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特別な日を超える日常を楽しめる町               ~移住者インタビュー第六弾 前編~ 

大小約180の島々からなる隠岐諸島。海士町は有人島4島のうちの一つ。
2013年に隠岐諸島は「世界ジオパーク」に認定をされて、世界からも注目されています。 
【公式サイト】隠岐ユネスコ世界ジオパーク | 島根県隠岐諸島 (oki-geopark.jp)

今回、ご紹介する移住者インタビュー第六弾は、そんな「世界」を相手に戦ってきた経験のある、クリケット元日本代表の主将・栗林江麻さんです。来島前、移住者を迎える側でこんなにザワついた人はいないように感じます。

―クリケット元女子日本代表選手で、長年、キャプテンとしてご活躍されてきたと伺いましたが。

1年前ぐらいから、移住を考え始めましたね、年齢的にも節目となる年齢にさしかかり、自分の置かれていた環境を変えたいと思いました。
クリケットをしながら、海外生活含め、チャレンジをしてきましたが、残念ながら、クリケットはその当時、オリンピック種目ではなかったんです。
その後、どうしてもオリンピックに出たい!と、正式種目になった「ボクシング」へ転向しましたが、夢破れてしまいました。
元々、面白い!と想ったら、チャレンジするタイプなんですよね。
だから、海士町への移住もトントン拍子で決めていきました(笑)

2010年 アジア大会 銅メダル獲得

―何故、離島や海士町が移住先だったのでしょうか?

東京で生活をしていましたので、やはり自然多き環境で生活したいと感じていました。
海を身近に感じ、海が見える環境、本当に素敵ですよね。今は、シェアハウスに住んでいますが、家から歩いて1分で、海ですよ。嬉しくて・・・。
他にも「五島列島」(長崎県西100kmほどにある152の島々・人口約7万人)も考えましたが、意外に都会でした、五島列島は(笑)

―2024年6月に移住されて、今、海士町生活をどう感じていますか?

本当に海が近い!
沖縄でも生活をした経験がありますが、もっと海が近い、今は徒歩1分ですから。通勤する際も、海沿いを車で走り、海を見ながら、毎日、幸せをかみしめています。
「海を眺めるって、こんな幸せなんだぁ」と。

東京にいた時の自分よりも「リラックス」していることを実感しています。東京では、ほとんど仕事以外は外出せず、家でパソコンをながめているような生活でした。
海士町に来てからは、休みの日には外出していますね、図書館に行ったり、海を眺めたり、ランニングしたり、布施神社(お住いの地区にある神社)の階段122段を毎日4回、頑張って続けています、海士町の自然の風を感じています、汗かきながら。

布施神社の階段

―海士町の「ひと」についてどう感じていますか?

とにかく、気さくで明るい方が多いですよね。困っていたら、助け合いの精神、古き良き日本が「海士町」には、まだ普通のこととして存在している
感じます。
良く目が合うんですよね、都会生活では考えられないですよ。むしろ、人と目が合わないようにしている人が多かった気がします。相手の目を見るって、挨拶含め、本当に大切ですよね。
海士町の方々には大切にされていると感じ、自分の「存在価値」を感じています。親戚のように親しみをもって接してくださり、本当に感謝しています。声をかけてくださるって、私に関心を向けてくださっているように感じて嬉しいです。

―海士町の魅力って何だ想いますか?

「人としての普通の生活が楽しめる町」だと想います。アパートやマンションのような都会の懸想した雰囲気ではなく、一軒家が多く、日本家屋が多いため「ふすま」で人の存在を感じ、良き日本文化が残っていますよね。コンビニがないことも、魅力かも。コンビニがないことで、自炊するようになりました(笑) 
洗濯物を「庭に干す」幸せも感じています、都会だとベランダですよね、なんか新鮮だし、いいですね~

大好きな御波の港

(編集後記)
自分の経歴を自慢することもなく、本当に謙虚な姿勢でインタビューを受けてくださり、その誠実さが日本代表のキャプテンに選ばれ、またその立場が今の栗林さんを作り上げていったのだろうと感じました。この、くったくのない笑顔が人を引き寄せるんだなぁとも感じ、あっという間の時間でした。
後編では、移住を最終決断された話しや、介護について熱い語りを伺いましたので、お楽しみに。

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