけ大きくても、そこから、こぼれ落ちるものほど大きく映るのである。
 そこに残された「ある」ものにはなかなか目がいかない。自分がすでに持っているものには気づきにくいのである。

 しかし、ここに心を満たす鍵がある。
 「今、あるもの」に目を向けることがとても大切なのである。それに、毎日気づき、そこに感謝できる気持ちを整えることで、失うことの恐れを癒やして、穏やかな心で日常を送ることができるのである。
 
 ノートでも、日記帳でも、なんでも良い。
 「今、あるもの」を書き連ねて眺めてみてほしい。たとえ、一つでも、二つでも、かまわない。その日、書けなくてもかまわない。
あなたが、自分の「今、あるもの」に気づけたら、すぐに書いてみてほしい。
 できるだけ目に見える形で、それを感じてほしい。1ヶ月も続けてみたら、「あるもの」はたくさんになっているはずである。
 多い少ないではなく、あなたが今持っているものはゼロではないはずだ。

 そこに目を向けることは難しいが、だからこそ、訓練をして気づけたら、それは一生の財産になる。あることに目を向けることは、自分の気持ちを落ち着けることにつながり、果ては、人生の価値観を大きく変えてくれることになるだろう。
 もちろん、私も続けています。これからの人生を豊かに、感謝して生きていく、そんな時代がやってきているのです。



私が今、表現できる限界を見ていただけたら幸いです。ご期待に応える努力を惜しみません。よろしくお願いいたします。