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日々是雑感2021/08/16

前職でそういえばサービス残業なんてものがあったな、とふとあるアプリを覗いて思い出した。

2018年4月の東京生活が始まる時に同僚から聞いた話、物件の準備のために午後7時に打刻して午後11時に自宅に帰った、と。今思えば確かにブラックだ。なんでも、取締役が文句を言うとか言わないとかで気を使ったらしい。その同僚は2019年10月に退職していったが、元気にしているのだろうか。

自分はサービス残業という言葉を聞いて嫌悪感しかなかったし、自分で選んだ仕事先に関してはサービス残業をつけないという絶対意思があったので、結構なレベルでの残業時間が嵩んだと思う。一番ひどい時で月80時間の残業だった。それ以前も業務量に比例して増えていったのがわかっているので、あの時に強く進言すべきだったと今も後悔している。それもコロナ禍前の話だったので、東京オリンピックに向けてイケイケガンガンの時期だ。

サービス残業は可能な限り減らそうという自分の暗たる意志は変えることなく勤めていたが、当時守ったことがある。自宅で「渋々」日報書かざるを得ない状況のときや、定期券範囲内でも途中駅で業務がある時は改札を出た瞬間からとか、定期券範囲内でも横浜駅乗換は問答無用で打刻したり、自宅から本来の方向とは異なる方向で仕事があれば自宅から打刻していた。最後のは本当に徒歩15分から20分くらいのところだったので、躊躇なくボタンを押していた。残業も一人で抱える業務、1箇所あたりでやることの時間や内容、チェック内容と余裕時間を計算して行っていたから尚更である。

業務過多になったのは2019年5月くらいから、15時間以上の勤務があったり、1日の電車での業務移動総距離が軽く100kmを超えることもしばしばあった。外へ出る人間は基本固定であった。

よくよく考えれば、内容等を把握している人間は自分だけだった。それゆえ、対応も必然的に行く羽目になり、無理が祟った。そりゃそうだよな、とも感じた。

そして名古屋異動で決定的に感じたことは、商品内容をみんな理解していなんだなとはっきりしたことだった。名古屋ではどう考えても無駄な残業が多かったし、営業は数字を上げることしか考えていなかったし、社訓や理念なんか上の空に感じた。だから故に現場が疲弊したのかな、と感じたのだった。

前職退職後もう長いこと時間が経っているが、おそらく事業縮小は既定路線だろうと思う。コロナ禍において攻めの姿勢について、当時の社長に称賛を送った記憶があるが、人員配置や商材理解、各種分析や現場対応という点において、残念ながら前職はデスクワークは手を抜きすぎたキライがある。当然それは現場に跳ね返ってくるわけで、名古屋に戻ってからデスクワーカーという存在に問題を感じたわけだ。東京いる時はそうでもなかったかもしれないが、今なら東京も拡大時点で人員配置について戦略をしっかり練るべきだったと考えている。

KPIという単語が取締役から正社員に提示してからか、どうもおかしく感じたことがある。今それ必要か、と。上司に言っても効果がないのはわかっていたので諦めがついた。

退職後の今、残っている人たちはどうなっているのかわからない。

少なくとも、今残っている人たちは足元の見間違えで非常に苦労していることだろうと思っておく。自分の先見の明が正しいことを過信して。

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