「死ぬ気になりゃ何でもできるだろ?」って簡単に言ってしまう自称成功者の心理①
増殖する「自称·共感者」たち
あなたは死ぬ気になったことはありますか?なんやねん急に!?って思いますよね笑
私は、いわゆる決意が固く、文字通り
「命を惜しまないほど気持ちが強い」
「失うものが何もない、無敵な心持ち」
のような状態と
心のエネルギーを無くしてしまい、
魂が行き場所を失い、本当にこの世に居場所を感じられなくなって
「死にたい」と思う状態とは、全く別の状態だと思うのですよ、私は…。
普通は、それが区別つかないのが常識なんでしょうか?
いつも、わかりそうなものだと思うのですが、どうもそれは私の中だけの話のようなのです。
"アイデンティティを完全に見失った人の気持ちは、なってみないとわからない"
かくいう私も、現役の希死念慮を持った人間です。
私の人生は希死念慮との闘いでした。
私は、小さい頃から俗に言う、少し変わっていたので、目をつけられやすい存在でした。
幼いころから、近所の友達のいとこにはじまり、小3から4年間、身体的な暴力を含むはげしい、「いじめ」に晒されてきました。
何もしていないのに、持ち物を壊されたり、奪われたり、朝から殴る蹴るの暴行を受け、先生にも言えず、クラスの女子がそのことを先生に言いに行ったことがありましたが、その先生は「いじめられる方が悪い」と判断する人で、全く解決してもらえず
(ハナから期待してなかったが)
家族の誹謗中傷、勝手に出自などを吹聴され、心理的な脅迫や差別にまで発展し、ことごとく人格を破壊されてきました。
読んでいて「だから何?」「ダッサ、弱いだけじゃん」と思われる方もたくさんおられるでしょう。それでもかまいません。
私は事実として、整理して伝えることを選んでいるだけで、何を言われても全くかまいません。
ですが、大人になってから知ったことがあって、このように苛烈ないじめ、理由なき暴力に晒されて、精神を病むどころか、後遺障害で廃人のようになったり、社会不安が耐えられず望まない貧困に晒されている方も、相当数、存在しているということを知りました。
私の身の回りだけでもたくさんいる。
日本中ならもっといて、世界中なら、莫大な数の、そんな苦しんでいる人がいるということを皆さんわかっておられないだろうなと思います。
それは当然です。そのような事実は表舞台には出てこず、いつまでも日陰に置かれて、まるで「虚構の存在」「小説のネタ」のような扱いをされているからです。
そのような人には共通した特徴があります。
「アイデンティティ」を確立できていないことです。
度重なる存在の否定から、極度の人間不信に陥り、果ては自分の存在に対して希薄な感覚しか持てなくなったからだと私は感じます。
それは当然のことだと思いますが、そういった経験のない人には、そんなことがあることすら信じられないのです。
そりゃあ、いじめられても、踏みにじられても、強く生きて成功者となった方もたくさんおられますが、私はそのような人は、ほんの一握りだと信じています。
アイデンティティがない状態は、とても苦しく、生きる原動力とつながっていけなくなっていきます。
"真実のアイデンティティクライシス"
アイデンティティを育めないことは、本当に、苦しいことです。自分の置かれた状況を冷静に観察する余裕もなく、明日に希望を持つことをあきらめている、心の傷は深く、いろいろなことが億劫で、一つの行動を起こすのに何年もの時間を、無駄に費やしてしまう。それが24時間、絶えず続いている。
これを頭の中で想像してください。
いかがですか?普通でいられますか?
次回に続きます。