距離が近い関西・一定の距離がある関東、距離が近すぎて困る関西・距離感によって助けられる関東
週末に関西で予定があり、台風で新幹線が止まる前に関東から関西へ移動してきた。数週間ぶりの実家(お盆以来なので期間は短い)。
朝起きたら、付けっ放しのニュースを見るのがいつものパターン。
ニュース番組ではあるものの、関西人のノリを隠すことなく出演者同士で和気あいあいと進行するのが好き。す・またん!を見ると「実家に帰ってきたな~」と自然と思わされる。
台風情報を見るためにいつも通り、す・またん!をボーっと見ていると、スッとあることが浮かんできた。
「そういうことか!」
ボンヤリ抱いていた違和感が解消されたような晴れやかな気持ち。この感覚を逃すまいと、今noteを書いている。
積み重なるコミュニケーションでのモヤモヤ
最近、自分は周りの人の考え方や気持ちについて知りたいのに、なかなか知るタイミングがなくモヤモヤしていた。モヤモヤというより、物足りなさの方が近いかもしれない。
「もっと、○○さんの考えを知りたいのに」と物足りなさを感じながら、会話が終わっていく。○○さんや△△さんが悪いわけでもないし、自分が個人的な話をしたがり勝手に期待しているのが悪いだけ。それでも、やるせなさを感じる日々を過ごしていた。
よくよく考えると、コミュニケーションの取り方が関東と関西では違うことに気づいた。それを気付いたきっかけが、冒頭のす・またん!である。
ドライな関東、ウェットな関西
僕の地元である滋賀県北部は田舎である。車を何十分走らせないとコンビニがないような田舎ではないけど、地域の繋がりが強い一般的な田舎。
「~~のとこの娘さんは今~~の仕事をしているらしい」と共通の情報が流れているくらいには濃ゆい関係性がある地域で生きてきた。
「今、何の仕事をしてるん?」「結婚してるんか?」「関東のどこらへんに住んでるんや?」
プライバシーなんて言葉がないくらいに、みんなズケズケ聞いてくる。自分が興味を持ったことを素直に聞いている。ただそれだけの話。
一方、関東では田舎ほど地域間での強い繋がりはないし、ダイレクトに聞きたいことは聞いてこない。どこか一定の距離間をずっと保っていて、「これ以上は聞かないから、あなたも聞いてこないで」と感じることもある。
この絶妙な距離感と「知り合いに誰も会わなくて済む」という感覚が、関東での気楽さに繋がっているから、関西や関東が良いとか悪いとかという話でもないんだけど。
確実に言えることは、コミュニケーション手法が東と西で異なるということ。
どこにいてもウェットを望む
僕は人に対する興味関心が強いこともあり、関西にいようが関東にいようが、目の前の人のことを深く知りたいタイプ。
これまでどういう人生を歩んできて、今何を考えているのか。じっくり聞くには時間が足りないぐらいである。
仕事の付き合いは仕事の付き合い、と割り切った人間関係は何となく物足りなくて、仕事であっても友達や仲間ぐらいの深い付き合いをしたい。
そのためには、僕が自己開示をしながら「パーソナルな部分を話してもらっても大丈夫ですよ~」とニュアンスとして伝えることが大事。人を変えるのではなく自分が変えれば良い。
ここ最近、コミュニケーションでしっくりこなかったことが言語化できてかなりスッキリしている。何か大きな変化があったわけではないけど、自分の中で整理できただけでかなり満足。
違いを違いとしてそのまま認める。自分が望む方向があるなら、自分が柔軟に変化していく。これらができれば、もっと気楽に生きやすくなるかもしれない。
なんだかんだ言って、関東は便利で刺激的、関西は人情味あふれる街でどっちも好き。足して2で割る街があればいいのに(実際にありそう)。
ということで、関西に帰ってきたときは欠かさずす・またん!を見て元気をもらおうと思う。