自分じゃなくてもいいデザイン
デザインの楽しさ
「デザインって何が楽しいんですか?」
そうちょっと怒りながら話す女性デザイナーと出会った。
10年近くものキャリアを持つデザイナーなのに、楽しいデザインなんてそんなものがこの世にあるのか?といった風情でかなりやさぐれながら、苦しそうな表情で僕に聞いてきたのです。
仮に彼女を「やさぐれA」とします。笑
ラフの提案時に、自分的にはこうした方がいいものになると思うんだけどというデザインパターンを、定番の提案に混ぜた方がいいよとアドバイスした別の女性デザイナーからは、「いいんです。どうせ通らないので無駄なんで」と言われたこともあります。
仮に彼女を「やさぐれB」とでもしましょうか。笑
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僕はデザイナーとしてスタートした時から、自由で奔放なディレクションを満喫させていただいていました。
時は90年代。
ネヴィル・ブロディやデビッド・カーソンにインスパイアされて、アートに近い大胆さやダイナミックさがデザイン・コミュニケーションの手段とされていた時代に、僕はデザイナーとしての産声を上げたのです。
そんな時代の格好良さから受けた刺激をそのまま、自らのクリエイティブに反映させることを許された環境だったのですから、それはもう自らのアイデンティティを模索する間もなく僕のデザインは、狭いながらも周囲に認知されていきました。
会社が倒産してフリーランスを始めた時にも、その時の僕のアイデンティティが僕にたくさんの仕事を運んできてくれましたから。
家族とともに京都から茅ヶ崎に越してきて、恵比寿にアロハデザインオフィスを構え、その後10年以上もフリーランスのデザイナーをやって家族を養えてこれたのも、自由で奔放なディレクションを満喫させていただいたスタート時代の仕事があったからこそなのです。
そして、何物にも囚われず、自由にデザインしてこそ、あなたのデザインだと認めてもらえると信じるに値する時代でもありました。
振り返れば、僕のデザイナーとしての大半は、僕のデザイン・センスを期待していただける指名によるお仕事だったのですね。
自分じゃなくていいデザイン
色々考えることもあって、11年続けたフリーランスの看板「アロハデザイン」を一旦たたみ、小さな制作会社へ入社しました。
そこで出会ったのが、冒頭の「デザインって何が楽しいんですか?」と聞いてきた「やさぐれA」でした。
それまで僕は僕を求める人としか仕事をしてこなかったので、制作会社の中の1デザイナーという立ち位置に戸惑いました。
つまり、その仕事はその制作会社に入ってきた仕事であって、そのデザインは会社の中のどのデザイナーがやってもいい仕事なんですね。
これには驚いたし、自分のアイデンティティは僕個人のモノではないという現実にショックを受けたくらいでした。
いやそれどころか、自分のアイデンティティなんて必要ないのかというほどの現実に立ち尽くす感じでした。
彼女が楽しいと思えないことに納得するような現場がそこにはあったのです。
しかし同時に、僕個人としては、会社を背負って受ける仕事の大変さも経験させてもらったと思うのですね。
それはフリーランス時代には経験できなかった大変さでしたから。
そこでは、その「やさぐれA」に随分と助けてもらったし、年齢的にも会社のポスト的にも僕は先輩であり上司だったのですが、ある意味そういうスタンスの仕事では彼女の方が先輩だったのですからね。
それでもなんとか、最終的には自分じゃないとダメという評価をもらえるような大きな仕事を任されて、それをなんとか納めて次の制作会社へ移ったのですが、そこではもっと露骨な「あなたじゃなくていいんですよ。デザイナーは言われた通り修正してればいいんです」的な扱いを受ける現場でした。
そこで出会ったのが2人目の「やさぐれB」でした。
やり甲斐を取り戻すために
ここでは僕は根気よく、そうじゃないんだと諭しながら、僕がやってもいいデザインでも、わざわざ部下のデザイナーに与え、考えさせて、彼女らの感性を反映させるディレクションに腐心しました。
そこでの僕の直属の部下にあたる「やさぐれB」も、とても力のあるデザイナーなのに、デザインを楽しむことをやめてしまっていましたから。
そしてその部内改革に必要だと一年後に呼び寄せたのが前出の「やさぐれA」でした。
僕は彼女の能力もセンスも買っていましたから、自身のデザインに自信が持てないという彼女にこの部署の変革への大きな役割をお願いしたのです。
それは僕がお願いすることに常に賛同して、自分が良しとするデザインでポジティブに取り組んでほしい、ということでした。
力のある彼女がそこで前向きに大きな力を発揮することで、周りのデザイナーもそういう姿勢になると思っていたからです。
彼女はそれを快諾してくれて、2人で部内の意識改革に乗り出した頃には効果は徐々に現れていました。
時期的にもそれまでの苦心惨憺が実り出してた頃だったのかも知れませんが、それまで無駄なことはしないと決めていた「やさぐれB」も、僕にはとても出来ないようなアイデンティティをデザイン上に発揮し出していました。
元々持っていたデザイン力を遺憾無く発揮出来る精神環境に徐々になっていったのですね。
そうなると、クライアントも、この会社に発注しているにも関わらず、デザイナー個人のセンスやパーソナリティに頼ってくれるようになるものなんです。
「やさぐれA」も「やさぐれB」も僕にたくさんの世界を見せてくれました。
2人の生み出す僕にはないデザインセンスも勉強にもなったし、一丸となって頑張れる、最大級の信頼に値する仲間になってもくれたのですからね。
そして僕らの部署はとても上手くいって、大きな信頼を勝ち取れる集団に育っていったのです。
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社長と対立するなどの事情があって、全員が辞めてしまった顛末は残念でしたが、僕の中で、自由奔放に信頼を勝ち取っていたと思っていた自らのデザイン現場とはまったく違う現場があるということを知ったし、「デザイナーは誰だっていいデザイン」をしないといけない現場があることも知りました。
そんな中でも、諦めずに頑張れば、デザイナーとしての個人の信頼を勝ち取ることも可能なんだと2人のおかげで実感することも出来ました。
信じていることがあるとすれば、どんなデザイン労働環境にあろうとも、デザイナーは個人のアイデンティティで信頼を勝ち取ることは可能になるということです。
残念ながら、不幸も重なり、絶望して、頑なにそうじゃないと思ってる人はもうそれでいいと思います。
でも、僕と一緒に仕事をする限り、それが信じられるデザイナーになって欲しいなといつも思ってやってきたんですよね。
結局のところ、労働に対する喜びは、きっとそういうことなんだろうと。
だから今でも、その「やさぐれABズ」には感謝の気持ちでいっぱいなんです。w
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