花とプルースト効果。溺れた春の話。
「違和感に敏感で、気付きつつも気付かないフリをしてるね」
先輩に言われたその言葉の答え合わせに、数ヶ月かかった。
自分より自分のことを見てくれている人の言葉というのは何物にも代えがたい。
さて、桜の蕾が膨らみ夏の湿っぽい匂いがするまでの期間、惹かれた人がいた。
純情で恥ずかしがり屋だが、器用で面倒見のいい親分肌。誰かの幸せを願える人想いで平和主義なところが私は、とてもとてもすきだった。
そしてそんな彼と都会の絵の具で春を埋め尽くしてしまった。
どう工夫すれば心から楽しんでもらえるのか
どう話せばまた会いたくなるのか
どんな雰囲気を纏えば可愛いと言ってもらえるのか
どう伝えれば好きだと思ってもらえるのか
悩めば悩むほど、弱くなっている自分に気付いた。
「不条理な優しさは罪だ」と文句を言いつつ、待ち遠しく焦がれている自分が情けなく嫌いになってきた。
期待しすぎていたのだ。
その人の見えなかった部分が見えただけなのだ。
まるで「500日のサマー」のトム・ハンセン状態。
「もしかしたら」ほど賭けていいものはない。
ちなみに、映画というのはある一定の時間を置いて観ると別視点で物事を捉えることができるのでおすすめだ。あなたの瞳にはサマーとトムがどう映るか。
話は戻るがこの春、桜を見上げる機会が幾度となくあった。
見上げるその隣にはいつも彼がいたが、儚い桜とともに夜風に運ばれてもう消えてしまうのではないかと思い、怖かった。
人の心は独占できないのだ。
タイミングと縁と巡り合わせによってきっとその人にとってベストな時がある。そこにピースがハマる。
もしかしたら運命なんてものはなく、
熱量と努力の重ね合わせた結果なのかもしれないとふと感じた。(勿論、異論はあるだろう。)
過去の恋傷の繊維まで辿って、私なりにできることはやってみたが届かなかったのだから仕方ない。
そんな諦めの準備をしていた夜、知人の家に置いてあった短歌集に出会った。
飛び込んできた一文を読んだ瞬間、号泣した。
かなしみを愛おしく感じさせてくれる、優しさのある木下龍也さんの『あなたのための短歌集』だった。
絶妙な切り返しに感嘆し、翌日 本屋に走った。
読んだ自分が誰かにこの短歌を送りたくなっていた。知らない誰かのためだった短歌が私と私の大事な誰かの短歌になるなんて。是非あなたにも読んでほしい。
彼は私と過ごした日々や見た景色を忘れ捨てたかもしれないが、残酷なことにすきな花を伝え纏っている香水を教え合ってしまった。
きっと来年の春どこかの街で花を見つけ、誰かとすれ違ったときの香りで互いを思い出すことがあるかもしれない。
私を想ってくれて、自分がらしくいられるような存在であり、私自身も相手を幸せに元気にしたくなるような、そんな人に出逢える旅にまた出ようと思う。
人生を好きに謳歌して、結果、長生きできたらそれでいいな。
ほんとに縁がある人は離れたとしてもまたいつか巡り合えるはず。
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