学生から大人に

なってなんかいいことあったかな 5年経ったけど

今日全国から集められた昇格者研修で「学生から社会人になって変化したこと」というテーマについて班で話すことがあった。アイスブレイク的な意味合いで。
お金と時間を自由に使える、自己責任、世代の違う大人と話をして人生の知見が広がった とか
みんな当たり障りのないことを言い、私も例にならってそう言ったけど
どうだったっけな と思った
班の中で一人、お金はあるけど体力がなくなって、帰ったらすぐに寝てしまう。土日も外に出ず動画ばかり見ている。という人がいた。
正直だな。と思ったし、怖いな。とも思った。こうして労働によって分かりやすくいろいろなものを失っていく。
経験も。仕事ってなんなんだ。なんのために労働しているんだ。だんだんと人が均一化されていき、考えることに使う体力すらも無くなって、美味しいものや旅行とか、そういった分かりやすいものにしか価値を感じなくなる。
そしてまた新しいものを買いご飯を食べ生活を回したまに旅行に行き、お金がなくなってくるのでまた働く。そんな資本主義サイクルが怖い。
定年間近の講師、社労士の資格を保険で取ったみたいなことを言っていた。私も全く同じ理由で勉強していたけど、結局講師はそれを何かに生かすわけでもなく、少なくとも話を聞いていた限りではなんの印象も残らないただのおじさんだった。今書いていて顔も思い出せない。怖いな。と思った。
個性とは。60近くになった時に、このまま同じ仕事を脳死で続けていても、ただのつまらない大人になるだけかもしれないと思った。
変哲のない。やりたいことが違うのに、本当はこういうのが趣味ですやりたかったですというダサい大人。疲れて目が死んでいる大人。1年目の時に、このままではなあなあの当たり障りのない大人になると危機感を抱いたことを思い出した。

大学を卒業し、引越しを行い、明日から社会人になるという日に展望台に登った時のことをたまに思い出す。
遠くに東京タワーが見えた。羽田空港も見えた。目の前には川が広がっていた。
ずっと学生でいると思ってたな。
私は曖昧な存在で、表面は明るいけど芯がものすごく冷たく心がスカスカな空洞で、その曖昧で不安定な存在のまま夜の暗さに溶け出して、身体や輪郭をなくしてしまいたいと思っていた。今もそう思っていると思うけど、同じ熱量で感じることはできない。
仕事とかお金とか結婚とか、そういった現実的なもの人間として将来を形作るものに対して、いつまでも怯えている。自分の形をまた一つ、輪郭をまた一つ濃くしてしまうようで。だんだん人間としての皮が厚くなっていってその中に完全に取り込まれてしまった時には、私は本当に私自身であると言えるのだろうか。それが怖い。だからここに残しておく。


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