子どもの「勉強って何の役に立つの?」から考える、大人のすべきこと

一応教育に携わっている身なので、たまにはそれっぽいことを書いてみます。

私は、不登校や発達障害などを抱えた子どもたちに学習支援・居場所支援を届ける場所で働いています。学童と塾を足して割ったようなところです。

通ってくる生徒の何気ない様子や言動から、「学ぶ」ってどうあるべきなんだろうと考えることがしばしばあります。

今回は、ある中学生が常々こぼしている言葉がきっかけでした。

先生、数学って何のためにやるんですか…? 役に立つんですか…?

これ、子どもと関わっていると一度は必ずきかれる質問だと思います。
大人からしてみれば、答え方はいろいろあるのですが、子どもに納得してもらえるような答えは意外とパッと浮かんできません。

この問いをかけてきた彼に何かしら返答をしたい私は、
世の人々がこの問いにどう答えているのか気になって、「勉強 なんのために」「勉強 何の役に立つ」などとググってみました。

この問いの本質って…

案の定、様々な答えが見つかります。

①自分の可能性を広げるため
②世界の解像度が上がって楽しくなるから
③役には立たない。知的好奇心を満たすことに意味がある
④論理的な思考力を養うため
⑤役に立つ・立たないという次元の話ではなく、生きるうえで既に活用している
etc…

ある程度勉強をこなしてきた大人たちからしてみると肯けるものも多いですよね。(個人的に②は強く共感するし、子どもたちにもぜひ伝えたい!)

しかし、おそらくどの答えも彼を納得させることはできないでしょう。
いろいろ経験し学んできた大人だからこそ出せる、「結果から逆算した答え」だからです。「今ここ」を生きる子どもたちにはなかなか響かないと思います。


noteを探っていると、かんださんという方が「まさにこれ!」という記事を書いていました。

リアルに、コミカルに、かつ真剣に、「何の役に立つの?」問題を考えていてとてもおもしろいです!

その中で私がなるほどと思ったのがこれでした。

「なぜ勉強しなければならないのか」という問いには答えない。

この質問は、生徒が指導者に対し、目の前のものがつまらないという苦情を述べているだけである。したがって、哲学的な回答や、人生の意味などを説いてもこの疑問は解消しない。

したがって、この問いに真正面から答えてはいけない。「今やっている勉強で、どこがつまらない?」と聞くことから始める。

https://blog.tinect.jp/?p=10869

子どもが
「何でこんな勉強しないといけないの?」
「この勉強、何の役に立つの?」
と聞いてきた場合は、
質問の形をとった不満の表明であるので、
返事するよりも共感しなさい、

というのは中々に大事な視点であると思う。

かんださんの記事『シリーズ「将来なんの役に立つの?」問題を解決しよう(5)』より


今回の問いの本質は、「勉強が何の役に立つかを知りたい」ではなく「勉強がつまらない」にあるという指摘です。うーむ、なるほど…。

子どもたちにとって大事なこと

そこで、私は考えました。

勉強においては、それができるか(=習得したか)よりも、それを楽しめているかのほうがはるかに重要なのでは?


だって勉強が楽しければ、役に立つかどうかなんてわざわざ考えないじゃないですか。
私は数学が好きで、「この方法がダメなら、あの方法か⁈」などと考えながら解くのが楽しいです。けど数学が実生活でどう役に立つのか、ぶっちゃけ分からないです。

それに、「好きこそものの上手なれ」ですから、楽しんで続けていれば、成果はそのうちついてくるでしょう。
というか、なんならついてこなくてもいい。楽しいというだけで人生が豊かになるじゃないですか。

――そうは言っても、「教育」である以上、育てる(=成長させる、習得させる)ことが大事なのだから、成果は伴わないとダメでしょう?

というのは正しいですが、それはあくまで「大人の側の事情」だということは忘れてはいけないと思います。
子どもからすれば、本来そんなのどうだっていい。目の前の勉強が楽しくて、人生が充実していることのほうがずっと大切。

なのに、テストの点数やら順位やら、提出物やらと、大人の側のKPI的な都合に巻き込まれて苦労し、そのせいで勉強がつまらないと感じてしまう子もいる。

実際、私が仕事で関わる子どもたちは、その発達特性(たとえば、書字にとても負担感があるなど)にもかかわらず、学校から大量のプリントやワークを課されて、大変な思いで取り組んでいることがあります。

その様子を見るたびに「どうしてこの子は、わざわざこんな大変な思いをしながら勉強しないといけないのだろうか…」と胸が痛みます。


じゃあ、大人が子どもたちのためにできることって…?


それは、子どもたちが楽しく(少なくとも苦しむことなく)勉強に向き合える環境をつくることだと思います。

たとえば、「●●を学ぶとこんなことが分かるようになるんだよ!こんな発見があるんだよ!」と学問のおもしろさを伝えることもそう。(学校の先生方も日々苦心されていることと思います)

過剰な反復練習を撤廃することも当てはまるかもしれませんし、
子ども一人ひとりの特性に応じて合理的配慮をとってあげることも1つでしょう。(書字が苦手な子どもに、口頭での学習やICTを使った学習を提供するとか)

成績をつけるためのテストや課題提出ならいらないです。点数なんてもともと大人の都合でしかないから、先生だけが把握しておけばよいのではと思います。
つまり、生徒がどれくらい理解できたかを測るよりも、先生がどれくらい教えることができたかを測る尺度として使い、その後の指導に活かしていくほうが合理的だと思うのです。

学校だけでなく家庭で学習する場合も、同様に環境を整えてあげることが大事です。
子どもが勉強しないのは「怠慢だから」と決めつける前に、勉強する環境を見直してみるのは、大切なプロセスではないでしょうか。

偉そうにつらつら書いてしまいましたが、もちろん簡単に解決できることばかりではないんですよね。
学校という組織の体質とか、先生方の多忙さとか、世間の教育観とか…、考え出すとキリがない話ではあります。。

けど、何が子どものためになるのかは常に意識したいものです。勉強は本来楽しいものであるはずですから!😄

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