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卒業式の思い出

♪悲しいことがあると 開く皮の表紙♪(荒井由実『卒業写真』より)
ふいに卒業アルバムを開きたくなったできごとがありました。

今日、2024年3月9日、僕の住むエリアの中学校は、卒業式だったという学校が多かったです。
土曜なのに制服着てカバン担いでる中学生をあちこちで見かけましたし
お昼ごろには校庭に集まっている保護者と生徒たちを見ましたし‥

学生時代からかなり年を経た今の僕ですが、不意に卒業式のことが懐かしくなって、noteに綴ってみたくなりました。


小学校の卒業式

小学校の先生は、自分の両親と同じくらいに一日の大半を過ごす大人、だと言えます。特に僕の大恩師のM先生は、小学校3年時の担任、4年時の音楽担任、そして5年・6年時は担任‥と長年お世話になりました。
年賀はがきやお手紙でやり取りをすることもある、大切な先生です。
先生とのお別れは寂しかったけれど、卒業アルバムの「クラスのみんなのいいところ」のページに、M先生が「人の心がわかる心の目を持った先生」という僕の書いた文をそのまま採用してくださったことも含めて、本当に良い思い出です。

6年生の時、児童会運営委員(つまりは児童代表)を務めていた僕は、何人かの女の子からばい菌扱いされていじめられてもいたけれど、先生方から守ってもらえて、たくさんの愛情を注いでもらって、とにかく晴れやかな笑顔で卒業式を迎えた覚えがあります。
校舎の外で、先生方に向けて卒業生代表として、最後のお礼のあいさつをしたのを覚えていて、その写真があるし、クラスメイトの女の子とM先生と撮った写真もあります。
これから先のことや、ましてや大人になることなんてまだまだ全然分からない年頃のことでした。

先生、今でもお元気かなぁ。


中学校の卒業式

「お前、何しに学校来てるんだ!」と訊かれたら
「部活です!」と言えるくらいに、吹奏楽部の活動に燃え燃えだった中学校時代。
高校入試の前日まで、後輩たちに交じって朝練していたくらい、楽器を吹くのが楽しくて仕方がなかったです。

4つの小学校がドッキングする形の町に一つしかない中学校で、小学校のときよりいじめや嫌われる率は増えたし、一部の先生からも「変な子」扱いされていたけれど、吹奏楽部の顧問の先生は、僕のことを本当に大切にしてくれて、今でもつながりのある大先生。
卒業式終了後、吹奏楽部が学校の玄関で卒業ソングを演奏して卒業生を送り出すのだけれど、僕は楽器があったらむしろそっちに入りたかった!
演奏が終わった後輩たちと写真を撮ったのも懐かしい‥。


高校の卒業式

志望校には受かった、吹奏楽部も続けた、優しい先生いっぱいいた
でも悲しいくらい勉強はついていけなかった
いじめはさらにエスカレートした
友達やクラスメートとのいい思い出はほとんどない‥

卒業式の日は小雪が降っていて、卒業証書とかを受け取って、先生の挨拶もそこそこに、校舎を後にしました。
社会福祉学部に絞って受けた大学の前期入試が全部だめで、長野や名古屋や大阪などに、後期日程の大学入試を受けに行くために準備などいろいろあったからです。
蛇足ながら、県外の大学の入試結果は散々で、唯一受けた地元私立大学の法学部法律学科に通うことになります。

今でこそ、吹奏楽部がテレビ番組の影響で注目を集め、文武両道を掲げる出身校に通った誇りはあるけれど‥
学校生活や部活動、もっと一日一日を楽しく大切に過ごしたかったな‥。


大学の卒業式

ある意味一番楽しかったのは、大学の卒業式だったかもしれません。
入学式の式典演奏担当が、室内管弦学部
卒業式の式典演奏担当が、僕の所属する吹奏楽部でした。

市内のホールを貸し切って行われる卒業式は、吹奏楽部がオーケストラピットに入り、開式の前にクラシックアレンジの曲を一発演奏したあと、開式のファンファーレ、国家を演奏。
式典の最後に校歌を演奏し、数年後、ヴァンデルロースト編曲の「SAYONARA」というタイトルの「蛍の光」を演奏するようになりました。

そして式典演奏には現役生だけでなく、卒業生が加わり、現役生と最後の本番を共にするというのが伝統でした。
つまり、大学4年間ずっと、卒業式はオーケストラピットで過ごすのが「お約束」だったのです。

演奏した曲は以下の通り。

1年時:ベルリオーズ作曲「葬送と勝利の大交響曲」より「アポテオーズ」
2年時:サン=サーンス作曲「交響曲第3番“オルガン付き”」より終楽章
3年時:ベルリオーズ作曲「ラコッツィ行進曲」
4年時:マイアベーア作曲「オペラ『預言者』」より「 戴冠式行進曲」

卒業証書とともに、中学校社会科と高校地理歴史の教員免許状を取得できたのもよい思い出ですね。


そして、卒業してからも

大学を卒業して社会人になってからも、実は卒業式の式典演奏にはOBとして参加していました。
3月中旬に他のOBや後輩たちと、卒業式の会場で「最後の本番」を迎え、卒業生の晴れ姿を見てうっとりして「いやぁめでたいめでたい」とみんなで笑顔で送り出し、それが終わると春が来る‥というのが10数年続きました。

演奏した曲で覚えているものをあげます。
ヴェルディ作曲 歌劇「アイーダ」より「凱旋行進曲」
ヴェルディ作曲 歌劇「アイーダ」より「勝ちて帰れ(Ritorna vincitor)」
コープランド作曲 バレエ音楽「アパラチアの春」より 「シェイカー教徒の旋律による変奏曲」

そして、大学の吹奏楽部の顧問の先生が大学を去るとき、その前の年の演奏会で演った、ガーシュウィン作曲の「ポーギーとベス」組曲“キャットフィッシュ・ロウ”内の「O Lawd, I'm On My Way」を、大学職員への打ち合わせなしに、アンコールだ!と言わんばかりにハデにぶちかましたのを覚えています。あの時の演奏は、本当に会心の演奏だったなぁ♪

演奏会と同じかそれ以上に吹いていて楽しかったし、これがきっかけで、管弦楽曲に触れることも多くなりました。
演奏形態はともかく
「クラシックって・オーケストラっていいもんだろう?」
「吹奏楽曲ばかりでなく、もっと“音楽を楽しめ”!」
と、いろんなアプローチから言われていた感じがしたのです。
僕の音楽活動のベースが、吹奏楽ではなくオーケストラにあるのも、これがきっかけなのかもしれません。


最近は、卒業式というワードに触れることも、振り返ることもなくなってしまいましたが、
それぞれの卒業式に、それぞれの思い出があって
こうして思い出してみると、久しぶりに、あのころの懐かしい出来事の数々に浸ることができました。

わかったことがあるんです。
自分にとって「卒業式」というものが感慨深いのは

●人よりも記憶力が強く、少ないながらもかけがえのない大切な人との思い出を大切にできているから
●人よりたくさんの卒業式に参加していて、大好きな吹奏楽(音楽)の思い出と共にある記憶だから


そして、今はもう聞こえなくなってしまったたくさんの人の声ですが
今ではあのころとは想像もつかなかった別の声が聞こえるようになりました。

時がたてば仲間はかわる ━━━
だけど走り続けていれば新しい仲間の声が必ず聞こえる

楠みちはる作 コミック『湾岸Midnight』VOL.12より

ちゃんと生きて
一歩ずつでも前に進んで
日々成長していける
そういう自分を作ってくれた、たくさんの先生方、これまで出会ってくれた人たちに
ありがとう。

そして、卒業する若人たち!
君に幸せあれ!

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