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季節「秋」、スタァライト

家を出て秋風にすくむ一日の始まりを迎えて、ようやく九月の終わりまで夏休みだったことを実感している。
そうして回りだす一日の中で春学期の記憶が蘇っていく。
懐かしい忙しさよりも見知らぬ寒さが先に訪れたので、自然と時間が繰り返さないことを意識してしまった。

この二日間で気温が一気に冷え込んで、生活も人間も身の回りの全てがこの先の冬に向けて動き始めたように感じる。
一人暮らしの自分は冬を上手く過ごせるだろうか。
そんな一抹の不安がよぎると、今までの冬の記憶が思い出されてきた。
寒い中寝袋にくるまって机に向かったこと、銀杏並木に通学路を変えたこと、体を抱えながら食い入るようにアニメを見たこと。
そんな過去に導かれて、今年の冬は自分にとってどんな季節になるのか、期待を抱く秋の始まりである。


さて、
季節が理由でもあるけれど、いつもより感傷的なのは先日劇場版スタァライトを見たからに違いない。
中学生の夏にスタァライトされて以来、最も好きな作品に位置し続けたこの作品は折に触れて私に大きな爪痕を残してきた。
そうだというのに映画を劇場で見られずに、ただ毎日Youtubeで冒頭映像にしびれるだけの日々を過ごしてしまった。
とにもかくにも因縁深い作品とようやく対峙する覚悟を決めた私は、一年遅れで「浴びた」のだ。

あの理解できなさをもう一度味わえた感動でその夜は寝られなかった。
夏アニメの一話をローラーしていた私にサーベルを突き立てた「世界を灰にするまで」を筆頭に、全話において理解するよりも先に心を鷲掴みにしたあの暴力の結晶と再び相見えた幸せに声にならない叫びが漏れてしまった。

そこから何度も「花咲か唄」を繰り返したように、映画を繰り返し見てようやく整理がつき始めた。
本作は過去に蹴りをつける作品であり、アニメ版よりも明確に前に進む意思を持った作品となった。
彼女らが彼女らのやり方で過去と別れて未来に向かったことが、停滞していた自分に推進力を与えた。

列車は必ず次の駅へ、
では舞台は?
私たちは?

愛城華恋は次の舞台へ。では私は?
この問いを胸に生きることが良い結果をもたらすことは、スタァライトされた私が歩んだ過去が物語っている。
私にピッタリの未来が待ってるんだ。


移ろう季節は新たな自分を運んでくる。
秋はどんな自分が待っているんだろうか。

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