怒らないで、聞いて欲しい。
うまく眠れない日々が続いている。iPhoneを触りながら寝落ちして、ぼんやり目が覚めたら寝ぼけまなこでまたiPhoneを触るから。いけないと分かっていても、すこしでも他人の気配を感じたくてつい触ってしまう。
人に極力会わないようになってもうそろそろ一ヶ月。出演予定だった舞台は流れ、ほかのお仕事はバラシになり、お友達と行きたかったいちご狩りもお花見もなくなり、会いたい人にも会えず、帰りたかった実家にも帰れず、重い持病のある大好きな祖父母の元へ遊びに行くことなんてもちろんできず、めそめそしそうになってはぐっと堪える日々を送っている。
そんなわたしがほんのちょっぴり安らげる場として、SNSは存在している。
否、していた。
最近、Twitterを見ることがつらい(なら見るななんて野暮なことは言わないでくれるとうれしい)。右を向いても左を向いても怒っている人ばかりで、著名なあの人も大好きなあの人も知っているあの人も知らないあの人も怒っている。それはもう、ミュートをしてもしきれないくらいに。
怒っていることに関しては別にいい。怒りたくなる気持ちもわかるし、なにより自由だ。ただ彼ら(のうちの一部)は「みんなももっと怒るべき」という風に、感情の共有の強要をしがちで、わたしがこういうことを言うと否定された気になるのか、更に怒ってしまう。心がいまよりもっと弱かった頃のわたしなら、怒っている人たちへの恐怖心から無理に合わせて怒っていたかもしれない。
でも気付いた。やはりわたしはこういう時にあまり怒れないと。ノンポリなわけでも、思うところがないわけでもなく、単純に有事に際して怒りの感情が湧かないんだ。
一つの理由として、元々の人間性がある。
わたしはこの"有栖川姫子"というキャラクターもあいまってか、浅い付き合いの人からはよく【感情的】【衝動的】【攻撃的】と思われがちだけれど、よく知る人からは【冷静】【慎重】【温厚】だと言われるし、その自負もある。言いたいことはわりと言う方だからそれでトラブルになることはままあるけれど、それは決して感情的だからでも、衝動的だからでも、攻撃的だからでもない。
そしてもう一つの理由は、すでに怒っている人がたくさんいるから、である。
実はこれはとても重要なことで、ずっとこれについてお話ししたかったのだけれど、いろいろすっ飛ばしてとりあえず苦しんでいる人たちの気持ちをやわらげるために、
"最近のTwitterはたくさんの人が怒っていて「もっと怒るべき」みたいな同調圧力に息苦しさを感じている人もきっと居るよね。わたしもそう。わたしはノンポリではないし思うところはたくさんあるけれど怒れない。大切な事を人に伝える時は怒らずして伝えたいしあとは行動で意思表示したいと思っている。"
"怒れない自分に悲しくなる必要はないし、ましてや周りの怒りに同調して無理矢理怒る必要もないし、ノンポリで特に意思がないならそれもまた尊重されるべき意思のひとつだ。大丈夫。ただ怒りの感情が湧かずとも少しでも気になるところがあるのなら、こっそりでも行動した方がいいとは思うけれど。"
"怒りを露わにする時は怒りによって他者をコントロールしようとしている時なんだよなあ"
とツイートをした結果、怒っている人たちの神経を逆撫でしてしまったようで、あわてていまこうしてnoteを書いている。
すこしいじわるな目で見れば、こんな穴だらけの文章、いくらでも叩けると思うけれど、どうか最後まで怒らないで読んでくれたらうれしい。
まずは一言、
怒ってくれて、ありがとう。
ただキレ散らかしている人は周囲を威圧するばかりであまり生産的ではないと思うけれど、たくさんの人の怒りを汲み取ってうまく行動してくれる人がいることによって、現状がいくぶんマシになることも事実。その恩恵を受ける以上、それに関しては一度きちんと言葉にしてお礼をしたかった。怒ってくれて、ありがとう。
けれど、一つだけわかって欲しい。
あなたの怒りはあなたの怒りであって、誰かの怒りでも、ましてやわたしの怒りでもないということを。
だから、べき論で同調を促すようなことはしないで欲しいし、わたしのような人間の意見に対して過剰に反応して攻撃しないで欲しいんだ。
あなたはあなたで尊い存在なように、わたしはわたしで尊い存在だもの。
わたしにあなたを撃つ意思はないし、わたしはあなたと手を取りたい。あなたが怒って世界を変えようとするのなら、わたしは怒らずに世界を変えようとしたい。そうやって別々の戦い方をして、一緒に世界のバランスを取りつつ、よりよい世界を目指してゆきたい。ただそれだけだもの。
演劇をやっていると「これ誰かが口出ししないとやべーぞ」という現場はしばしばあって、誰も口を出さなそうだと判断するとわたしが口を出すこともある。するとなぜかわがまま姫だと言われたり、思われたりもする。稀に普通に嫌われたりもする。よりよい現場、よりよい作品のために意見しても、だ(この考え方がそもそも傲慢だという自覚はある)。
そういう時、「みんながのほほんとしていられるのは汚れ役を買う人がいるからやぞ!」と泣きたくなる、こともある。
そしてこの非常事態においてわたしが言うところの"汚れ役"を買ってくれているのが、怒っている人たちだ。中には雰囲気に呑まれて怒っているだけの不勉強露呈マンもいるので、全員が全員"それ"に当てはまるとは思わないけれど、"そういう人"がいることも確かで、"そういう人たち"がいるから、わたしは、怒れない/怒らない/怒りたくない、という選択や主張ができるのだとも思う。
きっと、誰も声を上げなかったら、危機感をもって声を上げていたのはわたしだ。だからわかる。いま怒って声を上げている人たちは、優しさや善意で怒って声を上げているんだと。
もう一度言おう。
怒ってくれて、ありがとう。
わたしは、怒っている優しい人たちが本当に守ろうとしている優しい世界を守るため、怒らずに優しくなるよ。
怒っている人たちが、怒っている人を怖がっている人たちに伝えきれない大切なことを、わたしが怒らずに伝えられるようになるよ。
怒っている人たちが疲れて帰る場所がなくならないよう、怒らず火を絶やさずに待っているよ。
ただ、わたしは怒っている人たちと一緒になって怒ることはできない。それはわたしの意思ではないから。ごめん。でも代わりにできることはあるはずだから、わたしはわたしの心と意思を大切にして、動いてゆきたい。それは本当に、おいしいところを取ろうとしているのではなく、世界のバランスを取ろうとしているだけだとわかってもらえたらうれしい。極端に偏った世界では、より多くの人は救えないんだ。
怒りはたしかに原動力になる。わたしもよく怒りや殺意を原動力にして、表現活動をしている。でも怒りは麻薬だ。過剰摂取すると怒れる物事を探すくせがついてしまい、人の心は壊れはじめてしまう。だからほどほどに、自分の心を守って欲しい。ひいてはそれが、自分の周りの人の心を守ることにもなるから。
では、わたしは、怒っている人、怒っている人を怖がっている人、どちらでもない人、みんなまとめて次の世界へ行けるよう、今までの世界を大切にして、日々の変わらぬ何気ない発信を続けながら、大切な人たちの命を守るため、見知らぬ誰かの命を守るため、自分の命を守るため、家にこもって、自分を磨いて、勉強して、次の選挙のための情報を仕入れつつ、人と意見交換をしつつ、たくさんの素敵なものを生み出し続けよう。
疲れたあなたを少しでも楽しませられるように。
次の世界でもエンタメが生きていられるように。
ここぞという時にわたしが立ち上がれるように。
それが
いま私にできること。
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