他人と比べない。自分の人生を生きる。それでこそ、本当の幸せが見つかるのかもしれない。
こんばんは。あずまです。
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最近、一つ学んだことがあったので、日記感覚で書いてみたいと思います。
それは、考え方って大事だな〜と改めて気付かされた出来事です。
他人をあまり意識しないように、意識して生活しています。
僕の悪い癖でもあり良い癖でもあるのですが、
昔から所属する集団の中で、「一位」とは言わないけれど、何かしらの分野で「上位」にいないと落ち着かない性分でした。そんな僕は、常に人と比べることが当たり前になっていました。競争社会に近い考え方です。
人と比べることで、優越感とか、そういう類の自己満足感のようなものを求めていたのではなく、ただ、自分が集団で生きる上で安心できる材料が欲しかったのだと思います。
それは社会人になった今でもそうでした。確かに、他人と自分を比べることで、その悔しさから更なる高みを目指せるし、今の自分に足りないことがどんどん見えてくる。
それは一種の「向上心」のようなものに近いよう見えるけれど、でも、本質は全く違うことに気づいた。
「エネルギーの根源」と「向いているベクトル」が違う。
「向上心」というのは、ベクトルが自分の方に向いている。エネルギーの根源も自分の内面から湧き上がる。
一方で、優越感とその類のものは、ベクトルが他人を向いており(同じ向きのベクトルどうしでベクトルの大きさを比べるという考え方に近い)、エネルギーの根源は他人からのものが多い。大学受験でいう、「偏差値」のに近しい。
自分は一体、その集団の中でどういう立ち位置なのか・・・・・
優越感はそこに焦点を当てている。でもそれだと一生幸せになれない。他人の山は青く見える。上には上がいる。そして自分よりも何かしら高みにいる人しか視界に入らない。すると自然と自分が不幸に思えてくる。
劣等感を覚えるからこそ、意地でも高みを目指そうと思える。前に進むための大きな原動力になることは間違いない。「昔、俺は貧乏だった。だから俺は・・・」のような話をよく聞くのはそういうケースに当てはまる。
でも最近の自分はその考え方に少し疲れを感じている。他人と比べることが習慣化してしまうと、今の自分が置かれている環境に対する感謝の気持ちが薄れてしまう。それはそれで非常に不幸なことだと思う。
とはいえ、ずっと他人と比べることで自分という存在を創り上げてきた自分にとって、いきなり考え方捉え方を変えろと言われてもそれは難しい。
だから、意識的に今は変えている。自分は自分、相手は相手。意識的に考え方を変えることはなかなか難しいけれど、少しずつ効果を感じてきているのも事実。心が安定する。よく眠れる。ポジティブなことばかり。
誰も他人の人生を生きることはできないし、そうであれば自分の人生を生きようと思えるようになった。考え方って大事だなと改めて気付かされた。
人と比べるべきとき、自分軸で生きるべきとき。それらをを使い分けられる人になれれば、人として成長できるし、自分であることに幸せを感じられる。最高の人生に一歩近づくのかな、なんて思ったりする。
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