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音博2日目に訪れた数々の奇跡の瞬間 〜ALKOTTO編集長による京都音楽博覧会レポート(結)〜

2日目は、初日に続きYouTubeリーダーのひとみちゃん、それからSNSリーダーのこはるちゃん、そして決まった役職はないものの役割や学年を超えてコミュニケーションをとってくれるALKOTTOのリベロ的な立ち位置を担うのどかちゃんとそのママンと一緒に参戦。とくにこの2日目は今回の音博のテーマがギューっと凝縮されたステージだった。

ヒューマンビートボクサーのSHOW-GOさんのパフォーマンスはどこかレイ・ハラカミさんを思い出させるものがあり、胸が張り裂けそうになった。今回は聴き逃したCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINもそうだ。二組の共演、さらには細野晴臣さんや矢野顕子さんなんかとも共演したらおもしろそうだなと思いながら聴いていた。
続く玉井詩織さんはさすがアイドル!という感じでお客さんを巻き込んで盛り上げる演出があまりにプロフェッショナルだった。後にも先にもこのぼくがアイドルのコンサートに行くことはおそらくないだろうなと思いながら、隣ではしゃいでいる大学生を眺めていた。アイドルコンサートの楽しみかたは、さすがに彼女たちのほうがぜんぜん上手だなあ。ビートボクサーのあとにアイドルスターが登場して、次はオペラ歌手である。こういうところが音博がフェスではなく音楽祭であり、音楽博覧会であるゆえんなのだとあらためて思わされる、ユニークで楽しいところである。

長いこと音博に参加している自分にとっても、ちょっと異質で新しい音博の雰囲気で楽しめました。

そしてここから、いよいよ今回の音博のテーマである「奇跡の物語」が続いていく。オペラ歌手の平野和さんは奥様のさゆりさんのピアノをバックにシューベルトの歌曲をドイツ語で、ショスタコービッチをロシア語で、グノー作曲のオペラ曲をフランス語で、そしてバーバーの曲を英語で歌い、最後に日本語でくるりの「Remember Me」をオペラ歌手ならではの圧倒的な声量で歌った。マイクなしでも後ろまで届くのではないかと思わせるほどの熱演だった。平野さんはいまもっとも尊敬する作曲家として岸田さんの名前をあげ、憧れのステージに立てて光栄だと語った。
ぼくはそのときALKOTTOメンバーの大学生のどかちゃんとそのお母さんと一緒に見ていたのだけど、彼女と彼女のお母さんに「この歌を家族と一緒に聴けて良かったね」と伝えた。もちろんそのとき自分の家族のことを考えながら。かつて音博に一緒に来ていた息子たちは、いまはもうサッカーの試合だったり、友だちと遊ぶ約束だったりに忙しく、一緒にコンサートに行ったりはしてくれなくなってしまった。でもまあそれはそれでいいのだ。いつまでも親と一緒に過ごすよりは、自分の世界を自分で育てていってくれればいい。もしかしたらまたいつか大人になったとき、逆に子どもたちから「一緒に行こう」と言ってくるかも知れないのだから。

のどかちゃんと。彼女のママンが撮ってくれました。
噂の、のどかママン。

大阪・茨木出身のフジファブリック山内総一郎さんはMCで、アマチュア時代に茨木のスタジオで初めてくるりを聴き、ずっとファンだったと語り、そんな自分がここに立てていることが信じられないというような話をされた。じつはフジファブリックはぼくが初参戦したあの2011年の音博に出演していてそれ以来13年ぶりとのことだった。しかも来年2月には活動休止することが決まっているためフジファブリックとしての音博はこれが最後になる。勝手に言わせてもらえば、これもなにかの縁なのではないかと感じた。その彼らが最後に「若者のすべて」を演奏した。天才・志村さんが亡くなって、路頭に迷っていた山内さんに声をかけてギタリストとしてくるりに招き入れ、それで実現したのがあの「奇跡」のミュージックビデオでの、奇跡の名演なのだと思うと、いろんな人の人生が、音楽を通じて、音博を通じて、くるりを通じてつながっているのだあと思う。

憧れでいえば、今回のくるりと一緒に演奏した四重奏楽団の第一ヴァイオリニストで、ALKOTTOの公式X(旧twitter)にコメントもいただいた後藤博亮さんは、くるりのコピーバンドをやっていたほど長年のくるりファンで「当時の自分にお前は将来ヴァイオリンでくるりと共演するんだぞと教えてやりたい」と言ったことも語っていたっけ。

そしてそして、他ならぬ岸田さん自身もMCでダニエレ・セーぺとの出会いについて、20年前に初めてCDを買って以来のファンで、たまたまイタリアに旅行した折に、「岸田繁交響曲第1番」「天才の愛」の配信リンクを添えてメールを送ったところ、「君も私と同じで音楽に垣根を作らない人なんだね」という素敵なコメントともに返事が来て、今回の共演につながったという「奇跡の物語」を語ってくれた。岸田さんにしてはめずらしく感情が込み上げているのを隠すことなく、いまの気持ちにまっすぐ話されておいた印象を受け、聞いてる自分も泣きそうになった。

つまりは今年の音博のステージに現れた音楽家の皆さんが共通して語っていたこと。それらはすべて「夢や憧れは、心の底から本気で強く願えば、いつか必ず叶うのだ」というメッセージに他ならない。そしてそもそも、アマチュアでマイナーなメディアである「京都の大学生」が運営するALKOTTOが、くるりの岸田さんをゲストに迎えて直接話を聞く機会をいただけたということだって、「夢は願えば叶う」ということの実現でもあったわけである。これはあくまで想像だけど、今回のインタビューが実現した「奇跡」も、もしかしたらそうした奇跡の連鎖が岸田さんのなかに「自分自身も若者たちの夢を叶えてあげたい」という気持ちに導いてくれていたのかもしれない。

ステージの照明に負けないくらい明る買った上弦の月が照らす、京都音楽博覧会2024の終幕ごろ。

そして、願えば叶う奇跡が、今回もうひとつ起きた。それは音博2日目に「京都の大学生」をやってくれたこと。じつは大学生たちと「京都の大学生やってくれたらきっと泣くなあ」と話していたからだ。しかもダニエレ・セーぺの素晴らしいサックスを交えた、おそらくは今回しか聴くことのできない特別な演奏だったことも、奇跡の奇跡性を高めていた。ぼくは心の中で勝手に「これは岸田さんから君たち大学生へのメッセージだよ」と思いながら、その美しい演奏を聴いていた。空の色はすっかり深い漆黒へと変わり、上弦の月が空高くからぼくらを包むように照らしていた。

音博のあとで、じつは後藤博亮さんからこんなコメントももらっていた。なんでも京都に向かう阪急電車の中でぼくらALKOTTOの記事を読んでいただいていた、ということだった。ぼくらの気持ちが届き、後藤さんや岸田さん、ダニエレ、そして四重奏楽団はじめ演奏家のみなさんも音となってその回答を届けていただいたのだと、いまは思っている。ぼくも、それから一緒にYouTubeやnoteを作り上げてくれた大学生たちも、みんなでその奇跡がもたらした甘いよろこびを享受した。奇跡はなかなか起きないから奇跡なのだけれど、それでもときどき起きるのが奇跡なんだよね。

ダニエレたちがステージを去り、替わって登場した四重奏楽団による「奇跡」の奇跡のようなアウトロはまさに圧巻だった。山内さんがその前に出ていたのもとても象徴的だと思った。フジファブリックとしての最後の音博だし、奇跡のアウトロのギターソロを山内さんがやるという演出も当然アリだったとは思う。でもこの演奏を聴いてしまうと、この奇跡は今回のこのメンバーでしかできない、本当に一期一会の奇跡の演奏だったし、これ以外にはないと思わせる本当にものすごい演奏だった。この曲一曲だけを聴くために2日分の料金を払ってもいいと思わせるような凄みがあった。
そうしてお決まりのラストソングである「宿はなし」も、今回のセットでしかできないとってもエレガントな名演で、アレンジも奇跡的だった。毎回思うことではあるのだけど、とりわけ今回はこの演奏が、このアウトロが、このままずっと、永遠に終わらないでいてほしいと思わせる「宿はなし」だった。

それでも、始まりのファンファーレが鳴った以上は、いつかは必ず終わりを告げる鐘が鳴り響くときがやってきてしまうもの。すべての演奏が終わり「祭りのあと」独特の余韻に浸りながら、会場を後にする。歩きながら、昼間の太陽の熱、会場を埋めたファンたちの熱、そしてすべての音楽家たちの熱、そうしたさまざまな熱にほだされつつ、急激に冷え込んできた夜気も相まって、静かに噛み締めるようにゆっくりと心をクールダウンさせながら歩いていく。
そんなふうにして静かな余韻に浸りながら大学生たち(とそのお母さん一名)と一緒に出口へと向かって歩いているとき、ふと「音博を同窓会にしようよ」という言葉が自然に口をついて出た。そう。彼女たちもいずれは卒業していく。そして就職したりしてそれぞれの道を歩いてゆき、いずれはバラバラになってしまうだろう。だから、毎年音博で集まる、音博に帰ってくる、というのはいいアイデアだと思ったのだ。卒業しても、就職しても、結婚してママやパパになっても。子どもたちを連れてきたりして、シートを広げて飲んだり食べたりしながら、ここでみんなで一緒に音楽を聴く。それがALKOTTOの同窓会。音博という音楽祭にはそういう風景がよく似合うし、そんなフェスはおそらく世界中を探したって、まずないだろうと思うから。それにぼくにとってもそれは、今後の音博の新たな楽しみかたがひとつできたみたいで悪くないなあ。

そんなことを話しながら、音博カラーのあざやかなグリーンに染められた京都タワーを眺めつつ帰路に着くあいだじゅう、ぼくはいろんな感情が吹き出しそうになっていた。あの場の美しさを共有したすべての人たちと、誰彼構わずハグしたい気持ちを一生懸命に抑えながら、ぼくは「206番」に飛び乗って、ひとり家路へとついた。

家に帰り着いても音博の余韻は身体の深いところにまで浸透して、ワインの瓶の底に溜まったブドウの澱のように残り続けていた。それでも。
時が経てば、この感情もやがては霧散し、跡形もなく失われてしまうのだろう、ということもわかっていた。くるりの楽曲で岸田さんが書く歌詞のなかでは、いつだってなにかを忘れてしまう主人公が登場するように。だからこそぼくはその余熱のような感情を、少しでも長く自分の中に留めておきたい、抱きしめておきたいと、その夜は一切の音楽を聴かず、一滴のお酒も飲まずに、そのままシャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。お決まりの朝が来て、白く眩しい朝の光とともに訪れた退屈な日常のなかで、たとえその熱情が冷めてしまっていたとしても、その目覚めた朝が変わらず平和で、素敵な一日の始まりであり続けていることを願って。

音博レポートはこれで終わりです。長らく読んでくれたみなさん、ありがとうございました。YouTubeやnoteの記事にご協力いただいたくるりの岸田さん、マネジメントNoise McCartneyのみなさん、それから動画や記事を楽しんでいただいたみなさん、取材・撮影に参加してくれた学生スタッフや出演者のみんな、そして最後に梅小路公園で一緒に同じ体験を共有したすべてのみなさんにも、ありったけの謝意とともに不気味なキスを贈りたいと思います。ほんとうに、ありがとうございました!

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