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時の経過をどう受け止めようか

あんなに満開に咲き誇っていた桜の木があっという間に緑の新緑に包まれようとしている。冬が終わって春の訪れを告げるように一斉に咲き始めた桜もものの数週間で散ってしまった。けど、今年もやっぱり綺麗だなと、この季節になると毎年同じような写真を撮ってしまう。
何となく桜を見ると、また1年、”時”が過ぎていったのかと実感する。そして大切な存在が来年も同じようにこの季節を過ごせることを切に願ってしまう。

年々、1年間という時間の経過が早く感じるようになって、自分も年を重ねることへの不安を感じるのだけど、最近はそれ以上に自分より年上の大切な存在(祖母や両親)のことを想い、胸がギュッと掴まれるような気持ちになる。特に祖母に会うと1年の経過がどれほどのものなのかを思い知り、確実に残されている時間の短さを実感する。絶対に泣いてはいけないと思い、頑張って笑顔で話しかけたけど、顔を見ると涙が出そうだった。何度も祖母に会いに行っているのに、会えるのはこれが最後なのだろうかと覚悟しながら会いに行くのは今回が初めてだった。
そして、祖母に優しく話しかける母を見ながら、いつか自分が今の母の立場になる日が来るのだと想像してしまった。

祖母の存在だけでなく、愛犬の存在もまた、私に時が過ぎていくことの残酷さを突き付けてくる。愛犬は今年で13歳になる。見た目は今でも愛くるしく、とても年を取っているようには見えないけれど、身体は確実に老い始めているらしい。いつかその日が来ることを覚悟して家族になったから、最後の1秒まで幸せを感じて生きてほしいと思っている。犬のことだから、突然体調が悪くなることもあるらしく、年齢的にも心の準備は必要なのだけど、心の準備なぞしてもしきれないのだ。
何があっても、どんなに頑張っても「あの時こうしていたら」という後悔は付きまとうのだと思う。だから、いかにその後悔を少なくすることが出来るかが唯一私達に出来ることなのかもしれない。

人でも犬でも大切な存在を失うことは避けられないから、後回しにせず、会える時に会いに行って沢山の「ありがとう」と「愛してる」を伝えるほかないのだろう。

とはいえ、私は「その日」が来たあと、一人で家に戻り、その喪失感と向きえる自信が今はなく、それがとても不安だ。こういう時、一緒に暮らすパートナーや子供がいれば少しは気持ちが軽くなるのだろうか。。

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