アルフレッド巡礼記 5日目その3: ウィンチェスター市街地(1)ウルヴジー・キャッスルとピルグリムズ・スクール
アルフレッド大王聖地巡礼記、5日目、その3。
ウィンチェスター大聖堂を出て、周辺の史跡(ウルヴジー城址、シティ・ミル等)へ。
今回は取り急ぎ、短いですがウルヴジー城址(キャッスル)&ウルヴジー・パレスのみ。
◆本篇
p5-16.
p5-17.
p5-18.
とても短いですが、今回はここまで。
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◆各ページの補足/リンク
各ページの補足というか蛇足というか。
[P. 5-16の補足]
◆P&G Wells書店
「ウィンチェスター最古」の製本業者/出版社/書店。
1729年には現在の場所近辺で製本・書籍販売を行なっていた記録があり、現在まで継続して営業している書店としては、イングランドでも最も古い書店のひとつ。(現在の店名の元となるジョセフ・ウェルズ氏 (Joseph Wells) が店長~オーナーとなったのは、1845~1866年頃のようです。)
>>ウェブサイト: https://www.pgwells.co.uk/
<参考:「最古の書店」覚書き>
現在も営業している世界最古の書店(ギネス準拠)はポルトガルの「Livraria Bertrand」で1732年開店。「UK最古の書店」を謳うロンドンのハッチャーズ書店 (Hatchards) は1797年開店。
▼P&G Wellsを紹介した動画(2021年、英語)
[P. 5-17の補足]
◆ピルグリムズ・スクール (The Pilgrims' School):
4~13歳の男子向けの、寄宿付きプレップ・スクール (preparatory/prep school)。「Romans」「Saxons」「Normans」「Monks」「Wrens」の5つの寮に分かれる。
現在の「プレップ・スクール」形態の創立は1931年となっていますが、元々はウィンチェスターの教会(オールド・ミンスターおよび大聖堂)の聖歌隊の教育のための学校(のひとつ)で、そのような学校はサクソン時代(古くは7世紀)から存在していたとのこと。
現在も、ウィンチェスター大聖堂およびウィンチェスター・カレッジ内の礼拝堂で歌う「男子聖歌隊 (boy choristers)」は、ピルグリムズの生徒から選ばれる/選ばれたらピルグリムズに入学することになっているようです。
「ピルグリムズ」の名は、聖スウィザンの聖地に詣でる巡礼者 (pilgrims) (※前回参照)から。
メイン校舎は17世紀に王室付きカリスマ建築家、クリストファー・レン (Christopher Wren) が改築したもの。
また、一部に「ピルグリムズ・ホール (Pilgrims' Hall)」という14世紀の建物が残っており、これは、巡礼者たちが聖スウィザンの聖廟に詣でる前に休憩した、宿坊のような施設として使われていたようです。
普段は非公開ですが、年に一度、Heritage Open Days という歴史イベントで一般公開されるとのこと。
なお、同様の女子向けの学校としては、1884年創立の「セント・スウィザンズ・スクール (St Swithun's School)」が近隣にあり、ウィンチェスター大聖堂の女子聖歌隊 (girl choristers、1999年創設) にメンバーを排出しています。
※女子の方は近隣地域の各学校から選抜されるようです。
【余談】
しばらく前にNHKでアガサ・クリスティーの「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (Why Didn't They Ask Evans?)」のドラマ (2022年、イギリス) が放映されてましたが、
主役のひとりフランキー嬢が「スウィザンズに通っていた」というようなセリフがありました。
[P. 5-18の補足]
◆ウルヴジー城址 (Wolvesey Castle and Palace)
ウィンチェスター司教の住居の跡。
12世紀に建てられたノルマン・ロマネスク様式の邸宅(パレス)が、段々と要塞化していき、俗に「キャッスル」と呼ばれるようになったらしいです。
▼以下、流れ(ざっくり・間違いはご容赦下さい):
ローマ属国時代:何らかの建物があった。
10世紀後半:イッチェン川の中州の小島「Wulveseye (Wulf's Isle/ Wulfの島)」 に、ウィンチェスター司教エセルウォルド(聖スウィザン巡礼ブームの仕掛け人)が司教用の邸宅 (palace) を作る。
12世紀:ノルマン征服後、ノルマン人司教たちが増築・改装する。
特に、1135年のスティーヴン王(King Steven/Étienne de Blois) の即位以降、その弟である司教アンリ・ド・ブロワ(Henry de Blois) が、徐々に要塞/城にアップグレードしていく。
※これが現在も城跡として残っている。13~16世紀:色々あったが省略。
1646年頃:イングランド内戦 (Civil War) でオリバー・クロムウェル率いる議会派(Parliamentarians, 円頂党/Roundheads)に籠城抗戦、まぁまぁ破壊される。
1680年代~:司教 George Morleyが、隣に(当時流行りの)バロック様式で新たな「パレス」を建てる。
その際、古い方の(すでにあまり使われなくなっていた)旧パレス(キャッスル)から石材を再利用。
※15世紀に建て直されたチャペルは、新パレスに統合して利用継続。
ただし、Morleyも後継の司教たちもこの「新パレス」を使わなかったため、完成まで40年くらいかかり、結局放置された。1785/6年:「新パレス」、一部(現存部分)を除いて解体。残存部は色々な用途に使われる。
1915年:新パレスが指定史跡となる。
1927年:新パレスが再びウィンチェスター司教の住まいに返り咲く。
1950年:旧パレス(キャッスル)が指定史跡となる。
現在:English Heritageにも登録され、現在に至る。
<参考>
>> Historic England
>> English Heritage
>> BBC (旧ページ)
次回はシティ・ミルとハイド・アビーまで描きたいところです。
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