あの日
東日本大震災。僕は当時中学3年生で当時住んでいた東京も震度5強の激しい揺れに見舞われたことを鮮明に覚えています。また親戚が福島県富岡町に住んでおり、震災が起きるまで10年近く毎年夏やGW、遊びに行っていた場所が津波の被害に遭ったということもあり、日本で起きる多くの出来事の中でも特に印象の強い災害です。毎年この時期が来るとなにか考えさせられる気持ちになります。
2011年3月11日午後2時46分、僕らは3年生を送る会をちょうど終え、体育館をあとに退場している途中でした。3年1組の自分は退場が先頭で友だちらとぎゃー、ぎゃーしながら渡り廊下を歩いていたら校舎の窓ガラスがものすごい音を立てていることに気づき、すごい突風だなと一瞬思いましたが、地震だとわかった瞬間、友だちらと一目散に校庭に走り出していました。校庭に出ると、校旗などを掲げたりするポールがありえないぐらい揺れるというより、しなっていたのを覚えています。でも言ってしまえば、僕と一緒に校庭に飛び出した友だち何人かは屋外にいたわけで、その他大勢の生徒はまだ体育館にいて、後から聞くとバスケットゴールが相当揺れていたとのことで、屋外にいる自分らよりずっと怖かったと思います。
その後全員が校庭に避難し、先生たちがこの後どういう対応をするか話し合っている間も、余震とは思えないくらい大きい揺れが何度かありました。もちろんこの時はまだ震源地がどこかもまだ何もわからない状態だったのですが、集団下校で自分は自宅には誰もいないということもあり一旦、友だちの家で待機することにしたのですが、テレビのニュースでこれが日本の光景かと疑うような、東北が津波で襲われる映像を目にしました。もちろん一番心配だったのは親戚の安否でした。
確か親戚からの安否確認が取れたのは1週間後くらいだった気がします。万が一ということを考えていた間は居ても立っても居られない想いでした。しかし僕らが毎年遊びに行っていた富岡町、あの当たり前のように降り立っていた富岡駅も津波で流されたとのことでした。震災や事故、事件が起きるたびに、誰が今日この日、こんな出来事が起きると思って朝目覚めて「行ってきます」と家を出ている人はいないだろうと思ってしまいます。忙しい毎日を送っているとつい忘れがちですが、生きていることに感謝、仕事があることに感謝、友だちと連絡が取れることに感謝、水道電気ガスが通っていることに感謝、食事できることに感謝、大袈裟ではなく、本当にこの「いつ何が起こるか分からない」ということを実感する、東日本大地震は僕にとってそんな出来事でした。
人間時間が経つと記憶が薄れていってしまいますが、自分がこの出来事について見つめ直すために、活用している書籍と映画があります。
1つ目は写真家近藤篤さんの「ボールピープル」
この本は、近藤さんがサッカーを中心に世界各地で撮影した写真とそれに関するエピソードが綴られている本ですが、その1節に東日本大地震のことも書かれています。「震災は忘れた頃にやってくる」この節はこんな冒頭で始まります。本全体を通して近藤さんの世界観が本当に僕は好きなのですが、数多くの写真とエピソードでボリュームがあるこの本の中、この震災の節が一番文量も多いことから、勝手に近藤さんもこの出来事には深い感情があるのではと思っています。
2つ目は「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」
この本は作者が取材した被災地の人たちが話す「不思議な体験」の物語を綴った内容です。津波で流されたはずの祖母が、あの日と同じ服装で縁側に座っている、携帯電話に掛けたら、亡くなったはずの本人の声が聞こえてきたなど、エピソードとしては奇跡のようなものばかり。しかし作者は不思議な体験をした当事者にとってそれは「事実」であることは確実であると言っており、僕も同じく読んでいて疑う気持ちやファンタジー小説を読むという感覚では全くありませんでした。そして同時に苦しい読書でもありました。本書に出てくる物語のそのどれもが生々しく、突然の家族との別れが語られているからでした。けれど、苦しくも読み進めることが出来たのは、説明できない現象に直面したとき、証言者たちに生じるのは恐怖ではなく、安堵や喜びといった温かい感情だったためです。死者たちのメッセージの多くは「自分はもう大丈夫、だから安心してこれからも生きてほしい」というものでした。
3つ目は映画「Fukushima 50 フクシマフィフティ」
この映画は2020年に公開され、大きな反響を呼んだ映画でもあるためご存知の方も多いかと思います。この震災がこれだけ語られるのも、単に地震や津波といった災害だけでなく、原発事故という出来事があったからだとも思います。震災当時、原発の暴走を止めようと命懸けで現場で闘っていた人たちがいたということをこの映画が教えてくれます。自分を含め当事者でない人たちは原発の必要有無の議論ばかりなされてしまいがちですが、現場で懸命に働いている人たちを無視して議論してしまってはそれはあまりにも虚しい気持ちになってしまいます。
近い将来いつか必ず福島のために仕事をしたいと思っております。
たまに、集めたお金や売り上げを復興支援金に回して、社会貢献活動を謳う団体や企業さんがありますが、もちろんそれも、ものすごく大事なことですが、何より一番は現地に行くことだと思っています。こんな言い方すると語弊が生まれそうですが、「良い事してますアピール」のように感じて少々腹が立つ時もあります。だからこそ東北の食材を使ったり、現地の様子を伝えたり、今はコロナで難しいですが東北でイベントを催したり何か具体的に出来ることは必ずあると思うし、そのために行動したいと思っています。震災が起きるあの年まで毎年お世話になった福島のために。
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