「君たちはどう生きるか」~結界、女性達が人生へと送り出してくれる
今日は秋分の日。
酷暑の3カ月でしたが、これもひとつの大事な季節の区切り。
季節も、人生も、終わりとはじまりを同時に迎えながら、違う局面を出して変化していきます。
今日は、前回の記事 ↓ の続きとなります。
「君たちはどう生きるか」~痛みを一時避難させてくれる場所について|Alnair33 (note.com)
宮崎駿監督の新作、「君たちはどう生きるか」
数秘的観点から、そして禅タロットの観点から、映画を観て触発されてイメージしたことを書いてみたいと思います。
主人公は、牧眞人(まき まひと)。
11歳、小学6年生という設定のようです。
前回の記事で、「11」という数を取り上げましたが、
眞人くん自体、この物語の中で11歳だったんですね。
多感な時期です。
自我を確立したいけれど、自分自身が、自分の意志がどこにあるかもよくわからない。
そして母が亡くなり、自分を無条件に愛して保護してくれるはず存在が突然炎の中に消えてしまった、よるべない状態。
父には、好きな人(父にとっての新妻、眞人にとっての新しい母親)がいて、彼女のお腹の中には新たに生まれる命もあり、眞人を無条件にいちばんに愛している存在とは感じられなくなっている。
私たちは、小学6年から、中学へ入る頃、だんだんと自立を促されるようになります。
女子はいち早く精神が大人になっていくのに対し、男子は中坊と呼ばれる感じで、まだまだ幼い、という性差や個人差が生まれたりもするころ。(ちなみに私が中学生の時、クラスメイトに密かに呼ばれていたあだ名は、なぜか「女子大生」でした)
戦時中は特に、常に死が身近にあり、人間の愚行、悪意がすぐそばにあって命を脅かしていて、すみやかな自立を促されている。そういう時代背景も描かれているように思います。
そこで、眞人は異世界へ導かれて無意識の世界の冒険を体験することで、自立への意識の変革が起こる、というしかけなのではないか。
この映画には、様々な年代の女性が描かれています。
ヒミ(火を自在に扱う少女/少女の姿をした母の魂)
キリコ(たくましく生きる若い女性/現世では老婆)
夏子(眞人の継母、妊婦)
7人のばあやたち(屋敷を守る?存在としての老婆たち)
そして、上記の女性達こそが、少年が無意識世界へ旅するための、少年が自立を果たすまでの守護者や導き手の役割を担っています。
アオサギは、この物語のトリックスターで水先案内人。
タロットで言えば「愚者」のカード。無所属、ほぼあの世の住人、異形の物。トランプに例えると、ジョーカーですね。
と同時に、可能性の塊、でも圧倒的経験不足で愚行にも走る、若き主人公・眞人にも見える。
大アルカナⅠのカードは、この世の人生の初めの一歩。
まだ独り立ちしていない眞人であり、純粋性やエネルギーの塊でもある少女ヒミにも例えられるかも。
大アルカナⅡは、若い女性のカード、これは心の声に耳を澄ますための、直観のカード。巫女のエネルギーを帯びます。無意識世界への最初の案内人=門番 とすると、異世界の門(墓石)のところにいた、キリコ、の役割でしょうか。
転生する魂にエサもやって見送っていましたし。
数秘的にも、2は、女性性を表す数の要素。
前回ご紹介した11も、足すと2ですよね。
どちらも「直感」「直観」がテーマ。
でも、11は、1の男性性のダブルでもあり、2と11は、似て異なる質を持っています。(またそれはおいおいに)
ローマ数字のⅡと、11の形が酷似しているのも、数秘研究家的には面白く思っています。
そして、大アルカナⅢは、女帝のカード、そして、新しい命を次々と生み出し、慈しみ育む「母」のカードです。タロットにおける、成熟した女性性のシンボル的1枚ですから、物語の中では、まさに妊婦で異世界の産褥に入った、継母・夏子に重なるかもしれません。
これは禅タロットの特徴でもあるのですが、人生の最初に、どれだけ女性達の手厚いサポートが必要不可欠なのかを見せつけてくれるように感じています。(ちなみに西洋のタロットでは、大アルカナⅠは、若い男性のカード)
彼女たちの存在こそ、傷つきやすい若い魂を守る「結界」の役割をしているのではないかと。
身近な結界と言えば、神社の鳥居。
神社の鳥居は、生命の誕生する、女性の子宮口、そこから続く参道は、産道です。鳥居は、現世と神霊界とを線引きする、結界の役割を担っています。
個人的な余談ですが、かつて引っ越し先を探していた時、南を見つめていたシラサギに導かれ、世田谷の最南端の物件を探していて、神社のそばと、お寺のそばの物件を立て続けに内見したことがありました。
神社のそばは、繊細でやわらかい女性的な磁場を感じ、お寺の傍は、男性的としか言い表せないものを感じたことを覚えています。もちろん場所や部屋の個体差もあると思います。
そのときの私のエネルギーに呼応した、神社の山のすぐそば(古墳もあり)の物件をサロンにすることが決まりました。
お話を戻します。
眞人のように、魂がやわらかい状態で、女性達の守りは大変大事なのですが、それではいつまでたっても自立できない。時期が来たら、すみやかに女性達に送り出され、そのやわらかな腕から脱出していかなければならないのです。
そうしないと、母性に抱きしめられたまま窒息死する。
母(女性的存在)の胸にいつまでも甘えていると、自分の意志や選択が育たず、無重力の無意識世界にとどまったまま、無気力とも狂気とも言える輪郭のない靄(もや)の中に少年のままとりのこされてしまうのです。これは「神隠し」状態といってもいいんじゃないでしょうか。
神社に参拝したら、心を清浄にして、すみやかに現世へと再び出て行く必要があるのと同じですね。
そこで、次に大事な仕掛けが、男性性=父性 の壁なのです。
次回は、引き続きこの映画をベースに、「選択と自立」をテーマに書いてみたいと思います。
数秘&禅タロット セラピスト tomoko
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