ネタにしましょう、過呼吸を

「憂鬱の極みなのだが」

…と母親に電話した。

手伝っているお店のSNSでちょっとしたトラブルがあり、仕事は締め切りに追われ、住んでいるマンションは大規模修繕工事が間近に迫り、浅い眠りの日が続き、歯茎が痛いような気がして(隣県のかかりつけの歯科まで行くのが本当にしんどい)、精神崩壊前夜。

「もう死にたいのだが」と切り出さないだけマシかな。

母親からは「そもそもあんたは定期的に気持ちが下がる時があるから。今日は新月だし」と半分分かるような、半分よく分からないような指摘。

「(聴覚過敏で精神不安定になりそうな)大規模修繕工事も、本当に歯医者に行く必要があるのも、『今』じゃないやろ。『今』を生きなさい」と。「おっしゃる通り」とも思うし、「それができたら苦労しない」とも少しだけ思う。

ふと口をついて出た言葉が「なんか手詰まり。(遠くで暮らす)両親や周囲の人からすれば、それなりにやっているように見えるかもしれないけど、なんだかんだ理由つけて、電車で苦手な場所に行こうとしてないんよなぁ」。

考えることは「それしかないのか。楽しいこと考えろや」と言われそうだけど、常日頃から歯科に行かなければならない事態になることを恐れている。歯科が苦手だし、痛みに弱いし、隣県の歯科恐怖専門外来まで電車で行くのがしんどい。隣県に向かう車内で何度も過呼吸になっているし。

だから隣県に電車で行く練習をしたいのだけれど、「体調がすぐれない」「仕事がある」「人出が多そう」など理由を付けて、練習しない日々が続き、「なんか手詰まり。もう行かないとしゃあない」と思い詰めて。

なぜ電車に乗るのがしんどいのか。それは過呼吸になって、周囲や車掌さん、駅員さんに迷惑をかけたくないから。

そんなことをダラダラ母親に話したら、「あんたは『こうじゃないといけない』って思い込みが強すぎる。例えば「歯が痛くなったらすぐに歯科を受診せんといかん」とか。コロナとかもあったし、そうでない人もいるよ」と諭された。

「電車で過呼吸になった時、そのことを周りに知らせる紙か何か持っとけばいいじゃん。『電車に乗る練習中』ですとか書いてさ」と言われたので、「ヘルプカードにだいたい書いて持ち歩いている」と返したら、「それ以上やりようがなくない?」と。確かに。「電車に乗る練習中」は書き足そう。

「電車で何回過呼吸になっても、人生は変わらん。周りも気にせん」「電車に乗る練習をするのはいいけど、ただ試すんじゃなくて、体調が良くて天気も良くて、目的地で何か楽しいことしないとね」とも言われた。むやみやたらに行動するな、ということなんだろうな。

「あんたはできないことにフォーカスする。あんたはできることがあるのに。私はいろいろ書くのできないし、好きでもない」とそこそこ芯食ったことを言われて、「実際に過呼吸になったら、そのことを書けばいいか」と返したら、「そうそう」って。ネタにしたいな。

母親と話して、少し霧が晴れたような気がする。ちゃんと最後に「ありがとうね」って言ったよ。

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