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ザッピング

 読みかけの本が何冊も、部屋のあちこちに転がっている。J.G.バラード『ミレニアム・ピープル』、色川武大『ちくま日本文学全集8』、奥本大三郎『虫の宇宙誌』、内田百閒『百鬼園随筆』、澁澤龍彦『秘密結社の手帖』、デニス・ルヘイン『コーパスへの道』など。
 
 澁澤龍彦、デニス・ルヘインの2冊は以前一度読んだことがある本なので、必ずしも通読しないといけないわけではないが、他の本はここ数年で購入したもので、まだ読み通していない。

 ここ10年ほど、こうした中途半端に手をつけて読み終えていない本がいくつもある。20代頃までは、いったん手を出した本は、(理解したか、していないかは別にしても)最後まで読み通していたように思う。中途で止まっているといっても、これらの本が面白くなかったわけではない。どれもそれなりに面白く、『ミレニアム・ピープル』、『虫の宇宙誌』の2冊は、あと数十ページで読み終える。

 どうして、こうも集中力が無くなったのだろうと思う。SNSのせいだろうか?
・・・それもあるかもしれない。新しい情報を過剰に求める弊害か。
実際、本を読んでいると、別の本が気になり出して、「気分転換にこちらを読んでみよう」と、読みかけの本を放り出し、しばらくそちらを読み進めると、別の本が気になってくる。言ってみれば、本のザッピング、細切れの読書体験だ。

 これは、読書に限ったことではない。映画も集中して観ることが難しくなった。アマゾンプライムで一旦観始めるものの「今の気分にフィットしない」「これより面白いものが他にあるかも」、そう思うとすぐ止めてしまう。そして、傍らにある本を手に取って、また数ページ読む。

 映画館で観れば、また違うだろう。しかし、年々「映画や本に没入する」ということが難しくなっている。これは加齢の影響もあるだろうが、焦燥感も大きい。

 心地よく作品世界に浸かっていても、創作のことが頭を離れない。「このアイデア、自分だったらどうするだろう?」「これは自分の創作に使えそうだ」など物語を追っていたはずが、すぐに別の思考に移ってしまう。

 実際、何も考えずに済む、楽な映画を観れば、観通せるかもしれない。昨日はアマゾンプライムで大島渚の映画を見始めた。出演者の演技は棒読みで酷かったし、正直古臭さは否めなかった。しかし、商業主義に迎合しない、芸術への前のめりな姿勢は、創作意欲を刺激するものがあった。やはり、今の私には、創作の萌芽となるような、こういう映画や本にしか興味がないようだ。取りあえず、SNSを辞めることから始めてみようか。

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