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ヘルシンキ大学院生1年目終了:意外(?)な結論

ヘルシンキ大学大学院の1年が終了した。日本の大学の後期にあたるのは1月~5月中旬であり、現在は6月で、まさに卒業式や進級の手前の時期である。
まず、9月から12月(前期)は、新しい生活、人、学校等、あっという間に過ぎたという感じである。英語での勉強に戸惑いながらも、特にレポートも毎授業で課される約4500-5000ワードの執筆にもなれ、たまーに良い成績をもらえるようになったりというレベルになった。(それでも常にこの先の授業は大丈夫だろうか、、と心配になりながら学校に行っていた。)学校外ではクラスメートとイベントに行ったり、学食に行ったりと普通であった。しかし、1月~5月は生活がガラッと変わった。この後期で学んだことを勉強面・生活面でまとめる。

サウナは好きでも嫌いでもなかった私が、寮の無料サウナのヘビーユーザーになった。

勉強面
前期と比較すると非常にきつい学期になった。特に3月~5月中旬の学校は私の所属する修士の法律プログラムは牙をむいて襲い掛かってきた。
必修科目は6科目とった(The decision making in the EU, 国際機関法、デジタルセキュリティ法、国際環境法、国際プライベートガバナンス、金融法:計30クレジット)。これに加え、前期で何となく授業に慣れた&選択科目をとれる時間もあったので、後期は3授業(Gender and law, International Labour Law, フィンランド語の計13クレジット)を選択科目として追加で履修した。海外では、「授業のとりすぎ」には十分注意していた。そのため、授業数は若干多めではあるが、大丈夫であった。しかし、問題は各授業がかなーり重いものばかりだったことにある。

例えば、金融法は各授業前に200ページ程度のリーディングがあり、各授業前にレポートを1000ワードでまとめて提出するものだった。その授業が週に約2回あったので、実質400ページ読み、レポート2つを提出することになった。(リーディングを読まなければレポートが書けないため、読まないという選択肢はない。)さらに、金融の全く知らない単語が多いので調べても、日本語でも聞いたことがないものがほとんどで仕組みを理解するのにも時間を使った。加えて、レポート作成にも自分自身でリサーチが求められるので、参考文献を離れ、追加で資料調査&読解も求められた。金融法の授業は9回あったので、約1ヵ月で9000ワード(日本語だと20000字程度)のレポートを書いたことになる。(このため最終レポートはなし。)

この授業だけならまだよかった。しかし、並行していくつかの授業も続いていた。例えばセキュリティー法は毎授業ごとにグループディスカッションがあり、授業後には個人もしくはグループで意見をまとめて提出があった。(量的には短かったが、これもまた一筋縄ではいかず、時間をとった。)

また、Gender and Law という選択科目では細かい課題はあったが、特に模擬裁判的なものを行ったので、書面作成と当日の口頭弁論の準備に追われた。特に私の担当した「政府役」が3人であったこと(ほかのチームは4-5人)、私がリーダーを担うことになり、少し大変だった。

そのほかの授業も、プレゼンが課されたりと、一人で黙々とやればいいという感じではなかった。もちろん、金融法を除く、以上全ての授業の最後には4500-5000ワード(日本語だと10000字程度)の最終レポートが課されている。

模擬裁判の様子。

以上が後期の勉強の様子である。だらけていた日はおそらくほぼなかったと思う。イースター休み(3月初め)からは図書館にほぼ毎日コーヒーとともに通った。それでも、やってもやっても課題が出てきたという感じだった。
「来週の私は○本のレポート提出してるなんて信じられない!」と何度も思いながら、乗り越えた。
さらに、クラスメートもみんな会うたびに「この学期はつらすぎる」と愚痴をこぼしていたので、私がつらいのは当たり前か、と何度も言い聞かせてできるだけ淡々と物事が進むように心がけた。(とかっこいいことを言っているが、おそらくパニックを通り越してどうしようもなくなっていただけだと思う。)

しかし、苦しいスケジュールでも勉強の内容はほぼすべて面白かった。特に金融法をはじめとして、学んだことのないものを学べたのは本当にに満足している。ディスカッションやレポート、プレゼンなど、調べれば調べるほどアイデアが生まれてきたり、読めば読むほど知識が増えてきたといえる。特に、ヨーロッパで学んでいるので、授業内容はヨーロッパ中心になることもある一方で、アジア圏出身の私からしたら、人権の考え方や、法の適用のプロセス等、日本とEUを比較して学ぶことが出来た。(そのため、いくつかのレポートは日本と関係のある分野についても書いてみた。例えばEUの情報保護指令GDPRが日本の法律に与えた影響やその適用状況を分析したりした。)gender and law やEU decision making 等、日本では学ぶ機会が少ないことも存分に学べた。教授もほぼ全員支援的だった。(最終レポートには個別にzoom やテキストでフィードバックをくれる。)
また、多大な量のレポートや、模擬裁判を通して、自信がついたり、やっぱり無くしたりを繰り返しながら、多分、結果全体的に自信はついた。時にレポートでは良い成績をもらうこともかなり増え、「無駄に自信を無くす必要はないな」と思えるようになった。

Vaapu:5月1日メーデー:フィンランドでは労働者の祝日&春のお祝い。
Vappuではピクニックをする。ヘルシンキにこんなに人がいたのか!と思うくらい混雑。
(この日だけは勉強をしないことを3か月前から決めていたので、かなり息抜きになった。)

生活面
上記のような勉強生活をしていたため、心身ともに駆使しすぎた。(ということには後期の終わりかけで気付く。)ちなみに、睡眠はちゃんと6-8時間とっていた。
授業内で全員に発言を求められた際にも、「発言できない私はもうこれ以上成長できないんだ」とか、「結構いい意見持ってるのにそれを伝えられないなんて悔しい」というように考え、授業でふとした時に一度涙が出かけたり(実際には出てない)、電車に乗っててもそわそわしたり、家では肌がじんましんっぽくなったりしたりした(これはただ乾燥していただけかもしれないが笑)。最後の一か月はとにかく帰国したかった。

おそらく原因は、単純に課題が多かった、休日も毎日夜まで学校に行っていて休みがなかった、息抜きになる趣味がなかった(課題のためコーラス部にほとんど行けなかったり、帰宅は夜遅めなので部屋でギターを弾けなかったり、、。)、長い海外生活をしたのは初めてだった、(多分)天候が合わなかった(極夜&曇り続きだったのに3月くらいからいきなり白夜になり始めた)、食事をしっかりとっていなかった(一日2食で、特に夜は21、22時とかに夕ご飯を食べていた。)、授業をとれなかったら学費免除が取り消しされる可能性も少しだけあった、日本でのちょっとした外食や飲み会文化が恋しくなったこと、など色々あげられる。

4月頃、クラスメートの2人に「ホームシックかも」と話したら、「わかる!私はホームシックになる人じゃないと思ってたのに今はすっごい帰りたいし学校早く終わりたい!」と言っていた。そうはいっても、その人たちはクリスマスやイースターには帰国している。そう考えると、東アジアからはるか離れたヨーロッパ・フィンランドに来て、10か月一度も帰国しなかった私は十分頑張ったと思うし、負担だったと思う。あっという間の留学だろうと思っていたが、実際、「まだ10か月しか経っていないのか」という感じである。

コーラス部の発表会会場。本番は半分以上口パクで歌った。

後期について反省点みたいなものはほぼないが、多分規則正しい食事はするべきだったので、修士2年では頑張りたい。笑 体を壊したらなにもかもできないので、「私はストレス耐性があるし少しくらい駆使しても絶対大丈夫~」と思うのはやめるようにする。そして、直近では無理だと思うが、10年後の私は今回の後期のようなワーク量が来ても心身健康でいながら、かっこよく終わらせたい!散々書いておきながら、結果、大満足の修士1年だった。

課題が終わりかけてくると、あんなに帰国したいと思っていたのに、
ヘルシンキ綺麗!&冬終わってる!と気付き始める。


今回の曲は、一気に3曲!(しばらくnote を書かない気がするため。)
①私の大好きな歌手、KT Tunstall の The river。KT tunstall は映画「プラダを着た悪魔」の主題歌を歌っている。(いつか彼女のライブに行く&フィンランドでこの曲を誰かとカバーしたい。)
♪Running through the middle of a life that's full of real love, and everything is mine(私は愛にあふれた人生の中心を歩くし、全てが私の物!)


②Vesterinen Yhtyeineenの Nuoriherra(若き紳士?)。
中古ショップで流れていた曲。
♪ Kaikki meistä, kaikki meistä toivoo, Ettei yksin kylmissään(みんな望んでいる。寒いのは一人じゃない。)


③ミュージカルHamilton(ハミルトン)の  You'll Be Back。これはコーラス部で歌った曲。





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