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今更ながら、日記をつけ始めた話


最近、日記を始めた。

手書きの日記だ。


前々から日記をつけたいと、ずっと思っていたけれど、実行する気力がなかった。

というのも、一日があっという間に過ぎていってしまい、今日はどんな一日だったかなぁ、とのんびり振り返る余裕がなかった。

どんなに忙しくても、日記をつけている人はたくさんいるから、これはただの言い訳になってしまうけれど、日記をつける時間があれば、眠りたい。

そんな風に思っていた。

日記を書こうと思ったきっかけは、最近YOUTUBEでよく見る、カップアーティストの女性の動画を見て、素敵な習慣だなぁと思った、という些細なものだ。


私は、良いなぁ、と思う女性がいたら、なんでもすぐ真似したくなってしまう。
その女性は素晴らしく絵が上手で、美術の成績が酷く悪かった私は、部屋に自分の絵を飾っている彼女が羨ましくてたまらなかった。
絵が上手になりたい!という憧れは、昔から根強く私の中にあり、今度こそ上手くなろうと何度も何度も練習したけれど、やっぱり絵心が無い、という結論に落ち着く。

ただ日記をつけても面白くないからと、利き手とは反対側の左手で日記を書くことにした。
利き手と違う手を使って、文字を書くことは、脳にとても良いらしい。
脳に新しい回路が出来るとか、出来ないとか聞いた記憶があった。

以前知人が脳梗塞になって利き手が使えなくなった時に、利き手じゃない手で字を書くのがとても大変だと嘆いていたのを聞いて、私は一時期猛特訓し、ある程度綺麗な字(読める字)が書けるようになっていたので、数年後に読み返したとしても、恐らく読めると思う。

日記をつけてみて感じたことは、今日のことなのにはっきりと思い出せないことが、結構あるということ・・・。

同じような時間帯に同じようなことをしていると、昨日のことだったか今日のことだったか、思い出せない、ということが多々ある。
昨日の晩ご飯のおかずどころか、今朝の自分の行動さえ思い出せないのはさすがにまずいと思い、日記をつけて一日を振り返ることを習慣にしようと誓った。

日々はあっという間に過ぎて行き、何事もなかったかのように全てが流れていく。


今日という日は一度しか巡ってこない、と言われても、そりゃあそうだよ、と思うくらいだけれど、振り返った時に何もない、空っぽな人生は嫌だ、と思った。

辛かったことや悔しかったこと、悲しいことはいつまでも恨みがましく覚えているものだけど、嬉しかったことや楽しかったことは簡単に流れていってしまうから、良いことを中心にピックアップして書こうと意識している。

それにしても日常生活でスマホとPCばかり使っていると、手書きで文字を起こすことがとても不便で、新鮮に感じる。
漢字が全然出てこないことに焦るが、脳を鍛えるつもりで、毎日日記を付けている。
日記をつける時間を取ろうと思ったら、夜の時間を確保するようになり、それが楽しみになったから不思議だ。
どんなに忙しい日々を過ごしていても、自分自身の感情と向き合う時間は必要だと、改めて感じている。

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