見出し画像

甘美な妄想の効用

試してみたい欲望

小さい頃に、兄弟のいる身としては、ケーキのホールを一人で自由に食べてみたいなーとずっと思っていました。
大人になって一人暮らしを始めた時に最初にやったのがそれでした。
もちろん食べきれるわけもなく、半分あたりでギブ。
さして新たな世界が拓けたような感動もなく、人はどんなに意気込んで始めたとしても、結局のところ飽きる生き物なのだなと実感して終わるのでした。笑

ケンタッキーを食べる時、大体は多くて2ピースとポテトやらビスケットやらというチョイスだと思います。
貧乏だった学生時代に、「もうええわ!」って思うまでピースを食べてみたいなーと思ってました。
成人してまとまったお金が入るようになって初めてやったのが、彼女とケンタッキーに入った時に10ピース頼んでどれだけ食べられるのか試すことでした。
もちろん食べきれるわけもなく、6ピース目の途中でエグい満腹感とともに「もうええわ!」と。
さして新たな世界が拓けたような感動もなく、これまた人は飽きる生き物なのだなと実感して終わるのでした。笑

憧れや未知なものに対しての果てしない欲望が甘美な妄想となって人を翻弄します。
しかもこの甘美な妄想は、実際にはそれほどの高揚感と満足感をもたらすものではなかったりします。
でも、どうしても実現したい、経験してみたい、という甘美な妄想は、たとえ結果無益であったとしても、周囲に迷惑でないなら経験するべきだと僕は思うのですね。

人の予測や判断処理の基軸は経験値だったり慣習だったりします。
かたや甘美な妄想は、経験上に育まれるものではない、まったくの想像で形成されるものです。
本来まったく正反対の性質を持つ両者なのに、甘美な妄想を経験値や慣習で縛って封じ込むことは不可能だし理不尽なのだと思うのですね。笑

無意味なことなんてない…と思う

甘美な妄想や欲望は、大きな推進力やエネルギーになったりします。
それは様々な場面で生まれてくる途方もないエネルギーでもあり、時に人を犯罪や破滅にまで導いてしまうものでもあります。
そんな強力なモチベーションを、プラスのそれに利用しない手はないのではないか。
そこで得る経験値は、「人生無駄なことなんて一つもないさ」という能天気な観点で見ると、それらの経験を得るまたとないチャンスでもあるわけです。笑
甘美な妄想をあらかじめ選別して、これは試しても無駄、これは有益、などと決められないからこその妄想であり欲望なのだから、いざ、有益な妄想があったとして、それに出会うためにはドンドン試すということが大切なんだと思うのですね。

小6の時に吉田拓郎さんと中村雅俊さんに憧れて曲を書いて弾き語りたいと思いギターを買いました。その趣味は40年以上やってきました。
高1の時にイーグルスとドゥービーブラザースとリトルフィートとサザンオールスターズと柳ジョージさんに憧れてバンドを組みました。その後20年以上やりました。
22歳の時、アメリカに行きたい!と思って60回ローンを組んで約1ヶ月間単身ロスへ行きました。帰国後、あんなに憧れてたアメリカは憧れではなくなりました。笑
当時はまだJリーグが始まる前の時代でしたが、サッカーチームを作りたい!と思い、外人ばかりのサッカーチームを作りました。その後サッカーブームも訪れて10年以上楽しみました。
デザインやりたい!と言ってパワーマックを購入していきなり本一冊デザインしたり。それから30年以上デザインやってます。笑

有益の定義は様々で、人生に意味をもたらすものかも知れませんし、大きな経験値として生きる道標になるものの場合もあるかも知れません。
取り立てて有益さは感じられない、ただ経験しただけ状態だとしても、それも立派な経験値なわけで、二度とそのような欲望が甘美に嗅ぐわないことを知れるのですから。笑

だからこそです。
シンガーソングライター憧れギターも
バンドマン実現も
アメリカ決別旅行も
サッカーチーム発足も
ケーキのワンホール・チャレンジも
ケンタッキー・マラソンも
みんな経験してみればいいんですから!
それで得ることは、あると思う…のです。
いや、案外楽しい人生を送れるのではないかとも思ったりね。笑



こんな時代だからこそ、魅力的なことをやってきた人の今とこれからへの想いを聞きたい!これから何かを目指して進もうとしている人に、そこに立つ人の願いのような想いを届けるべく、WEBマガジン「STAY SALTY」を作りました。想いを同じくする方のサポートよろしくお願いいたします。