【企画】「私の心に残る旅」〜14歳のロビンソン・クルーソー
チェーンナーさんの企画を、私がプレゼンターとして担当しました。
さて、私の「心に残る旅」です。
私にとっては今までのどの旅も特別なものですが、
あの旅ほど記憶に残る旅はない、と思えるものをご紹介します。
みなさんは「無人島に持っていくとしたら、何を持っていくか?」と聞かれたら、何を持って行きますか?
今なら「携帯とwi-fiルーターと充電器」となると思いますが・・・
今回は、私が中学生の時にカナダの無人島で10日間過ごした時のお話です。
携帯のない時代のお話です。
私は無人島に何を持っていったのでしょうか?
うまくまとめきれず、長いのですがお付き合いいただければと思います。
*
中学2年生の夏休みに、知り合いのカナダ人を訪ねてカナダへ行きました。
幼馴染と女の子二人の約3週間の旅。
両親は英語の勉強と、社会勉強ということで送り出してくれたのだと思います。
カナダのバンクーバーに住む知り合いがセッティングしてくれたのは
・バンクーバーから車で北上
・バンクーバー島の北端から飛行機でBella Bellaという村へ
・Bella Bellaという村主催の青少年用サマーキャンプに参加
というのが旅の計画でした。
キャンプ以外はこの知り合いの夫婦が連れて行ってくれます。
夏の爽やかなバンクーバーは、大都市なのに自然と見事に融合した
「澄んでいる街」という印象でした。
そこからフェリーでバンクーバー島へ渡り(バンクーバーはバンクーバー島にはない)、車で北上します。
北上、といっても東京から広島くらいの距離なので途中でキャンプをしたり、モーテルに泊まりながら移動しました。
「テントの中に食べ物を持ち込むと、夜中にクマに襲われる可能性があるから気を付けて」と言われて怯えたのを覚えています。
カナダはネイティブカナディアンの文化がたくさん残っていて、
色使いやデザインがアメリカインディアンとは全く違い
シンプルなんだなぁ、と感じました。
一概には言えませんが、その違いが今でも色々なところに表れている気がします。
途中の漁港ではホエールウォッチングの船に乗り、
クジラを見るのだと思っていたら、キラーホエール(シャチ)だったのにも
驚きました。
そして6人乗りの小型飛行機でBella Bellaという村へ。
人口200人の小さな村、というのは聞いていました。
その小さな小さな空港へ降り立つと、そこにいたおじさんに声をかけられました。
「君ら、日本人?」
日本語で!
(今だったら「こんなところに日本人」の番組に出てるんじゃないか・・・)
聞けば、この村はニシン漁が盛んで
このおじさん(鈴木さん)は日本の商社から出向して
日本に数の子を輸出しているということでした。
むしろ鈴木さんの方が驚いて
「なんで日本人の中学生がこんなところに来たのよ」と言われました。
この村はネイティブカナディアンの人たちが住む村で、
先住民保護区として、若い世代に文化を受け継ぐことを大切にしている、ということも教えてもらいました。
私たちが参加するサマーキャンプも
カナダの先住民の文化を子供たちに教えてくれるキャンプなのか、とわくわくしました。
世界の色々な国から子供が集まるのかなぁ・・・と。
その日の夜、「歓迎のダンスパーティーがある」と言われ、
村の集会場のようなところに招待されました。
先住民のダンスってどんな感じなんだろう?
ドアを開けると、薄暗い部屋の中で爆音のヒップホップ。
先住民のダンスではなく、カナダのティーンエージャーのあつまるクラブのダンスでした。
ナンダヨ!
翌日、集合場所の港へ。
どうやらキャンプ地には「船」で向かうそうです。
船・・・
目の前にはどう見ても「ひっくりかえした箱にモーターがくっついてるもの」が浮かんでいました。
それに乗り込むと、5,6人の同年代の子どもたちと、
おじさんとおばさんとおじいさんが一緒に乗ってきました。
「他の国の子どもたちは・・・?」ときょろきょろしている間に
箱にエンジンがかかり、桟橋から離れて・・・
えっ!?
なんと、キャンプに参加するのは
「地元の子どもたちと、遠い日本から来た英語あんまり通じない女の子二人」
な、なんか思っていたのと違う??
なんせ小さい村です。
他のメンバーは毎日のように顔を合わせているようです。
拙い英語でなんとか自己紹介をしました。
向こうは向こうで「なんでこんなところに日本人がいるんだろう?」という顔をしていました。
箱船に乗って早30分経過。
Bella Bellaの村はすっかり見えなくなりました。
360度、水面のみ。
しばらくすると両脇に陸地が。
「この辺でキャンプするのかな?」
と思うも、船はどんどん進みます。
気が付けば2時間。
「2時間も北上したらアラスカなんじゃないの?ここ!!」と
半ば本気で焦っていました。
はじめのうちは針葉樹が生えていた陸地も
徐々にただの岩だけになってきたし、
驚きを隠せなかったのは、その岩の上にアザラシがたくさんいたこと。
いやもうここアラスカだよ!!!!
(後になって地図を見てみたら、アラスカまではまだまだ遠い所でした。)
数日前に見たシャチの姿も頭をよぎります。
こんな箱舟、攻撃されたら一発だ・・・。
そうして2時間半。
目の前に、一つの島が見えた。
砂浜の少し奥に小さな小屋があり、その後ろは鬱蒼とした森。
砂浜の左手には座礁した小型の船。
それから、座礁して大分時間がたったクジラの骨。
まるでカリブの海賊です。
この島に桟橋はなく、
浅瀬の沖に船を泊め、各々荷物を担いで島に上陸しました。
荷物の中には大量の飲み水も。
えーと、ここがキャンプ地?
無人島で10日間過ごすの?
聞いてないんですけど!?
なんだかよくわからないでいると、
なんと、おばさんが箱舟で沖へ戻ってしまった!!!
こうして、日本から来た14歳の私は
異国の無人島に連れてこられて、置き去りにされたのです(笑)
小屋の中にはガスボンベと発電機があり、
最低限の明かりと料理はできました。
ただ、水道はないので飲食用の飲み水を持ってきていた、というわけです。
シャワーはなく、石鹸で洗うと自然によくないので
10日間は雨水をためたもので髪や身体を洗いました。
ただ、日本と違って湿度がまったくないので
あまり洗わなくても不快感がなかったような記憶があります。
トイレは小屋の裏側の森の中にあるお手製のトイレ小屋を使用。
食事はというと、あまりよく覚えていませんが
小麦をこねて揚げパンをよく作っていました。
魚や肉は現地調達です。
魚はというと、ボートで少し沖へ行って
餌を付けない状態で釣り糸を垂らすだけで
アラスカサーモンがじゃんじゃん釣れました。
彼ら曰く「この辺の魚は人に慣れてなくて「頭が悪い」から、すぐ釣れるんだよ」とのこと。
肉は、鹿です。
キャンプの責任者のおじさんが猟銃で仕留めて、解体してくれました。
その間、子どもたちも一緒に手伝いました。
始めは衝撃しかありませんでしたが、
徐々に周りの子たちとも打ち解け、楽しいと思えるようになってきました。
この島にはカヤックで旅をする人たちが立ち寄ることもあり、
キャンプの火を囲んで話すこともありました。
Bella Bellaで一旦分かれた知り合いの夫婦もカヤックでこの島までやってきました。
そうして半分が過ぎた頃、
島の周りを探検しようということで
崖のようになっている岩場を歩いている途中で
私は足を滑らせ、3メートルくらい下の岩に落下してしまいました。
帽子をかぶっていたので頭は無事でしたが
腰を強打してしまい、気を失いました。
一緒にいた幼馴染は、私が死んだと思ったらしく
ショックで大泣きしたようです。
折れたのか?どうなったのか?
最寄りの村から2時間半のところで、私はどうなるのか??
なんとも有難いことに、
ちょうどその時、島に立ち寄ったカヤック旅行の人たちが
カナダの医師と看護師のグループでした。
すぐに応急処置をして診てもらい、病院へ搬送するかを検討してくれました。
幸い折れていなかったらしく、かろうじて歩くことはできました。
が、かがんだりしゃがんだりが全くできず
私としては病院へ連れて行ってほしかったのですが
残りの3日を無人島で過ごすことになりました。
これって、今考えるととんでもないことだし
帰ってきて両親に話した時も相当なショックをうけていました。
ただ、その時は最善の策だったのだろうと思います。
お医者さんも看護師さんも滞在を延ばして私を看てくれました。
彼らがいなかったらどうなっていたかと思うと、おそろしいです。
そもそも、腰じゃなくて頭を打っていたら・・・。
終わりよければ・・・とでも言えばいいのか、
今、私は健康でここにいるのであの時の事をあまり細かく覚えていません。
あの怪我がなければもっと楽しめただろうし、
キャンプで一緒になった友達とももう少し仲良くなれたと思います。
島からBella Bellaへ戻ってきて覚えているのは
無人島では食べられなかったコーンフレークがとても美味しかったこと。
村の長老のおじいさんがおみやげに段ボールいっぱいのかずのこ(冷凍)を持たせてくれたこと。
鈴木さんが車いすを手配してくれて、飛行機に乗せてくれたこと。
幼馴染が靴下から何から全部着替えを手伝ってくれたこと。
自分では何もできない状態だったので
全てを誰かに手伝ってもらいました。
あの旅で、私が感じたことは
「誰かに助けてもらえる有難さ」でした。
思春期で世の中全部つまんない、気にくわない・・・なんて思っていた私でしたが
この旅を境に、少し成長できたような気がしました。
自分の変化を客観的に、具体的に、
しかも幼い頃の事を思い出すのは難しいですが
確かに私を変えた旅でした。
後日談1:
帰国後、すぐに精密検査をしましたがどこも異常は見られず、
数週間後に台湾旅行に行った時に紹介してもらった台北にある整体の先生にかかって、無事治りました。
ただし5,6年は腰痛を引きずっていました。
後日談2:
この旅から二十数年経ったある日、
カナダのおじさん夫婦が日本へ遊びに来たので、旅の思い出を語らいました。
おじさん曰く「いやー、あんなサバイバルなキャンプだとは思ってなかったよ」
後日談3:
あれ以来、私は岩場は絶対に歩かないようにしています。
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