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43歳最後の夜に この一年を振り返る

明日は 私がこの世に誕生して44回目の誕生祝の日だ。

1歳になる娘を胸に抱き、寝むる前のミルクを与えていながら、今日1日とこの1年を思い返してみた。

43歳の誕生日は これまでの人生で一番自分の誕生日を意識しなかった日だったな~
というのも 私の誕生日の11日前に無事に娘を出産したばかりだった。

予定よりも3週間と6日早く 私に会いに来てくれた娘。予定日通りの出産なら、私の誕生日後に生まれるはずだったので、42歳で妊娠 43歳で出産になるはずのところを、42歳で妊娠と出産をすることが出来た。

「高齢出産」という呼び名が外れるわけではないが、1歳でも若くに出産出来た事は喜ばしいので 早くも親孝行な娘である。

そんなわけで、初めての出産と、その後の日々の寝不足と切開した場所のみならず、全身の痛みを感じるなか 自分の誕生日を祝うとか 本当に重要ではなかった。

6月も引き続き寝不足の日々。
沖縄から来てくれる予定だった両親は、コロナの影響で来れず。誰の助けも得られない中、私と彼だけでの育児は口論続きだったなー。
お互い寝不足だし、身体中痛いし、不安だしでずっとピリピリしてた。
でも 6月後半からの2週間、アメリカの別の州に住んでいる私の姉が来てくれたことで、だいぶ楽になった。私も彼も本当に救われた気分だった。

7月は、衝撃の悲しい事実を知った月だったね~。とても信頼していた人が、実は私達を騙していたということがわかったの。
凄くショックだったし、心底ガッカリした。
気持ちの切り替えに時間がかかった月だったね。後、娘の検診に私は行けなくなったこと。
コロナの感染者数が高く、クリニックに入れるのは親1人のみ。ってなったら英語が完璧でない私よりアメリカ人の彼に行ってもらった方が安心だよね。でも、これも腹を痛めて産んだ母としては 正直辛かったね~

8,9月は 娘も昼夜逆転がなくなってきて、彼女のルーティーンを作り始めた時。
コロナでどこにも行けないし、人にも会わないから、それが逆に良かった。1日の流れを作りやすかった。
そして ようやく私の体も痛みがだいぶ無くなってきた。何も考えずにトイレで用を足せるって素晴らしいよね! って毎回思ってた。

10,11,12月はずっと気持ちがさーさーしていた。(落ち着かないって意味ね 笑)
クリスマスのプレゼントを考えて、準備しないといけない。彼と娘以外にも 両親や姉家族、祖父や親族、友人達の分まで準備する。
またThanksgiving やクリスマスの食事も考えないといけない。気持ちが焦る月だったねー。

1月にはまた 姉がヘルプに来てくれたから、本当にありがたかった。彼も育児には協力的だけど、ヤッパリ新米パパ。
私よりもずっと年下の彼は、娘の事には恐ろしい程神経質になる。経験者の姉の存在とアドバイスは、安心感が違う。
それでか、姉が来て2日後に、私はゲーゲー吐いて、熱発してダウン。
ずーーーっと 緊張しながら娘を見てる事、彼との意見の衝突の日々の口論で、きっと思ってる以上に 体は疲れてたんだはず。
身内が来てくれて、安心したんだろうね。
2日ゆっくり休ませてもらったら、すっかり良くなった。コロナに感染してたらどうしよう って不安もあったけど、そうではなかったから安心した。

2月くらいから、ちょこちょこ家族で出掛けるようになった。娘も離乳食が少しずつなれてきて、出掛け先で一緒に食べる。
夢に描いた家族像。
普段からも、娘との日々に幸せを感じてるけど、外で味わう 違った感じの幸福感。
順調に成長する娘とは対照的に、安定の肥満横ばいの体にはため息ばかりだよ。

3,4月も結構出掛けた。
有名なテーマパークにも行ってきた。
沢山歩き回って、老い を凄く感じた。ってその前に凄い運動不足だはず。本当に疲れやすくなってる。

そして5月。
母の日に始まり、娘の誕生日、私の誕生日。
彼曰く 出費がたいへん...らしい。(笑)
今まで 5月は私の祝の月だった。
それが、娘の祝いまでもプラスされちゃうなんて!
幸せすぎる!!

そして 43歳最後の日。

色々予定が入ってたの。
朝から娘の受診予約が入ってて、約1年ぶりに私もクリニックに入れた。コロナの感染者数も減ってきてるから ということでだ。
嬉しくて 泣けてきよった。

その後ランチにケーキ屋、娘離乳食用野菜を買って、最後にbaby storeに行く予定が...彼の仕事が入ってランチ食べて終了。

ケーキもなけりゃ、この日を実りある1日として過ごすこともできねー。ランチから ずっとバタバタ。帰宅後も落ち着かなくて、疲労感がどっとあふれでる。

彼は、私に夕食も準備してたみたいだが、今はとにもかくにゆーーーくりしたい。私の願いは それだけだ。
結局二人とも疲労ぎみで、夕食は次回ということになった。

娘を寝かしつけ 色々思い返す。

長いようで、あっという間の1年だったと。
あっという間だったけど、彼と口論が増えた。
彼との口論は、娘を思うがゆえ。
娘がいてくれたことで家族の絆が強くなった。

娘中心だった 私の43歳の年は本当に幸せいっぱいの年だった。人として 若干優しくなれてるんじゃないかな~
娘の成長と共に、親も一緒に成長した1年。

そうこうしてるうちに、気づけば 日付も変わって、44歳おめでとう自分!!

この1年も沢山の笑顔と素敵な思い出と、少しづつでも色々挑戦していく1年にしていこう!

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