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#6 私の黒歴史 in 中国「挨拶」

記事投稿を始めて6回目となった。今日は初めての週末なので、テーマは自ずと仕事から離れ自分語りになるが、ご勘弁を。

私は22歳の時に単身中国へ渡った。もう28年程昔になる。娘に「波乱万丈の人生」と揶揄されるように、中には思い出したくない事も少なくない。が、この時勢下自宅にいる時間が長くなったことから、自身の黒歴史を文字に起こしてみようか、という気持ちが湧いてきた。

現地の習慣で最初に当惑したこと、今もはっきり覚えている。それは「中国式挨拶」だ。いつも笑顔で「ニーハオ!」と挨拶するも、後で決まって礼儀作法がなっていないと批判を受けたのだ。礼儀をわきまえる大抵の日本人なら、流石に理解に苦しむところだろう。心外なお叱りに、納得のいかない悔しさと、理解されない怒りが込み上げて、涙がでた。さて、皆様には何故だかお分かりになるだろうか。

当時の私には「輩分」と「呼称」が分かっていなかった。

「輩分」とは、長幼の序列のことで、家族、親戚、所属する組織において自分と相手との立ち位置を表す。これを意識した上で、どのように相手に対する敬いの気持ちと礼儀を挨拶で表すのか。

そこで「呼称」が鍵となる。

自分からみた相手の呼称を先ずはっきりと呼ぶ。例えば、両親或いは義理の両親に対してなら、「爸爸(パパ)」「妈妈(ママ)」、お姉さん、お兄さんには、「大姐(タージエ)」「大哥(ターガー)」といった具合だ。そのあとに所謂挨拶表現の「ニーハオ」は不要で、逆によそよそしい印象を相手に与える。作り笑顔やお辞儀に至っては全くの蛇足だ。これだけで、相手は悦に浸り(軽い優越感?)満足し、満面の笑みを浮かべてあなたを歓迎するだろう。

所属組織においては、相手の「職位」や「敬称」或いは「名前」を挨拶として使う。それがどうして挨拶として成立するのか?って疑問に思われるだろう。私も当時は大変当惑した。何故なら日本では、何か用事がある時に、相手の名前を呼ぶだろう。職位も敬称も、それを呼んだ先には、何らかのコミュニケーションがあとに続くものであり、そのまま立ち去ることはない。

しかし現地では、近所で人に会うごとに「○○ ○!」(私のフルネーム)、教師時代は、学校で学生と廊下ですれ違う毎に「○○先生!」というのが常態の挨拶で、所謂「ニーハオ」は私の記憶ではめったに耳にしたことはなかった。勿論あなたが中国で現地の会社で勤めているなら、上司の職位を覚えて「○経理!」「○主任!」だけで十分OKだ。

ここで、中国語の勉強を少しかじったことがある方なら「だからか!」と膝を叩いたのではないだろうか?中国語には家族親族の呼称がこと細かに分けられており、一族の系統における位置づけが明確に判別できるようになっている。日本語の「おじさん」「おばさん」「いとこ」のような、父方か母方か女性か男性か或いは何番目かが不明瞭な曖昧さがない。中国の「呼称」は、お互いを認め、尊び、親族又は組織をまとめるに必要な非常に重要なコミュニケーションツールであるから、そこは曖昧であってはならないのだ。学生さんにはやや面倒くさいだろうが、しっかり覚えましょう。

併せて覚えたい挨拶;「吃饭了吗?(ごはん食べた?)」

比較的親しい間柄であれば、これもお勧めだ。やや田舎臭い?印象があるかもしれないが、相手を思い遣る気持ちと、お互いの親密さ、そしてあなたの純朴な人柄をさりげなく相手に伝えられる使いやすい挨拶だ。受け答えは「吃了(食べた)」でOK。風土を反映した心温まる挨拶で、日常では本当に頻繁に使われていた。

相手の名前を呼ぶこと。親族の呼称を呼び敬うこと。これは日本人にとっては、気恥ずかしさもあり、習慣としても最初は受け入れがたい。しかし挨拶として抵抗なく使えるようになると、自分が一回り成長しているのに気づくだろう。

中国に行く機会があれば、是非試してほしい。私が悔し泣きしながら会得した「ニーハオ」より親密になれる挨拶のヒントは、「輩分」と「呼称」或いは「職位」。そして、「ご飯食べた?」

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