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読書記録 「サバイバー」

 今週何を書くか迷うなぁ……小説の続きを書くかブログを書くか読書感想かどれにしようかなぁ……って朝から考えてたけど、良い加減「サバイバー」の感想薄れかけてしまっているからこれを書くわ。嫌ですよねこの消費社会、消費文明。次から次へと感動を求め作品を食い漁るハイエナのような僕らはとっとと滅んだ方が良い。
 
 か〜ら〜の〜、

 はい。チャック・パラニュークの「サバイバー」ですね。”生き延びる者”だって? 滅んだ方が良いつってんのにこいつはよぉ。まぁいいさ。しかし随分と派手な帯じゃないか。最悪の一冊だって? 中々目を引く表現だ。まぁ個人的には何が最悪なのかさっぱりだったんだけどさ。まぁ「ライ麦畑」のホールデンや「異邦人」のムルソーが狂人扱いされる世の中だ。俺の感性がずれているんだろう。しかしこのハッシュタグってのはおもろいよな。この記事にもいっぱいついとるよ。今の時代、人と繋がる、人に認識される為には必要不可欠なワッフルの食べかす。正直読む前は「なんだこの帯。ハッシュタグだらけやんけ! キッショ!」とか思ってたけど、読み終わってみるとなかなかどうして暗示的。この「サバイバー」という本は、”人に認識される”っていうのが一つのテーマだったりするんだよね。これは上手い。匠の技。

 いつもはここいらであらすじを書くんだけど、この本は意外と難しいんだよなぁ。なんで難しいと感じるのかって話なんだけど、「サバイバー」はページが逆向きになってんだよね。443Pの47章から始まって5Pの1章に辿り着き、1Pのまぁ0章と呼んで良いでしょう、ここで終わる。だからあれよ、本嫌いな人でも、「今パラニュークのサバイバーを442Pまで読んだんだよねぇ」みたいにイキれる。まぁ本嫌いな人間がこれを目にするとは思えんけど。
 という具合に、この本は流れというものが特殊なんよね。別に読むのが大変とかは一切ないってか、最近読んだ本の中ではダントツで読みやすかったわ。最近読んだ本ってのはアロイジウス・ベルトランの「夜のガスパール」とかアーネスト・ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」とかヨン・フォッセの「だれか、来る」とかね。この辺よりは断然読みやすい。
 とか言っときながら尺が持たんからとりあえずあらすじちょっと書くわ。主人公は集団自殺したカルト教団の生き残りっていう設定なんだけど、まぁこいつが物語の冒頭、飛行機をハイジャックしたところから物語が始まって、その飛行機のブラックボックスに自身の半生を物語ってゆく、というのがこの小説の構造になっている。このカルト教団ってのが色々決まり? 教義? があって、主人公は集団生活していた施設から出て、与えられた職場で教義を守りながら生きてたんだけど、ある日自分がかつて生活していた施設で集団自殺が発生して、自分だけ取り残されてしまうのね、時系列通りに話すとさ。そんでやっぱ生き残りは大衆の注目を集めるわけよ。主人公以外にも同じように生き残りがいたんだけど、そいつらが次々と死んでしまうのね。教義であるわけよ。時が来たら速やかに死ななければならないみたいな。そんで主人公が最後の一人になると大衆の注目度も跳ね上がるわけ。まぁ実際はそいつら全員自殺したんじゃなくて、同じように生き残った主人公の兄が殺して回ってたんだけどさ。まぁそれは置いておいて。そんで主人公はカウンセリングとか受けながら慎ましく生きてたんだけど、君ならスターになれる的なこと言ってきた奴の言に乗っかってその生活から抜け出すわけ。そんで本当にスターみたいな生活を送るんだけど、この主人公の兄、まぁアダムって言うんだけど、アダムと、主人公と親交と言って良いのか分からんけど、まぁちょい特殊な間柄だったファーティリティっていう女に助けだされるわけ。そんでこのファーティリティが未来が分かる的な特殊能力の持ち主で、まぁ色々あって冒頭のハイジャックに繋がるってわけ。
 最後めっちゃ端折ったけど許してくれ。別に力尽きたわけじゃないんだけど、あらすじを思い返せば思い返すほど、こんなシンプルにして良いものかなって思ってしまったんだ。まぁでも途中まで書いたしなぁ勿体無いなぁって。まぁネット探せばもっと魅力的な紹介があるから気になるんならそっちを見てくれ。

 じゃあ自分の気に入ったところをちょこちょこ書こうかな。

”自由になったあとは? 僕は忠告したい。そのままそこにいろよと。自由に勝るものが世の中にはある。”

 これめっちゃ良かった。確かファーティリティの未来が分かる能力の確認みたいなことをしている最中に、鳥籠の中にいた鳥に向けて言ったんだよね。生まれた時から従っていた教団がなくなってしまい、未知の世界で取り残されて、今までのお前の人生は全て間違っているって、突然途方もない自由を与えられた主人公の切実な叫び。これ良いなぁ。BUMPの(please) forgiveみたいなさ。これは似たようなこと太宰治もジャック・ホワイトも言っとった。や、自由に勝るもの云々じゃなくて、自由ならそれで良いのかい? ってこと。そもそも持論だけど、自由になろうとする状態が素晴らしいのであって、本当に自由になってしまえばもはやそれは自由ではないんだよね。みたいな哲学を呟いてみたりしとくかな。

”自分はこの肉体、この巨大な赤ん坊の奴隷なのかと信じがたい思いになる。食べさせ、寝かしつけ、トイレに連れていかなくてはいけない。これより優れた器を人類は発明していないのかと信じがたい思いになる。もっと手のかからない何か。これほど時間を取られない何か。”

 これめっちゃ好き。食べさせ、寝かしつけ。こんな表現なんで今まで思いつかなかったんだろ。めっちゃ感銘を受けたわ。まさにまさによ。ちょっと貰っちゃお。これは確か、スターになり始めの頃のシーンだったはず。めっちゃ管理された食事とか運動とかしてた頃だったと思う。これほんと良い……。「サバイバー」で一番好きな部分かもしれん。

”みんな同じテレビ番組を見て育った。同じ仮想の記憶を植えつけられたようなもの。リアルな子供時代の記憶はほとんどないくせに、ホームドラマの主人公一家に起きた事件はしっかり覚えてる。人生の基本目標はみんな同じ。不安もみんな同じ。”

”すべてがパクリだ。引用の引用の引用だ。”

”聖人は、ある日突然、聖人になるものだと大衆は信じている。そういう単純な話であるべきだと。……十一世紀なら、そんな風に受け身でいてもよかっただろう。……ジャンヌ・ダルクの時代はお気楽だった。”

”版ごとに、症状が変わる。以前は正気だった人は、新しい基準に照らすと精神障害者だ。以前は精神障害だった人は、健康な精神の見本だ。”

 引用祭り開催!!!! はい。これはもう説明いらんよ。的確的確。……の部分は省略したやつね。気になったら読んでみて。いやぁ久しぶりにさ、めっちゃメモったからさぁ、吐き出させてよ。「アテネのタイモン」以来だと思うこんなメモったの。めっちゃよい。これでも自重してんだけどね。デヴィッド・フィンチャーの「ファイト・クラブ」観たけどさ、映画ですらパラニュークの言葉って貫通してくるんだよね。絶対読んだら引用したくなると思うよ。

”もしもイエス・キリストが誰にも看取られず、誰にも悼まれず、誰にも拷問されずに牢獄で死んだのだったら、僕らは罪から救われるだろうか。”

 ”ふと気づく。誰にも見てもらえないなら、何をしたって無意味だ。 
 もしも観客の集まりが悪かったら、キリストの磔刑は延期されただろうか。
 ふと気づく。キリストが半裸ではない十字架像なんか見たことがない。でぶのキリストも見たことがない。毛むくじゃらのキリストも見たことがない。どの十字架像でも、キリストは上半身裸で、デザイナージーンズや男性用コロンの広告モデルみたいだ。
 誰にも見てもらえないなら、家に引きこもっているほうがましだ。”

 はい。この辺ね。まぁページ数ちょいちょい変えてんだけど。「ファイト・クラブ」とか「インヴェンション・オブ・サウンド」とか読み始めてるんだけど、やっぱりパラニューク的に重要なんよねキリスト。まぁ向こうの人だからそりゃそうなのかもだけど。
 認識の話。誰かに見られてないと結局意味ないよねって。影響の話よ。主人公はもうずっと雁字搦めで生きててさ。教団にいた頃は教義に、注目を浴びてからは周りの人間に。ずっと縛られていたわけで。そんで主人公にとって教義ってのは絶対だからさ。そこはやっぱ簡単に揺るがないわけよ。死に向かう、死を求める自分ってのがいるわけじゃん。消極的にせよね。そんな主人公がさ、最後、墜落し始めた飛行機の中で、あ、こいつはハイジャックして墜落させようとしてたのね、その飛行機の中でさ、ブラックボックスに自分自身を語るわけよ。それによって初めて解き放たれる。そんなテンダーの物語が、あ、主人公の名前はテンダーね、ちょっと切り替えのタイミングめんどくて今まで主人公って言ってたけど、そんでブラックボックスが飛行機の墜落の後にでもね、回収されて、本当のテンダーが人々に認識されることによって、物語の中に生まれ落ち、たとえ肉体が滅びようとも、偽りのないテンダーが人々の中で永遠に生き続ける。つまりは「サバイバー」だと。自分はそういう解釈をしたわ。ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」みたいなね。いや、ダニエル・ウォレスの、って言った方が良いのかもしれんけど。

 この作品はなんか、どっかでエピローグ? みたいなのが公開されてて、それで結末が理解できるみたいになってるらしいから、自分のこの解釈は全然見当違いかもしれんけど、まぁ、パラニュークが書いた時点ではパラニュークの「サバイバー」だったかもしれんけど、俺が読んだ瞬間にもうこれは俺の「サバイバー」になったわけだからね。まぁ別に気にはしない。でもキリストの磔刑のたとえとかもそうだけど、重要なのは人に認識されることだっていうのが作品全体から感じられたし、最後の最後まで人々にとってのテンダーってのはマスコミにでっちあげられた偶像なわけで。この解釈は結構スマートだと思うんだけどなぁ。まぁ全然違ってたんなら俺がこれ貰うだけだから別に困らんのだけど、それはそれとしてエピローグみたいなの気になるんで、知ってる人いたら教えて欲しいわ。それじゃあまたね。

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