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15. 春の夢動物のいない動物園

 ミルンの『赤い館の秘密』にはケジャリーが登場するが、『くまのプーさん(Winnie the Pooh)』には、ロンドン動物園の話が出てくる。私たち親子は、ロンドン動物園で奇妙な夢を見た。

15.  春の夢動物のいない動物園
 
  ミルンの『クマのプーさん(Winnie the Pooh)』のまえがきに、動物園の回り方の話が書いてある。

 「だれでも、しばらく、ロンドンにいれば、かならず動物園へいくものです。でも、世のなかには、動物園にいくと、「入り口」という、いちばんはじめのところからはじめて、できるだけ早く、どの動物のオリも通りすぎ、「出口」というところへぬけてしまう人もいます。けれども、ほんとうにいい人たちは、まっすぐ、じぶんのいちばんすきな動物のところへ、いつまでもそのそばにいるものなのです。クリストファー・ロビンも、動物園にいくと、北極グマのところへまいります。」

 このクマの名前がウィニーである。ロンドン動物園のHPによれば、このクマはカナダ軍の大尉が母親のいない雌の子グマをカナダのオンタリオで引き取り、兵隊たちのマスコットにしていた子グマだった。部隊がヨーロッパ戦線に移動した1914年にロンドン動物園に預けられ、そのあと正式にロンドン動物園に譲られたもので、この大尉の故郷カナダのウィニペグに因んでウィニーと名付けられていた。前述のまえがき訳文には北極グマとあるが、HPには黒い子グマと書かれている。ミルン親子がこのクマをよく見にきていたことから、1926年に「Winnie the Pooh」のお話が生まれた。HPには「Pooh bear, after her, and so Winnie the Pooh was born.」とある。
 以前ロンドンに行った時、ミルンとクリストファー・ロビン親子を気取って、私と息子もロンドン動物園に出かけた。そして、他の動物はそこそこにしてクマではなくペンギン舎へ行った。その意味では、私たちは「ほんとうにいい人たち」の部類に入る。

 ロンドン動物園は、1828年に作られた世界初の科学的動物園で、作られた当初は科学研究のために動物を収集しておく施設だったという。その後、1848年から動物たちは一般公開されている。開設経緯からして、経営はロンドン動物学会が行っているのだが、土地は王室から借用してスタートした。Zooはもともと動物という意味らしく、動物園は正式にはZoological Gardenと言われていた。つまり動物学的庭園である。ロンドンの人たちはこれをZooという略称で呼び、今ではこれが動物園を意味する言葉となっている。

 もう一度いうと、私たち親子はペンギン舎へ行ったのである。ところが、そのペンギン舎にはペンギンがいない。ロンドン動物園では、動物舎の設計を有名な建築家に依頼してきた。1828年のラマ舎(現在は時計塔)、1837年のキリン舎、1933年のゴリラ舎、1934年のペンギン舎、1964年の禽舎、1965年の象舎とサイ舎などがそうである。なかでもペンギン舎のプールには、ペンギンが歩くための美しく交差するコンクリート製の螺旋形スロープが二本ある。シンプルではあるが設計者の知恵が表に見えるデザインである。ペンギンは新しいペンギン舎に引っ越して、その旧いペンギン舎には住んでいないのだが、その美しいデザインゆえに保存されているのである。構造的な工夫を含めた建築デザインの美しさもさることながら、知恵を評価するという文化的な社会環境が素晴らしいと思う。構造的な工夫に関する説明パネルも展示されている。すでにお分かりのように、私たち親子はペンギンのいない旧いペンギン舎のペンギンプールの螺旋形スロープを見に行ったのである。「ほんとうにいい人たち」と言う資格はないのかもしれない。それでも、しばらくぺンギンのいないペンギンプールを見ていたら、不思議な感じがしてきた。頭の中で、ペンギンがあのスロープをトコトコと歩いているのだ。「動物のいない動物園」にいる動物を見ていたのである。

 自然の中で暮らす動物を捕獲し、長距離の移動を経て動物の意にそまない生活を強いるという、従来の動物園のあり方に疑問を持つ人は多い。動物福祉という考え方があるそうだ。欧州で提唱された概念で、英語ではAnimal Welfareという。福祉という言葉の持つイメージよりは、「らしく生きるしあわせ」とか「自然体でいる気持ちの豊かさ」と言う方が理解しやすいかもしれない。日本では、まだ動物福祉という考え方は、専門家の間だけの共有に留まっている。知り合いのイギリス人は、「日本のAnimal Welfareは50年遅れている。」と言っていた。溝井裕一の『動物園・その歴史と冒険』は、動物園の通史とこれからの動物園のイメージが語られている本である。1970年代から80年代にかけて動物保護に対する考えが各国で生まれ、多くの団体が作られた。その中の一つが「ズー・チェック」である。「野生のエルザ」を撮影したイギリスの俳優夫妻が始めたもので1984年に設立され、「動物の福祉」や「動物の権利」をめぐる動きとも連動していったと、書かれている。

 ロンドン動物園は世界初の科学的動物園であるから、建築に対するオマージュに名を借りてペンギンのいないペンギンプールを見ている人間という動物を観察し、将来の「動物のいない動物園」に関する科学的データを集めていたのかもしれない。Animal Welfareのために、私たち親子は日本人のデータを提供したのである。

●A・A・ミルン 訳:石井桃子『クマのプーさん プー横丁にたった家』岩波書店 1962年・・・E・H・シェパードによる可愛らしい挿絵は、この物語に見事に合っている。
●ZSL London Zoo・・・https://www.londonzoo.org 
動物園のチケットにもZSL London Zooの文字があるが、ZSLはZoological Society of London(ロンドン動物学会)の略称である。
●溝井裕一『動物園・その歴史と冒険』中央公論新社 2021年

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