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楽しく弾くなら、昔の好きを断捨離しないと

今、手持ちの動く理由は結構余裕があって、少し前に何もできずにいた状態から少し行動しながら悩むようになった。頭で考えていても見通しは悪いけど、動いてみても分かんないものは多い。じれったくても整理の時間を確保したほうが良い。

最近は学芸員の授業を日中受けて、という日々。夜は演奏なり、友達と話したりですることは尽きず、常に何かを見ているか、見ないようにしているかだ。

そうしていると、少し距離を置いて自分を眺めるみたいな時間はない。メンテナンスは必要で、そのための場所としてnoteを捉えていくことを何となく考えていた。車の整備場みたいに、少し不具合が発生したらここを訪れて点検を終えたらまた走りに行くような場所だ。


そうして今も不具合が発生したので、ここを訪れている。
やらなくてはいけないことも溜まり始めているし、出さないといけないレポートも手を付けなくてはいけなくなる。けど、本題はそこじゃない。

部活の演奏が楽しくない。そのせいで好きと思っていた部活のメンバーやその演奏までもを「どうでもいい」と思ってしまいそうだ。
こいつずっと同じことで悩んでるな。

一か月前までは合奏していて絶対的に物足りなさは感じていたのに、それを上手く言葉にすることが出来なくて諦めていた。その物足りなさは「演奏におけるイメージ」という言葉になるのだけど、それに溢れる演奏を体験して、心の深くまで突き刺さるようなどうしようもない楽しさと、「これこそ私が求めている要素だ!」という気付きを得てきた。

それを経て、よく合奏するメンバーと話す時間を作ってみた。
「あなたはどういう合奏がしたいの?」
「どういう合奏を楽しいと思うの?」
「私はこういう合奏を目指しているよ。」
時間をかけて交換して、相手が見ているものへの発見や理解を深められたと思う。やらないよりはやってよかった。

それでも、すぐに過ごしやすくなる訳などない。
あと、この努力は上手く伝えるための努力で「伝えられる」努力が欠けているんじゃないかとか。
私は演奏における好きが大事で、それ以外は些事と思っているけど、「コミュニティにおける協調性とかを気にして、好きが二の次になるかもしれない」と不安がったり。

結局は、圧倒的に受け取るメッセージが足りていないのだ。それで想像の下で、優先順位上位の2つを比較してしまって苦しくなっている。
でも、そこまで不安定ならば価値観を見直すことになるんだろう。これまで大事だったものを、そうじゃないと決めないといけなくなる。

私たちは次の舞台へ。

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