順応力

インターネットという言葉が世に出て、もうすぐ30年が経とうとしている2019年ですが、30年と考えると平成は、ほぼインターネット(死語)で作られた時代だったような気がします。

はじめてパソコン?と言われているものを買ったのが93年にapple社のパフォーマというデスクトップを、バイトで貯めたお金を握りしめて買ったわけですが、当時は電話線を分配することを知らずに家の電話線をダイレクトにつなぎ家の電話が不通になり親に怒られ、分配器を買って取り外しの面倒を避けられたもの、同じ回線を使うことによって電話はつながらず電話はつながりっぱなしで、また怒られる。
21時まではオフラインでゲームしたり、ソフト(いまはアプリ)を立ち上げて絵を描いたりできることをやりながら、電話がかかってこないであろう時間帯はやっとネットサーフィン、といっても今みたいにググるなんていうほどサイトもないし、接続は遅いし何ができるのかをずっと考えたりしてました。

その後、ISDNがでて回線を分割することが出来たり、「繋ぎホーダイ」のようなプランが出たり、ダイヤルアップ時代から考えたらとても便利になりました。今のスマホ(iPhone)なんて夢の道具です。

数年前にIT企業にいたこともあり、ガラケーからスマホの変革期をリアルタイムに見させていただいてずっと感じていたのは、便利≠順応性に対して人間が追い付かなくなっていること。
昔はテレビを見ているとバカになる。コーラを飲むと骨が解ける!なんていうことをよく言われましたが、最近はスマホを使うことによって学習能力が下がるとか精神面への影響など言われていますが、すべて逆なんじゃないかと思うんです。

バカがテレビを見るからバカに見える。
学習能力が低い人間がスマホを使う。

本末転倒な話なのですが、元来持つポジティブ思考な私としましては、スマホを使って学習能力をあげればいいわけで、それに伴うビジネスもたくさんありますし、スキル習得の事業が好調というのも人は学ぶ意識は失っていないと思っています。

ただどう学んでいいか?を気づかせる教育や思考を提案するものが平成には少なくなった気がします。
昔も「盗んだバイクで走り出す」とか「校舎の窓ガラス壊して回った」などダメだとわかっていてもやってしまうおバカさんはたくさんいました。

だからこそ、平成を終える今こそ「HOT DOG PRESS」という彷徨える少年たちのバイブルは復活してもいいのではと思うわけです。これもひとつのきっかけです。それを機に考え行動すればいいわけですから。

SNSのリテラシーなんていうものは、目立たないだけで昔からありました。それこそ「盗んだバイクで走り出す」ことと「バイト先で○○を出す動画をとる」ことに全く差はありません。

っていうことを思うと人間ってやっぱり面白いな~~

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