卵白パックと卵黄の行方
肌を引き締め整え、顔の輪郭をリフトアップする卵白パックを私は一週間に一回行っている。この習慣は二十五年くらい続けている。東京にいた頃はエステサロンで施術してもらっていたが、日本を離れてからは自宅で実行している。この卵白パックは安全だし自然の材料しか使っていないし、経済的だし、リスクはないし、それなりに効果がある。顔の輪郭がぼやっとしたときにこのパックをするとシュッとシャープになる。年齢を重ねれば肌がたるんで落ちてくるのは仕方ないが、宴の翌朝顔がむくんでいる時、公演の当日、撮影の前にはこのパックが威力を発揮するのだ。
卵白パックのやり方と美容的効果
1)卵ひとつ分の卵白だけをボールにとって泡立てる。
2)小麦粉を少し混ぜ、洗顔した頬やあごに塗る。
小麦粉を混ぜないと顔に定着しないで、だらだらと垂れてくる。
3)パックが乾いてくると、肌が痛いくらいに引き締まってくる。ケロイドのような状態でカピカピになり、悲惨な外観なので、配偶者や同居人のいない時間に行ったほうが良いでしょう。
4)三十分後にぬるま湯で洗い流し、タオルドライする。冷たいローションでパッティングして肌を整える。パック後は三十分くらい肌が赤くなるので、撮影より5時間以上前に行ったほうが良いです。
卵白は界面活性作用で毛穴の汚れや古い角質を除去する。卵白に含まれているオボムコイド、オボグログリン、オボアルブミンなどの成分が皮膚に浸透して真皮の弾性繊維を若返らせる。メラニンの合成も阻止し、美白にも効果があるようである。
人によってはアレルギーが出たり、肌がかぶれたりすることもあるので、少量でテストしてから行ってください。私は二十五年間、問題なく続けています。
卵黄はどこへ?
そこで毎回困るのは「 卵黄が余る」ことである。
余った卵黄でマヨネーズやカスタードクリームを作るという手もあるが、毎週やれるものではない。加熱して食べるにしても、卵黄だけを調理する手間、それに使った器具や食器を洗う時間も無駄である。保存もきかない。その結果、卵黄だけ捨ててしまう。
そういう時「 一週間に一回卵黄だけを必要とする人が近所に住んでいればいいのに」といつも思う。卵黄だけを必要とする人は探せば見つかるかもしれないが、そういう人を見つける手間や渡すまでの時間、運搬に使う器の調達や洗浄などを考えると、
「 卵白しか使わない人は卵黄を捨て、卵黄だけしか使わない人は卵白を捨てる」のが最も費用も時間もかからないのだ。卵のような安価で鮮度を問われるものに関しては。
同様、私のところに来る仕事でも「数十年前の私だったら喜んで受けただろうな」と思うようなオファーが多い。今の自分が求めている仕事は少ない。そういうとき「数十年前の私」のようなダンサーがすぐに連絡できる状態であればサッと引き渡せるのに。
しかしそれらを探す時間がない。手間を掛けられないのでせっかく来た仕事は断り、卵黄は捨てる。
卵黄も卵白も有効に使えれば、それを必要としている人が簡単に得ることが出来れば輪が完成する。
凹凸の凹が凸を探すのは難しい
一応断っておくと、これはLGBTの批判なんかではない。
かつてフランスでは低所得者を郊外の公団住宅に放り込むという政策が取られていたが、そうなると隣近所も職場も低所得者なので、ビンボーな人同士が付き合い事になる。彼らの子供は低所得者の子供の集まる学校に行き、ビンボーな友達とビンボーな付き合い方をする。
下層の者同士が集まっても、ろくなことは起こらない。
お金がなくて時間のある人は、お金があって時間のない人と一緒に居るべきなのだ。お金がない人は何かの能力を磨き、お金のある人のために役立てて報酬を得れば、そこで輪が成立する。需要と供給のバランスがとれる。
料理が苦手で掃除が得意な人は、料理が得意で掃除が苦手な人と一緒に居るべきなのだ。しかし「料理好きの会」を見つけることはたやすくても「誰かに料理を代わりにやってもらいたい人の会」は見つけられない。その人が何かを発信しない限りは。
きょうびネットなどで同類や同業者を探すのはたやすい。しかし自分の受け皿を探すのはたやすくはない。
例えばワークショップの主催者を見つけることは容易でも受講者を見つけるのは難しい。だから私のもとになぜか同業者から招待が届く。彼らは絶対に来る可能性のない人を招待して広報したつもりになっている。自分もそういう頓馬なことを行ってしまう時がある。
ダンスにおいての卵白と卵黄
ここフランスではダンスの制作に関する講座や集会が度々開かれるが、それらが実りのあるものにならないのは、凹ばかり、凸ばかりが集まっているからだ。
特に不足しているもの同士が集まりがちなのだ。満ち足りている人は集まる必要がないからだ。
援助したい人とされたい人が同数集まれば目的が達せられるが、援助されたい人ばかりが集まっても、 同性同士が集まってお見合いしているような状況になる。セミナーの主催者はそれがもたらす結果について考慮するべきだと思う。
アーティスト同士は同じ悩みを抱えているわけだから気は合う。話は合う、しかしアーティスト同士で結婚して起こる問題は、どちらもサポートしてもらいたい側であるというところにある。双方が別々のプロジェクトに向かっている場合には、配偶者が助けになるどころか邪魔になることすらある。そこでよく起こるのは、どちらかが自分の芸術の遂行を断念して片方のサポートに回ることである。それは社会の損失であるし、残念なことである。サポートやマネージメントに適正のある人は世の中に存在する。マネージメントは単なる奴隷労働ではない。それなりのスキルも才能も必要だし、向き、不向きもある。向かない人が自分の本来の才能を犠牲にして気に染まないことをするのは不幸である。
では、向いている人をどうやって見つけるのか?どうやって受け皿を見つけるのか?
ネットの発達、フリマやヤフオクやメルカリなどのお蔭で、自分の不要なものを必要な人のために役立てることに関しては進んでいる。 AirbubやUberなどのサービスも、需要と供給の合う素晴らしいシステムだ。宿泊所や車は絶対必要なものだからシェアリングサービスが成り立つのだが、アートは無くてはならないものではない。よって、そういうシステムが生まれない。
たとえば今の自分は、事業のパートナーを切実に欲しているのだ。しかしなかなか得られないのだ。
また、自分の能力を有効に活用していない感が年々増している。これを受け入れてくれる場所はないものだろうか?
一刻も早く良いシステムを見つけたい(あるいは作りたい)。そして輪を完成させ前に進むのだ。
有科珠々
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