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「エゴイストとして生きる」


自分勝手に生きるというのは、ある意味とても覚悟がいることだ。
日本では、自分を犠牲にして相手の意見を尊重したり、自分を抑えて相手に尽くすというのが、尊いことだという認識がいまだに根強い。
自分はこうしたいけど、相手が逆の意見だったら、自分の意見はそっと胸にしまって相手に譲る。それも実に尊いことだと、私は思う。
そして、同時に楽なことでもあると思う。

相手に自分勝手な人間だと思われなくて済む。
意見が衝突して、人間関係が崩れるのを阻止できる。
空気が読めないやつだと、後ろ指をさされなくて済む。

意見の衝突を恐れている人間は多い。
人に嫌な印象を与えるくらいなら、自分の考えはしまっておこう。
とにかく協調性が大事。社会で生きていくなら、人の意見に合わせる方が賢い。
人間社会で生活していく上で、協調性を大切に、という教えは尊い。


他人から自分がどう見られているのか気にして、自由に生きられない人が多いなぁ、と感じることがよくある。


譲ることに慣れてしまうと、それが当たり前になってしまう。
自分の気持ちをそっと仕舞い込むことに慣れてしまうと、自分の本当の気持ちが何なのかということに鈍くなってしまう。
習慣で、知らず知らずそうなってしまう。
それが怖いな、と思う。

多数決でそちらに決まると分かっているのだから、違う意見を口にすることが無駄だと、言う友人がいる。
どうせそちらに決まると分かっていても、違う意見を出すことで、新しい切り口を見出せることもある。
その意見を分岐点に、違った新しい考えが生まれたりもする。

自分と違う意見に触れることは、人との出会いと似ている。
新しい人に出会うことで、自分の人生が思わぬ方向へ動き出すことがある。
この人に出会わなければ、私はこんな自分になっていなかっただろうな、と思う出会いが、私の人生には何度もあった。

違う意見に出会うことは、人との出会いと同じように、人生を豊かにしてくれる。

だから皆、胸を張って、自分の意見を主張して欲しいな、と思う。
人に譲る、というのは尊い優しさなのかもしれないけれど、
自分自身を相手にぶつけることで、生まれてくるものもあると思う。

自分を見失わないためにも、自分の中から生まれてくる素直な感情を大切に、生きたい。

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