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2023晩夏、九州を歩く

旅に始まりがあるのだから、当然終わりもある。
2023年9月、九州を巡った旅の終わり、私は新幹線で広島に戻りながら激しい頭痛に悩まされていた。大学の頃になんとかという病気になって以来、私は時々頭が痛くなったり耳が聞こえなくなったりする。
それでも夕方の新幹線に揺られているうちに眠りに落ち、目が覚めると波が引くように頭痛が軽くなっていた。回らない頭であれこれ考えていたら、そういえば旅に出る前に良いワインを頂いて冷蔵庫に冷やしてあることを思い出し、今夜はパスタにしようとスーパーで明太子とバターを買って「どうしよう〜人生」なんて口ずさみながらめっぽう前向きに帰宅してしまった。
旅の終わりはいつも現実に引き戻されて落ち込むけれど、たまには前向きな帰宅も良い。

九州。大学は北海道に住んでいたこともあってなかなか訪れる機会がなく、春の日本縦断旅でやっと門司港の路地階段を歩いたり温泉旅館に泊まったりした。
その頃から九州に対する不思議な憧れのようなものができてきたのだと思う。

三連休は九州に行こう、そう決めたあと、九州のどこへ行くかは迷うことなく決まった。理由は、まず以前から泊まりたかった旅館が簡単に予約できたこと、それから、宿の近くにずっと見に行きたかった景色があること、だ。

九州旅程のメインの目的地は、熊本・宮崎県境の山間集落。もちろん路線バスを乗り継いで行くわけだから時刻表と毎日にらめっこして、事前に熊本駅前のビジホを予約して朝早いバスに間に合うよう調整したりした。

朝、熊本駅前の東横インにて爆発的な起床。
市内バスターミナルから出ている通潤山荘行きの路線バスに乗車。

市内から1時間半ほどの乗車で車窓はがらりと山間部の風景へと代わり、僕は昭和な商店街通りのバス停に降り立った。

熊本県上益城郡 山都町、矢部。二つの川に挟まれるようにして商店街が形成され、昭和の街並みが残っている。

街角の建築
山都町の洋館
山都町の洋館
山都町 矢部の街並み

比較的傾斜の少ない土地に形成された街並みのため、中国山地のような雰囲気も感じられる。事前に地図で見た感じだと近代建築はないかなと思っていたけれど、歩き始めると思いのほか意匠の凝った洋館があって、やっぱり実際に歩かないとなぁなんて思った。

山都町の次は熊本交通と宮崎交通の高速バスを乗り継いで県境を越え五ヶ瀬の街を訪れる予定だったのだけれど、バスが大幅遅延した関係で飛ばさざるをえず、車窓から涙を流して街並みを見送った。再訪を胸に誓う。

県境を越える
五ヶ瀬の街並み

そして降り立ったのは、宮崎県西臼杵郡 高千穂町。
観光地として有名なので訪れたことのある人も多いかも。私のように近代建築や路地階段を目当てで訪れた人は少ないかも。

高千穂バスセンター
高千穂の街並み

険しい地形をした宮崎の山間部において、高千穂の街並みは比較的緩やかなほうと言える。それでも中心街を離れて少し路地裏を覗くと印象的な路地階段や、街並みを一望できる景色の良い高台があったりした。

高千穂の路地階段

次のバスまで時間があったのでお昼にしようと街を歩いていると、とても良い雰囲気の喫茶店を見つけた。しかもカウンターで弁当まで売っている。

喫茶カリンカ

チキン南蛮のお弁当を買って、二階の窓際の席でいただく。
お弁当はとても美味しくて、味わってゆっくり食べているうちにバスの時間が迫ってしまい食後のコーヒーを楽しむ時間がなくなってしまったのが心残りだ。

高千穂からは、路線バスで次の街を目指す。
地図を見ていて気づいたけれど、山間部の街並みとしては熊本よりも宮崎ほうがかなり複雑な地形に形成されており、ここからがいよいよ本番という感じだ。

バスを降り、その光景に文字通り言葉を失った。目の前に展開される幾重にも重なる棚田。あぁ、あぁと感動で声にならない声をあげながら畦道を歩く。

やがて道は山陰に隠れるようにカーブを曲がり、長い坂道は緩やかにアーチ橋の下へと続いてゆく。
棚田の風景に完全に圧倒された後、目の前に突如として現れる巨大構造物。この道は本当に歩いてほしい。

長い坂道をくだって向かうのは宮崎県西臼杵郡、日之影の街並み。
「日之影」という名前がすでによい。

日之影の街並み。その美しさに感動し、圧倒され、ただ無心で歩き続けた。途中でバスが走ってくるはずの道が通行止になっていることに気づいたけれど、そんなこともはやどうでも良いとすら思える。

日之影の街並み

バスが走ってくるはずの道は通行止になっていた。

本来ならば日之影のバス停から路線バスに乗車する予定が、通行止めの影響で今はバイパスを通るルートしか走っていないらしい。本日二度目の旅程崩壊を感じつつ、振り返るとバイパスは遥か頭上に見えていた。

バスを一本乗り過ごし、山道に喘ぎながら来た道を戻る。

後続のそのまた後続のバスに乗車し、峠を超えて小さなバス停で降りた。

バス停からは、再び山道を歩く。

ただ一歩一歩を踏み締めるごとに、ここへ来てよかった。来てよかったと思った。
木漏れ日の西陽が顔を照らし、目を細め、そしてまた少し歩くと陽は木々に遮られてあたりは薄暗くなる。そういう小さな変化が、全て愛おしく感じる。まもなく日が暮れるのだ。

最後のカーブを曲がり切った途端、視界が開け、目の前に圧倒的な光景が展開された。
この光景を見に来たんだ、そう思った。

宮崎県西臼杵郡日之影町、槙峰。旧高千穂鉄道綱ノ瀬橋梁のある景観。
宮崎県延岡市との市町界に位置し、綱ノ瀬川と五ヶ瀬川が削った山間部ならではの雄大な景観は唯一無二だと感じる。

この地を鉄道で訪れてみたかったが、その願いはもう叶うことはない。

橋を渡り延岡市側へ少し歩いたところに、小さな街並みが残っている。
数軒の民家が並ぶだけの小さな通りだが、現役の商店が二軒も営業中である。

商店で栄養ドリンクを買って、ほっと一息をつく。あとはバスで延岡の街へ降るのみだ。
熊本から県境を超えてなんとか宮崎へと抜けられた、ただそれだけの事実に安堵と感嘆の混じったため息をつく。ここへ来てよかった。独り言のようにそう呟いて、今日何度そう思っただろうかとも思った。

バスがカーブを曲がるたび遠くに小さく集落が見え、そして消えてゆく。まだ見ぬ景色は数多く、到底歩き尽くせなどしないのだ。
初めて訪れた宮崎だったけれど、たった半日ほどの間に心から好きになっていた。

あぁ、あぁと思いながらシートにもたれて目を瞑ると、今日見た風景がよみがえり晩夏の日差しや風が思い出された。バスは延岡の街へ向かって降り続けていた。


延岡の街について駅で待っていたのは、日に三本しか走らない列車だった。
日中は特急列車として運行されているが、早朝と夜の一便だけ各駅停車で運行される。

この列車で旅館へ向かい、夕食のたいへんなご馳走にひっくり返ったり、翌日寝過ごしたりなど旅は続いていくのだけれど、今日はひとまずここまで。

旅程を綿密に計画できなかったせいで取りこぼしたものも多いものの、それでも旅は想像以上に素晴らしかった。行きたいと思ったところを訪れ、訪れたぶんだけ行きたいところが増えていく、そんなことを思った。毎日Happyだったら良いのにね。

旅館の天井を見上げて、心が凪のようになっていることに気づく。
女将さんが「広い方が良いでしょう」と用意してくれた部屋は、片側の窓からは秋の虫の音が、もう片側からは山水の滴る、しとしと、という音が聞こえていた。




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