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◆愛が深すぎるんだよ◆

「愛が深すぎるんだよ。」

そう言って、彼は
泣きじゃくる私を強く抱きしめた。

たった一人の男と真剣に向き合うことが、
如何に貴く価値のあるものか。

それを教えてくれた、初めての人だった。

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出逢いは、六本木ヒルズ。

一目惚れ、と言えば体のいい、ナンパだった。

最初の数ヶ月は、
相手の素性など殆ど何も知らない、曖昧な関係。

会いたくなれば
少し日数に余裕を持って連絡を取り合い、
大抵は私の仕事が終わった深夜、
彼は、車を飛ばして私の部屋へとやって来た。
そうして夜のうちに、
もしくは翌朝までの時間に肌を重ね、
束の間の逢瀬を繰り返した。

私たちは肝心なところがよく似ていたからか、
互いに多くを望むことはなかった。
今から考えれば、
何処の誰かもわからない相手に怪しまなかったこと自体不思議なものだが、
データが何もない中でただの男と女としてともに時間を過ごす、
というのは
私たちを取り巻く様々な"位置付け"をすべて取り払い、
魂そのものに触れているような感覚で、
それが故に、素直でいられた。

あわよくば利用してやろう、とか、
都合よく遊べたらそれでいい、とか
いうような欲を彼から感じなかったのも、
曖昧ながらに、私たちが長続きした理由なのかもしれない。

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出逢って半年を過ぎた頃、彼が言った。

「撮りたいんだけど、いいかな。」

訝(いぶか)る私に、
誰に見せるでもない、ただ二人で鑑賞するためだ。
と彼は言い、
私も特に断る理由もなかったので、
いいよ。と答えた。

ある夜、私たちは
ベッドの前にビデオカメラを設置し、
いつものように抱き合った。
さまざまなものがいつもと同じ中で、
彼が見せる昂(たかぶ)りだけが、違っていた。
普段以上の優しさと、激しさと、色情が入り交じった熱。

もしかしたら、これが最後になるのかもしれない。

と思いながら、
私は、身体の真ん中で彼を受け止め続けた。

情事が済んで、
私たちはベッドの上で裸で横並びに寄り添い、ビデオを再生した。

互いに言葉はなく、静かに時が流れた。

先刻まで触れていた、
今も隣にいる、彼の
背中を這う唇の感触。
肌に触れる指先の癖。
熱を帯びて見つめる視線。

身体の余韻がまだ冷めやらぬ中で見る自分たちの姿は、
妙に艶(なまめ)かしくもあり、
全くの他人事のようでもあった。

暫くして彼は急に真剣な表情になり、
眉間に皺を寄せてうつむき、黙り込んだ。

「どうかした?」

と聞くと、少し間を置いて

「いや。
俺、こんなにお前のこと愛してたんだなと思って。」

と彼は、言った。
そして天井を仰ぎ、大きく一呼吸して

「真面目に、つきあうか?」

と少し困ったように、こちらを見た。

後から聞くに、これは彼なりの賭けだったのだそうだ。

惹かれてはいるが、一歩踏み込むのが怖い。
ならば、客観的に自分が相手とどんな風に向き合っているかを見て、
心が動けば、本気で向き合う。
動かなければ、一時の気の迷いとして受け止める。

それを確かめたくて、彼は、カメラの前で私を抱いた。

私が感じた「これが最後になるかもしれない。」は、
あながち間違いではなく、
しかしながら、結果として私たちには嬉しい誤算になった。

そして、冒頭の件(くだり)に続くのだが。

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彼とは、私が東京を去ってからも暫くは続いた。
そのうち、どちらからともなく離れることにはなったが、
風の便りで、今は某有名大学の准教授をしていると聞いた。

彼の言う「愛が深すぎる」は、
私のことを指してもいるが、
恐らくは、彼自身のことも表していた。
往々にして「愛が深すぎる」人たちは、
伝えることにも、受け取ることにも臆病だ。
それは、愛は、
一つ間違えたら愛する人を潰しかねない危険性を秘めていることを
誰よりもよくわかっているからだし、
自分たちの愛を受け止められる人もまた、一握りであることを
身をもって実感しているからだと思う。

けれども、彼らは
人を愛することも、信じることも、止めない。

それもまた、「愛が深すぎる」故である。

◆◆◆◆◆◆

私の"千一夜物語" 第三話。

「愛が深すぎる」二人に訪れた、恋愛的瞬間の夜の、お話。

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