適度に不便がいいな
こんにちは。シャインマスカットよりも剥いてもらった巨峰派のアルパカ社長です。
皮ごと食べられるのは食べやすくてありがたいと思うのですが、特に皮がおいしいというわけではないのでやはり殻が取り除かれた状態のカニのようにぶどうも剥いてもらった巨峰が一番おいしいと思ってます。
私達はなるべく手間をかけず利益を得ることで最大の満足が得られます。
そして世界はその方向へ大きく動いています。家にいながら物が買えたり、仕事までできてしまいます。
ムーンショット計画って聞いたことありますか?
陰謀論界では有名なのですが、陰謀論でもなんでもなく内閣府が掲げている目標です。簡単に説明すると人類を物質的制約から解放してサイバー空間で生きるようにしようという計画です。2050年を目標にしているそうです。
なんだか「人類補完計画」のようですね。
私達が手間をかけずに利益を得ることに満足を感じるのは確かですが満足度は幸福度とは違います。満足は一時のもので何かに対する感情であり、幸福は漠然とした全てを含む環境に対する感情です。
ここで問題なのは「満足度を高めれば幸福になれるのか?」ということです。
残念ながら私はそうは思いません。
満足には慣れが存在するからです。慣れれば慣れるほど期待値は上がり、満足度は低下していきます。つまりイタチの追いかけっこです。
こんなに便利な世の中なのに都会を離れてわざわざ不便な自給自足のような生活を求める人がいるのは何故でしょうか?
キャンプが楽しいのは何故ですか?
魚釣りが楽しいのは何故ですか?
ガーデニングが楽しいのは何故ですか?
DIYが楽しいのは何故ですか?
デジタルミュージックよりも生演奏を聞きたくなるのは何故ですか?
もちろん人にもよるわけですが、これらの趣味は便利とはかけ離れています。自分でやるよりも買ってしまった方が安く済みます。その方が効率的です。でも私達はそれを求めます。原始的な行動へ回帰しているかのようです。
はるか昔、私達がまだ生まれていない頃は上記のことはお金もかけずに当たり前にできたことです。しかし今はお金をかけないとできません。働かずしてできていたことが働かないとできなくなった世の中は本当に便利になったのでしょうか?
奇妙に思えませんか?
当たり前にできていたことが制限されて私達は勤労を義務化されて得たお金でようやく昔に戻れる。そのために働くくらいなら最初から狩猟してればいいじゃないですか。人類はとてもマヌケなようです。
便利な世の中になったことは紛れもない事実ですが、私達は過剰適合の時代へと突き進もうとしています。いやもう突入しています。
果たしてそれが良いのか悪いのか…。
ナマステ✨
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