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そこまでやらなくても…

こんにちは。プリンにとろけることを求めていないアルパカ社長です。

私の中でとろけるプリンはプリンではありません。昔ながらの固めのカスタードプリンが好きなのです。勝手にとろけさせないで欲しいのです。

私達人間は非常に強い向上心を持っているので常に更に良いものを求めています。あの手この手を使って進歩しているのです。しかしそれが必ずしも良い方向へと向いているとは限りません。時には三歩進んで二歩下がっていることもあるのです。

私にとってプリンがとろけてしまったことは二歩も三歩も下がっています。※諸説あり

経営の場ではより良い経営を目指して管理会計などが導入されます。これにより会計はより複雑なものへとなっていきます。その代わりに今まで知り得なかった詳細な情報が手に入るのです。

例えば事業ごとや製品ごとの利益を計算してみたり、一人あたりの生産性を計算してみたりとその形態は様々です。詳細な情報を求めれば求めるほど複雑さを増していきます。その結果、費用対効果がひっくり返る損益分岐点を超えて複雑化していることがあるのです。労力をかけた割には大して重要な情報になっていないということが。

ほとんどの場合やっている本人はそれに気づきません。それが会社のためになっていると信じてやっています。こうした労力は間接部門なのでどれほどの費用対効果があるのか客観的に見えにくいのです。

こんな会社を見たことがあります。

部門、商品、取引先ごとに会計を行い、その正確性は間接部門の費用まで丁寧に配賦するという形態をとっていました。当然その複雑さは容易に想像ができると思います。

会社には共通費と言われる部門などを跨いでかかる費用があります。私はこれを配賦する意味は特にないと思っています。なぜならその結果は配賦方法に強く依存するからです。例えば従業員数で割り振ってみたり、使用面積で割り振ってみたりとそれにより結果は全く意味が違ったものになります。

それどころかその費用自体が固定費であれば部門が一つなくなっても金額は変わりません。だとすれば割り振る意味などあるのでしょうか?それを丁寧に配賦して計算してしまうことによって誤った判断に導きかねません。

共通の固定費を配賦された状態で赤字となっても配賦されない状態で黒字ならば少なくともある程度の固定費を賄うだけの利益をもたらしていると考えられます。

これを赤字だからといって切り捨ててしまえば残された部門の固定費負担が大きくなって疲弊するという結果を招いてしまいます。

単純に正確な会計から良い判断が導けるとは限らないのです。

興味のある方は貢献利益や限界利益という言葉を調べてみることをお勧めします。



ナマステ✨


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