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ロバート・パティンソンと性的魅力の映画における取り扱い方① 「悪魔はいつもそこに」


性的な魅力が欲しいと思っている人は多いが、性的な魅力があるということは特に当人の幸せに寄与しない。それどころか不幸の温床となる場合も全然多いだろう。たとえばビョルン・アンドレセンの人生なんかはその中でもとても運が悪かったケースだと思う。若くして「ベニスに死す」で成功を収めた彼は、大人たちから搾取され、薬物依存症に苦しむことになった。

ダニエルのファンの愛し方は、彼を近くに置いておきたい、っていう感じなんだ。ロバートのファンは飛びかかって、彼と寝たいと思っている。ロバートには性的な魅力があってファンは性的な対象として彼に夢中になっている。シャイアのファンは“あなたはトランスフォーマーのヒーローよ!”って感じなんだ

出典:https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a259548/cce-dane-dehaan-15-1210/

 ロバート・パティンソンはトワイライト出演によって多くの女性の注目を集めた。異常なほど異性から注目されるということは、それだけで基本的に当人にとって不幸なことである。そりゃあ最初は嬉しいだろうし得意になるかもしれないが、見知らぬ人から激重感情をぶつけられるとだんだん気持ち悪くなってくるものだ。しかし彼はビョルン・アンドレセンと違い、比較的幸運なルートを辿ることになる。(もっとも、ビョルン・アンドレセンは「尋常でない美しさ」以外にも「最悪な家庭環境」「セクハラ監督」などの不幸要素がこれでもかというくらい役満で生きているのがラッキーみたいな感じであり、比較対象には極端すぎるかもしれない)

 彼は潰れることなく目的に沿った行動をとり続けた。エドワード・カレン的な役を避け、自分を活かしてくれる場所を求めてアートハウス映画に出続けた。ロバート・パティンソンの真に優れているところは彼の映画を見る目である。めちゃくちゃセンスがいい。彼がいうには、ポスターとかそういうのをちょっと見ただけでその映画が面白そうかどうかわかるんだそうだ。実際にそうやってポスター一つで「これはきっと面白いぞ」と確信し、作品もまだろくにない無名監督にすぐさま連絡を取り、そして一緒に製作した映画が「グッドタイム」(めっちゃ面白い)だというんだから相当だ。ていうかなんで??? どうやって? インタビュー動画でその話を聞いていた司会者が「画像ひとつで会ってすぐことに及ぶってそんなまるでTinderみたいな話があるかよ」と言っていたが、その通りだと思うし、意味がわからない。https://youtu.be/XcKyBtqBE4M

 そんなわけで、彼が出演した映画は小粒で味のあるものが多い。その中でも特に「悪魔はいつもそこに」「ハイライフ」「グッドタイム」はロバート・パティンソンの最大の資質である色気というか性的魅力を非常にうまいこと活かしていると思う。つまらないイケメン役なんかに使ったりはしていない。しかも、三者三様に捻りの効いた珍しい活かし方をしている。それをひとつひとつの作品について見ていこうと思う。まずは「悪魔はいつもそこに」から。

 

「悪魔はいつもそこに」

 この映画でロバート・パティンソンが演じているのは南部の変態牧師である。未成年に次々と手を出して、妊娠させても女の子側の妄想だと主張して言い逃れする。Delusion!(妄想だ!)と強い南部訛りで叫ぶシーンはそれはもう圧巻だ。(パティンソンはカメレオンのように役によって訛りを変えられるという特技を持っており、その辺も見どころのひとつだ)

 ここで大事なのは、この変態牧師が単にめちゃくちゃ気持ち悪いだけのステロタイプな性犯罪者では、物語に十分な説得力が出ないということだ。この変態牧師は何度も女の子を引っ掛けている常習犯であり、つまり魅力が全く無いようではダメなのだ。

 現実におけるチャイルド・マレスターでも、地域に溶け込んで疑われずに犯行を重ねることができるような常習犯は、往々にして「何か」を有している。父親的な感じであるとか、ちょっと綺麗な顔だとか、信頼されやすい話し方とか。そうした「何か」の魅力のおかげで周りの人々は騙され、被害者は被害にあったことを言い出しにくくなってしまう。なんなら「自分がちゃんと拒否しなかったせいだ」とか思うかもしれない。この作品では、被害者の少女レノーラは「愛されるかも」と思い、変態牧師に自分から会いに行くようになる。変態牧師が無理矢理押さえつけて暴行したとかではないのだ。しかし、だからといってそのことは未成年をいいように操って追い詰めた変態牧師の罪を軽減するものではなく、映画で美化して描いていいものでもない。

 ロバート・パティンソンの性的魅力はまさしくここに活きてくることとなる。

 彼の性的魅力は彼が持って生まれた天分であり、どんなに気持ち悪い演技をしても容易に打ち消すことができないほどのものである。「カッコよく見せよう」とかそういうレベルの話ではない。そのような素質を持ったロバート・パティンソンが全力で気持ち悪い演技をすることにより、「気持ち悪さ」と「性的魅力」が不気味に両立した、非常にリアルな性犯罪者像が出来上がる。それが「悪魔はいつもここに」の牧師プレストン・ティーガーディンなのだ。演説をしている時のプレストンのてらてら光る汗、料理のソースを舐めとるねっとりした仕草、鼻音化した南部訛りの話し方、そういうマジでめちゃくちゃ気持ち悪い全ての要素が、美しい顔やすっとした佇まいと相まって強烈な違和感を放つ。その違和感はある種の引力であり、いじめられている意思の薄弱な少女がふらふら近づいていくのも、なんとなく理解できる感じがする。

 これがそこまで魅力がなかったり自信がなかったりする俳優ともなると、どんなに気をつけても「カッコよく見せよう」という気持ちが入ってきてノイズとなり、上手く不気味さが出ないだろう。うんざりするほど自分の魅力を思い知った人間だからこそ、ノイズを上手く落とし、演技としてこういうことができるのだと思う。

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 性的な魅力がある俳優は、安易に王子様役や恋人役なんかをやらされがちだ。まさしくエドワードカレン的な。そりゃあ確かに、性的な魅力のスクリーン上での第一の用途は当然そういうものになるだろう。しかし、ロバート・パティンソンのようにちゃんと演技ができる俳優ならば、それだけに性的魅力を使うのはもったいないように思う。

 性的な魅力というものは、たぶん他にいろんな使い道があるものなのだ。

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