見出し画像

乳がん治療について

わたしが経験した乳がん治療について書いておこうと思います
今、現在乳がんと分かり戸惑い、どう進んで行ったらいいのかと
不安にある方に少しでもお役に立てたらと思います

診断から治療説明への流れ

異変に気付き病院へ行ったその日にマンモとエコー検査を行い、その日のうちに細胞検査まで進みました
細胞診はメスで小さく切り口を創り、そこにピアスを開けるピアッサーのようなバネの勢いで針がパチンと刺さるもので細胞を採取します
わたしの場合はこの時点で脇にもしこりがあったため、乳房と脇の2か所
細胞を取りました

検査結果は1週間後
結果はステージⅡb ホルモン陽性 進行力の強い癌であるとわかりました
脇からも癌が検出されたのでこの時点で転移が認められました

頭が真っ白になる中、今後の治療方針が淡々と説明されていきます
わたしの場合、付き添いはない状況下での治療となって行く条件下だったのですがとにかく、ショックと死という恐怖で先生の説明など頭に入ってこない状態でした

癌の勢いがあるということなので、まずは抗がん剤(化学療法)からスタートすることになりました
出来る限り小さくしてから手術しようという先生の考えだったようです

抗がん剤

抗がん剤は2種類で各4回ずつ
2週間ごとに点滴で投与することになりました
多くの場合、3週間ごとだそうです
これは後に知りました
結構、ハードな治療スケジュールだったと看護師さんから告げられました

癌と分かってから2週間後に抗がん剤が始まりました

1回目だけ1泊入院で行われます
何の反応もない人もいるよと言われているなか
投与中、鼻と目の奥につーんとした強い痛みが走り、めまい、頭痛も起き始め投与を一時中断することになりました
少し時間をあけてゆっくりゆっくり点滴を落すかたちで再開し、投与し終わるまで数時間かかりました

投与が終わったら病室へ移動し、1~2時間経ったあたりから
強烈な吐き気と悪寒に襲われひたすらトイレに駆け込み
顔をトイレに突っ込む・・・
昼食と夕飯は口につけることすら出来ない状況でした
食べ物の匂いも吐き気を誘って辛かったです
つわりを経験しましたが、比較にならない吐き気です

吐き気止めの飲み薬を出してもらっても効かず、また4~5時間
トイレとの往復
夜10時ころにようやく点滴での吐き気止めが効き、睡眠薬をもらって
数時間眠りにつくことができました

朝にはほぼ吐き気も治まっていて、退院できました

前日までランニングや登山をしていたような身体とは思えないほど
身体は重く、めまいやだるさが強かったです
翌日に白血球を増やすための注射を打ちます
この副作用に発熱や関節痛があり、追い打ちをかけます

2日目から洗髪時に髪が抜け始めました
舌も真っ白な苔で覆われ、味覚がどんどん変化していきます
お水ですら不味く抵抗してしまう状況となりました
ここから口に出来る物を探すのに随分、苦労しました

吐き気は止まることなく、ずっと続くのでSNSなどで経験談などを読み漁り食べられると書いてあったものを試すという方法にしました
自炊する程の時間は立っていられなかったので、スーパーのお惣菜
冷凍食品に頼ることにしました
本来は手作りのものがいいのは当然なんですが、そんなことを言っていられるような状況ではないので『買う』という風に割り切って行きました

そんな中、食べることが出来たのが 『うなぎ』だったんです
タレが良かったのか何だったんでしょうか
うなぎだけは味が『美味しく』感じられ食べられました

酸味のあるものも食べやすかったので
鍋のようにカット野菜を湯がいてポン酢で食べたり
すし酢の粉を買ってお米にまぶして食べたり
とにかく何でもいいから口に運べるようにすることだけを
考えていました

水分は炭酸水や牛乳、ピルクル(乳飲料)、トマトジュースが何とか飲めるというものでした

もう一つ、食べることが出来たのが『マクドナルド』です
ほんとに不思議なんですが『ビックマック』一択です
ケチャップやソースなどがなく、ピクルスの酸味が良かったのかなと今は思います

スイカやバナナは比較的食べやすかったように思います
水分補給も含め、スイカを少しずつ食べるようにしていました

突然また強烈な吐き気に襲われ、救急で吐き気止めの点滴を打って頂いたりもしました

たった数日で体重が激減し
目が落ちくぼみ、肌の色も茶色くなり
このまま死んでしまうのかも・・と自分の姿をみて内心不安でした

それでも抗がん剤から1週間が過ぎると少しずつ、吐き気が治まり始め、身体も軽くなり始めます
その間にほんの少し散歩に出かけたり、食べられるものを買い込んだりと
動くことが出来るようになりました

身体が軽くなった!と感じる頃に次の抗がん剤投与となります
また、寝たきりへと逆戻り・・・精神的に追い込まれる期間でした

抗がん剤折り返し地点
薬の種類が変わると副作用も変わります
今度は吐き気はないのですが、全身の骨という骨が痛み立ち上がれない
熱が引かない
苦痛のあまりほぼ布団から出ることはできませんでした

それでも次の抗がん剤の頃には何とか動けるようになる
そして、また寝たきりになる・・・
拷問と言いたくなるような精神状態もズタズタです

ただ、それも拒むことが出来ない治療なので『終わる』まで耐えるのみだと自分に言い聞かせていました

髪は想像ではごそっと抜けるのか思っていましたが、わたしの場合は
洗髪時や髪をタオルで拭いている時にバラバラと抜けるというタイプだったので落ち着くまで時間が掛かるように感じました
毎日毎日、シャワー後大量に抜けた髪を掃除するメンタルの方が持たないなと判断して2回目の抗がん剤から数日後、丸刈りにしました
これは今でもこの判断で良かったと思っています

眉毛もまつ毛もどんどんなくなって行き、爪も黒く変色していきました
抗がん剤の副作用でもある、手と足の痺れも強く出ていました

落ち着いてから知ったことですが、抗がん剤投与の際に、着圧ソックスや手袋をして保冷剤で冷やす、眉も頭皮も保冷剤で冷やすと爪の変色や痺れ、脱毛まで軽くすることが出来たようです
人によって効果はマチマチだそうですが
当時はそこまで調べる余裕がなかったので病院で事前に教えてもらえたら良かったのになと思いました

効果が立証されていないという理由で病院では伝えないそうですが、保冷剤や着圧ソックスなど自前で持ち込んで対処している患者さんもいたそうです

爪も髪も時間が経てば元に戻るとはいえ、痺れに関しては人によっては治らず残ってしまうこともあるそうなので、その予防としては大切なことだと思います
わたしは幸い、痺れがほぼ治まってくれたので良かったですが、ピーク時は
物を持つのも歩くのも痛く辛いくらいでした

『辛さ』はその当事者でないと本当にわからないものです
病院では立証されていないとか治る人もいるよ
軽い人もいるよと言ってくれますが、実際に体験する側にとっては大きな予防法です
もっと積極的に予防法を伝えてほしいと思います

そして、もうひとつ抗がん剤の副作用を早く乗り切るために
わたしがしたのは、泡の歯磨き粉です
舌に白い苔がある間は味覚異常が強いので食べることが困難になります
免疫が落ちていくため、口内炎も起きやすく通常の歯磨きをしていると
出血もしやすくなります
そこで歯茎をマッサージする柔らかい歯ブラシと泡の歯磨き粉で
何か口にしたらすぐに洗うようにしていました
そうすると白い苔が取れやすくなり、味覚異常を最小限で抑えられたように感じています
口内炎は一度も起こすことなく終えることができました

癌の治療で一番辛いのは抗がん剤です
この間はとにかく自分のペースを優先して無理をしないこと
副作用が最小限になるように出来る限りのことをすること
少し楽な時に歩くことが大事です

家族や他の誰かに気を使ったりする余裕はなくなりますが
それでいいと思ってください
ものすごい闘いをしているのは当事者です
わがままだとかそういうものには値しません

髪が抜けたり、見た目に変化が出たり
出来ていたことが出来なくなったり
心がボロボロになることの方が多い期間ですが、
抗がん剤を終えることが出来れば必ず、髪も生え出し
身体も楽になって行きます
今、わたしもその段階です
まだまだ、帽子のない状況で外には出れませんが、ちゃんと髪は生えてきていて、爪ももとに戻りつつあります

そういう日を迎えられますので強い気持ちで乗り越えてくださいね

手術 (右乳房全摘)

抗がん剤が終わってから3週間後に手術ということになりました
ここで一番、辛い選択がありました
抗がん剤で乳房にあった癌が綺麗に消えました
脇には残りましたが、それでも小さくなってくれました

そこで突然、『部分摘出でも全摘でもどっちでもいいよ』と投げかけられたんです
そもそも事前に手術の説明はなかったので勝手に全摘だと思い込んでいたのもあるのですが、急に現れた選択肢に困惑してしまいました
すでに、転移が認められてスタートしているので乳房を残すことに再発のリスクはないのかと不安になったのです
そのことを先生に質問したところ『どっちでもリスクは一緒』と冷たいとも取れる返事が返ってくるのみ
戸惑っているわたしに苛立ったのか、『もうあなたはいい大人なんだから自分で決めなさい。決めないと手術の予約が出来ないから!』と衝撃の馬頭が

身体の一部を取るということはそんなに簡単なことではないと思います
部分摘出も癌の位置によっては綺麗に整形できないことなど
丁寧な説明は皆無でした

ただただ、『どっちか、早く決めろ』という態度に虚しく、悲しい気持ちでいっぱいになりました
見兼ねた看護師さんが『1週間ゆっくり考えて答えを出してみたら?』と声を掛けて下さったので時間を取ることにしました

1週間という時間で出来る限り、色んな症例を調べてみたりSNS上で発信されていた乳腺外科の先生に質問してみたりしながら答えを出して行くことにしました
やはり、少しでも再発の不安を払拭したいという思いと綺麗に再建出来ない可能性が高い位置であるということを理由に『全摘』という決断をしました
このことに関しては今でもどちらが良かったのか分かりません

担当医にもう少し相談できる環境であれば良かったのになと思います
この医師にとってわたしは数ある症例のひとつに過ぎないのだろうと思ってしまいます

患者にとってはすぐに次のいい医師が見つかる保証もないわけです
どんなに理不尽な対応をされても『もういい』と治療を断ることが出来ないのが現実です

手術方法が決まってしまえば、淡々とその日を迎え、あっという間に手術も終わります
想像より麻酔から目覚めても痛みは強くありませんでした
ただ、わたしは持病に喘息があったため、挿管していた刺激で喘息発作を起こしてしまいました
咳による刺激で傷が痛むという苦痛が1日ほど続きましたが、吸引処置をしてもらってからは咳も治まっていき通常の入院生活がおくれるようになりました

入院は10日間
腕を伸ばしたりするリハビリを数日受ける程度で抗がん剤に比べれば
ほんとに楽なものでした

退院してからの方が日常生活に戻るため、物を持ったり、無意識に行動した反動で痛みが起きることがあります
これは今でもまだその最中というところです
そして、全摘を選択したことで乳腺を摘出する際に神経もすべて
レーザーで焼いてしまうため広い範囲でビリビリとした痛みが残っています
このことも術後、そういう症状が残ると知らされました

もし事前に知っていたら全摘を選択していたか、迷うところです

全摘を選んだため、リンパ節切除の傷はなく、横一直線の傷のみで済んだというのも事実です

再建手術を望まなかったので、少しえぐれたような膨らみを失った胸がこれからの『わたしの姿』となりました
初めは抵抗がありましたが、少しずつ受け入れることが出来るようになっているように思います
今では『頑張った証』と思えることもあります

傷はしっかりクリームやオイルを塗るようにして出来る限り綺麗に治るように心掛けています
乾燥する程、傷が固くなって腕の可動域も狭くなっていくので保湿は大事だと思います
多少痛くても腕をしっかり伸ばす柔軟体操をしています

これまで胸があったお陰で気付かなかったことがありました
それはちょっとぶつかるだけで肋骨に直撃するということ
これはものすごく痛いです
傷が痛むというのもありますが、ダイレクトに骨に衝撃が行くのは
脛に物がぶつかるのと似たようなものだと想像してもらえたらいいかと思います
胸ってエアーバックの働きでもあったのだと驚きです

その対処として本来は必要ないと思っていた、シリコン製のパットを購入し『エアーバック』と称して愛用しています
これはとても安心感があり、ショルダーバックやふと屈んだ瞬間に自分の膝と胸が触れる時も痛みを感じることなく過ごすことが出来ています

元の胸の大きさによっては服が偏ったりするのを防いでくれるという役割もあるようです
再建を選択しない場合はそういった対処法もあると知っているといいかも知れません
再建となると方法は色々あるようですが、スタンダードなのが背中から脂肪を取ってくるという方法のようです
その場合、背中に大きな傷が出来てしまうそうです
胸の膨らみは得られるものの手術跡が残るというのも何だかすっきりしないなと思えたのも再建を選択しなかった理由でもあります

わたしが術後取り入れたのは、テーピングによる傷の保護と
市販薬であるアットノンをたっぷり塗ることでした
これは個人的にしている事なので医学的に保証はありませんが、自分のなかで少しでも傷が綺麗になるようにと選択して行っています
その効果かどうかは分かりませんが、傷はとても細く綺麗になっていると思います
先生の腕の良さかも知れませんが・・・

ホルモン療法

術後1か月が経ったころからホルモン療法が始まりました
ホルモン陽性の癌であることから女性ホルモンを完全に止めてしまう必要があったからです
ただ、この治療が必要だということを知ったのは手術をして入院していた頃突然さらっと告げられました
正直、『まだあるの?』と思いましたがとにかく、宣告された時にいかに動揺し今後どんな治療の流れになるのか質問出来ていなかったかとふと感じてしまいました

ホルモン療法は3か月ごとにおへそあたりの皮下脂肪に注射でお薬を投与するものと
毎日、1錠飲むお薬と2種類使うことになりました
先生からははっきりと聞かされてはいませんが、5~10年続けることになるようです
ホルモン療法は個人差はありますが、副作用が沢山あります
更年期と同じものですが、ホットフラッシュや関節痛、吐き気・・・
調べると嫌になる程、出てきます
人によっては生活に支障が出過ぎて、ホルモン療法を途中で断念することもあるようです
そう知って不安で仕方なかったのですが、始めてみた今わたしに現れている副作用は関節痛(特に指)です
もしかしたらこれがホットフラッシュなのかな
というものはありますがそんなに気になりません

関節痛に関しては朝に手のこわばりがあり、痛みが走ります
温めることが症状を軽くすると知ったので指先の空いた手袋を常にしています
この症状に関しても先生に相談しましたが『対処するお薬はないから』と冷たい対応しかもらえませんでした
色んな相談をしたいと思える先生ではないので期待はしていませんでしたが
もう少し患者と向き合ってくれる先生だったらなと思ってしまいます

自分なりにしていることは積極的に大豆を摂取することとビタミンEを飲むようにしています
効果は保証できないですが、以前よりは上手く副作用と付き合えるようになったように感じています
大変なのも自分自身なので出来ることを探して試してみるしかないなと思って日々過ごしています

ホットフラッシュに関して漢方があるようです


放射線治療

術後2か月が経ったころ
転移が認められた癌だったので放射線治療も行うことになりました
全20回です
これは月曜日から金曜日まで毎日通うなかなか大変な工程です
まずは身体の型を造りに行きます
毎回、同じ場所に放射線が当たるように身体を固定するためです
そして体にもペンで沢山の線が描かれていきます
首にも書かれるのでハイネックの服でないと人目を気にしてしまう感じです

放射線事態は何となくジリジリと感じる程度のものでしたが、回数を重ねるごとに皮膚が赤くなってきたり、黒ずんできたりと火傷感が出てきます
痒く感じたり、ピリピリ痛かったりしてツルツルの生地の服を着るようにしていました
放射線治療の間はクリームを塗ったりすることは出来なくなるので
とにかく乾燥して傷が縮む、引き攣るような感じになっていきました

わたしは少し反応が強く出たようで、水ぶくれがつぶれ皮がめくれたりしています
今現在は放射線治療事態は終わりましたが、副作用がピークになっている頃で鎖骨から脇・肋骨辺りまでビリビリとした痛みがある状態です
今は毎日たっぷりクリームを塗って保湿しています
傷口もアットノンなど塗り始め、また柔らかくなるようにと試しているところです

この状態がどのくらい続くのかまだ分かりませんが、あまり深く考えずに日々、良くなっていると思うようにしています

終わりに

わたしの乳がん治療について詳細に書いて行きましたが
あくまでわたしの症例に過ぎません
治療方針も沢山あるようですし、手順も違うことがあります
わたしの流れと違ったとしても不安にならないでくださいね

先生とよく話し合って不安な部分を埋めていくことが大事だと思います
わたしの場合はその関係を築くことが出来なかったので看護師さんに相談するようにしました
放射線科の先生には相談が出来たのでそこで対処してもらったこともありました
諦めずに話せる人を探すことがこの病気を乗り切る上で大切なことだと思います
ひとりではなかなか乗り越えられない病気だと思うので我慢し過ぎず、どんな場所でもいいので自分の悩みを吐き出せる場所をみつけてください

わたしもまだまだ、治療の最中です
再発などこの先の事を考えると不安はいっぱいです
でも不安に目を向け過ぎるより後悔しないように時間を過ごすことを大事にして行きたいなと思っています

今『生きている』ことを噛みしめて楽しんだり、挑戦したり
人生に彩を持たせることが何より優先だと考えています

今、同じ病で苦しんでいる方にとって少しでも『がんばろう』と思って頂けるものであればいいなと思います
一緒にがんばって行きましょうね




















サポートありがとうございます♡ 乳がん治療やこれからの自己投資・note内で活用させて頂きます。