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会議で寝てます

こんにちは。つまらない会議や講演ではすぐに寝てしまう自信のあるアルパカ社長です。

会社員時代はよく寝てました。いや学生時代もよく寝てました。いや今もですね…。寝る子はよく育つのです。おかげで?後頭部がモッコリしてます。

会議で寝てしまうのは私だけではないはず。あなたも1度や2度は寝たことがあるはずです。寝てしまう理由はズバリ興味がないからでしょう。興味がないことをダラダラと続けるのは人間の性質として無理なのです。

何よりも寝てしまって困ったことが一度もないことが寝ても大丈夫という自信を増幅させます。つまりほとんどの会議は必要ないということでしょう。昨今の会議は議論する場ではなく情報を共有する場と化していて短縮することに重点が置かれています。

私からするとどちらも必要ありません。むしろ議論できる場の方が必要だと思っています。情報の共有ならばみんなが同時に集まる意味はないですし、時間を拘束してしまうだけ無駄です。議論の場としての会議もほとんどはまとまらずに「何をやっていたんだ」という場合がほとんどです。

しかし意見をまとめることが目的だとすればその会議は無駄ですが、意見が言える場という目的ならばまとまらないことこそが目的とも言えます。それでも寝てしまうような人がいるのなら無意味です。

私達は多くの不満や不安を持って生活しています。そして不思議なことにそれを口にするだけでそれが和らぐことがあります。女子会というのはそれが目的だと思います。

もし会議が同じように誰もが意見を言える場であるなら、それは会社にとっては貴重な場とも言えるでしょう。

しかし意見を言えなかったり、言いたくない人も多いです。むしろそれがほとんどなのかもしれません。だとすると、やはり会議というのは一部の人の自己満足の場となってしまうわけです。

組織において機会が平等ならば平等であると思われるかもしれませんが、その平等は権力や圧力によってかき消されます。その権力や圧力とは公式なものもあればおしゃべり好きなオバちゃんなど非公式なものもあります。

そこに精神的圧力が少しでも存在するのであれば機会が平等であろうと、事実は平等にはなりません。

意見を言いたくない人に敢えて言わせる必要はないと言ってしまえばその通りかもしれません。しかしその心の奥では「受け入れられないかもしれない」という不安があることを忘れてはなりません。

言いたくないのではなく、言えないと捉える方が正確かもしれません。

私達が本当に多様性を認める世界を目指すのならばこういった人でも平気で発言ができる環境を作っていかなければなりませんね。



ナマステ✨


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