記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画感想 「ポンヌフの恋人」

”愛など ここにはない
ここで必要なのはネグラだ”

 覚えめでたきレオス・カラックスの「アレックス青春三部作」最後の作品ですね。と言っても自分はこの「ポンヌフの恋人」しか見たことがないのでね。まあ単なる知識として。

 ずっと気になっていた映画なんだ。自分と好みが合う人は皆口にしてたからさ。 
 レオス・カラックスの名前を”認識”したのは「アネット」が公開してた時なんだ。だから凄く最近なわけ。それまでは「誰だっけ、ほら、あの良いっていう監督。何とかックス」みたいな感じでさ、そこまで興味はなかったんだ。俺は映画も小説も音楽も自分で”発見”したい人だからさ。「へえ、それおすすめなんだ。観てみよ」とは基本的にならない。「これ面白そうだな。そういや前に誰か言っとったな。観てみるか」って具合に人のおすすめはあくまで後押しなんだ。
 ということでレオス・カラックスを本当の意味で知ったのは「アネット」の時ってわけ。どうでも良いって? そんなことはないよ。大切なことだ。”知ってる”にも二種類あんだよってこの機会に伝えておきたい。

 さて。こんな書き方をすると「アネット」観てるみたいに思われるかもしれんが残念ながら観れていない。タイミング悪くてね。上映終了してしまってさ。DVDも全然出なかったし。この機会に調べてみたら出てるっぽいな。高いけど。まあ近いうちに買うから二、三ヶ月待っててくれ。
 つまり欲求不満になってしまったわけ。レオス・カラックスに興味惹かれたのに「アネット」観れねえじゃん! ってさ。そんで仕方ないからカラックスの作品を調べてさ、まあ「ポンヌフの恋人」だの「汚れた血」だの興味惹かれたんだけど、当時の俺には金がなかった。執筆に専念してた時期だからね。蟻の涙程度の収入しかない俺にはあの辺の映画手出せなかったんだ。そんでまあ妥協して手に入れたのが「ホーリー・モーターズ」だった。いやあ、あの時観た映画が「ポンヌフの恋人」だったら未来は変わったね。
 というのも、当時の俺には「ホーリー・モーターズ」を理解する才能がなかったんだ。何が何だかって感じだったよ。いや、正確にはカラックスが言わんとしている事は伝わっていたし、やろうとしている事もちゃんと俺好みだってのも感じていたんだけど、如何せん、表現方法が合わなかった。途中で観るのやめちゃった気がするもん。ドニ・ラヴァンが暴れてた事しか覚えてないし。同じく安めで手に入れた「TOKYO」もそのまま積んじゃったしさ。
 何もかも、金がなかったのが悪いんだ。しかしね、金があれば良いってもんでもないんだよ。そうだろ、アレックス?

 さて。どこから話そうか。やはり冒頭か。再生して数秒くらいで「あ、これ観ちゃうわ」ってなったもんね。どこがって言われると難しいね。こういうもんはフィーリングだからさ。でも一応は映画感想っていう名前をつけているわけだし、今まで書いてきた映画感想がどれも酷いから今回はちょっと頑張ってみるか。
 多分ね、夜の雰囲気だと思う。専門的な事は何も分かんないんだけどさ、あの夜の道路をふらふらと歩くってか、歩くというより倒れていないだけって感じのまあ最終的には倒れるんだけどみたいなドニ・ラヴァン演じるアレックスと、ほんの一瞬の間に邂逅するジュリエット・ビノシュ演じるミシェル。通りすぎる車の音と道の景観。それら全てが互いに似合っていたんだね。うろ覚えの記憶で申し訳ないんだけど、「ホーリー・モーターズ」でもドニ・ラヴァンがズンズン歩いてるシーンがあったと思う、あの映画のラヴァンは凄く生命力に溢れていて、強靭というか。それに対して「ポンヌフの恋人」のラヴァンはまさに死んでいないだけって感じでさ。多分そういった映画全体の持っているものがあの冒頭で完璧に予感できたんだよね。「ホーリー・モーターズ」の冒頭は「ん?」ってなった記憶あるもん。なんか「ホーリー・モーターズ」アンチみたいに思われるかもしれんけど、全く逆でさ、「ポンヌフの恋人」でカラックス大好きになった今の俺は「ホーリー・モーターズ」観たくて観たくてたまんないからね。思い出の中の薄れかけた「ホーリー・モーターズ」今めっちゃ輝いてっから。これだけは忘れないでほしい。

 それから俺は「ポンヌフの恋人」を一晩寝かせたんだ。ちゃんと観ないとって思ったからね。0時に仕事終わって帰ってクタってる状態でファーストコンタクトしちゃいけない作品だって思ったわけ。
 そんで翌日。これは正直失敗したか? って思ったね。何でかっていうと、これ絶対夜に観た方が良い映画だよってなったもん続きを再生してさ。というのもね、あの冒頭の”生きていない”アレックスや”迷子”になっていたミシェルのいた夜、そういうね、俺の心に入り込んできたあの夜のシーンは、深夜に仕事終わってぐったりしてる俺の精神と完璧に調和した事によってかかった魔法のおかげだったっていう側面が多分に強かったからさ。
 だからと言って前夜に受けた感動が薄れたわけでは決してない。一晩経っても「ポンヌフの恋人」はまぎれもない名作の雰囲気を纏っていたよ。一気に観たね。久々によ。

 書いていくぞ。ドニ・ラヴァン演じるアレックスはポンヌフの橋(正確にはポンに”橋”っていう意味があるらしく二重表現になっちまうけど気にしない方が良い。正解ばかりじゃつまんないだろ。ポンヌフの橋。素敵な響きじゃないか)に暮らすホームレスなんだ。こいつがある日ポンヌフの橋で眠ってるミシェルと出会う。ミシェルは失明すると知って自暴自棄になった画家の女の子。彼女の持っている絵の中に自分がいるのを知ったアレックスは彼女に自分の絵を描いてくれと頼むんだ。俺が散々話した冒頭の場面だね。「俺をどこで見た?」的な事を聞くアレックスに「死体かと思った」って返すミシェルのシーンが好きで脳に焼きついてる。

 そんでまあ次第にってか、割ともう会った時からじゃね? って俺は思うんだけどさ、アレックスはミシェルを愛するようになって、ミシェルもミシェルでアレックスを必要とするわけ。ミシェルはどうも目を患う前後に捨てられた男を探しているらしく、アレックスはミシェルをストーキングして再会するのを邪魔するわけよ。健気だよね。いじらしいんだ。見てる分にはね。

 ここまで話せば分かると思うけど、アレックスとミシェルじゃ住む世界が違うわけ。アレックスは橋から抜け出せないし。それについては映画全編にわたって描写されていた。一方でミシェルは自由だった。やりたい放題よ。生まれた時からポンヌフの橋の上でしか世界を知らないアレックスと、外の世界から流れるようにそこへ堕ちてきたミシェルの違いよ。そりゃあアレックスも惹かれるわよね。しかし同時に恐怖もあってさ。だからミシェルが大金稼いで色んなとこ遊び行くようになった時、橋の上の方が良いよってな具合に金を捨てたりもするわけ。
 こういう女性と恋愛するとありがちなのか、あるいはこういう男が恋愛するとありがちなのか、多分両方なんだろうけど、アレックスの愛はとても重たいってか下手。一方ミシェルは軽いってか、本当に愛しているの? って感じってか、多分、理知的というかシステマチックというか。うーん、愛を知ってるかどうかの違いだと思うんだけど。
 つまりアレックスが面倒くせえんだ。まあそれも仕方がないよね。愛どころか人すら知らなかったような青年なんだから。

 そしてしょっぱなにあげたセリフがここに来る。

 "愛など ここにはない
 ここで必要なのはネグラだ"

 これはポンヌフの橋に住むホームレスのリーダー的な男(悪いけど名前忘れた。調べたら多分ハンス)が、「ミシェルは自分を愛していない」と思い悩むアレックスにこの言葉を言うんだ。凄く静かで重たい感じ。このシーンも好き。
 そんでこの男もまた色々と訳ありでさ。以前結婚していた奥さんが、何だったかな、子供がなくなったんだっけ。ごめんうろ覚えなんだけど。とにかく育児関連だったと思う。家出してしまったらしく。何年後かに再会した時ホームレスになってたんだって。だから自分も同じくホームレスになってしばらく一緒に暮らしていたらしい。純愛だね。悲しいかなその奥さんはすぐに死んでしまったんだけど、三十幾つだったのに五十くらいに思えたって話をミシェルにしてさ、あんたはこの橋から出てゆけって伝えるんだけど、まあその様子を遠くから眺めるアレックスは嫉妬するよね。この二人は一緒に閉館後の美術館へお邪魔したりもしてたからさ。アレックスの心はもうボロボロ。

 ある日足を滑らせてこの人は死んでしまうんだ。ハンス・ギーベンラートみたいだよね。あ、ハンス! え? ハンス? 
 そっからは本当に二人っきりよ。アレックスとミシェルは。ポンヌフの橋の上でさ。ミシェルの目はどんどん失われていったけど幸せそうだったよ。薄氷の上って感じではあったけど。

 しかしながら幸せなんて長続きしないもんだ。ある日街のいたるところでミシェルを探す張り紙が貼られる。手術すれば目治るから戻っておいでって感じのさ。アレックスは即剥がすんだ。ミシェルはもう目見えないから分からない。そんでアレックスはエスカレートしていって、張り紙貼ってる業者を追いかけて張り紙が大量に積まれた車の荷台に火をつけるんだけどその火がそいつにも燃え移っちまうんだ。アレックスはミシェルの待つポンヌフの橋へ逃げるけど、一人のガキがそれを見ていて。

 ポンヌフの橋の上でミシェルはアレックスが直してくれたラジオを聞いてる。アレックスが帰ってきてさ、そんな二人の間でラジオから張り紙の内容が聞こえてくるわけ。次の日ミシェルはいなくなるんだ。そして一人になったアレックスの元へ警察がやって来る。

 それからしばらくして刑務所にいるアレックスの元へ目が完治したミシェルがやって来る。そんでまあこじらせたやりとりの後、アレックスが”治ったら”ポンヌフの橋の上で会おうと約束するんだ。

 そんで雪の降る夜よ。ポンヌフの橋の上で二人は会って、アレックスは近くのホテルで朝まで過ごそうと言うんだけど、ミシェルは断る。いつか話すけど事情があるって感じでさ。アレックスは逆上するわけよ。俺の事やっぱ愛してねえんだろって。ミシェルと一緒に橋から落ちるんだ。一緒に落ちたんだったかな。突き落とそうとしてって感じだったっけ。ど忘れしちゃったわ。

 ここさあ、浮き出て来たアレックスがミシェルを探そうともう一度潜るシーン好きなんだよね。お前のせいだろって感じなんだけどさ、やっぱりそういう合理的でない矛盾みたいなもんがリアルな感情なわけよ。

 そんで二人の元へ船が通りかかるんだ。二人はその船に助けてもらって、「どこに行くの?」って聞いたら、地理に疎くて悪いんだけど、とにかく凄い遠くに行こうとしている船らしくてさ。アレックスが黙ってるとね、ミシェルが「私達もそこへ行く予定だったの」的な事を言って二人は笑い合うんだ。そんで甲板に出てタイタニックごっこしたりしてさ(多分してたと思う。してなかったらごめん)、「目覚めよ、パリ」って言って締まる。

 この最後のセリフは誤訳か何かで、最近は「まどろめ、パリ」になってるらしい。真逆じゃんね。自分どっちが良いかなって考えたわけ。人と人との関係って波があるから、二十四時間三百六十五日分かり合えるなんて事ありえないわけよ。この映画のアレックスとミシェルも分かり合えてるのはほんの一瞬一瞬なわけじゃん? そんで橋から落ちるまではすれ違ってたのが、船に助けられてから重なり合って、そういう流れを意識すると、気持ちの向上みたいなね、「目覚めろ、パリ」ってのは中々似合う気もする。しかし自分的にはやっぱり「まどろめ、パリ」の方が好きかなあ。このまどろむっていうのがさ、曖昧というか、不安定な夢、ぶれる幸せって雰囲気が出るし、何より、ラストのあの瞬間はさ、アレックスとミシェル以外の人間には全員眠っていて欲しかったりするからさ。

 とまあ、こんなところかな。観終わってから結構時間が経ってしまって、うん、ちょいちょい掠れてしまってはいるけど、心に残った部分ってのは書けた気がするな。うん。リチャード・アイオアディの「サブマリン」っていう大好きな映画があるんだけど、この予告映像を今日たまたまYouTubeで見かけてさ。花火やりながら二人で走るシーンがあって。ああ、あれ、「ポンヌフの恋人」からだったのかな? とか思ったりして。浅学なので違うかもしれんし、「ポンヌフの恋人」自体が~みたいなのもあるのかもだけど、何だろ、少なくとも自分は、本当に凄い映画なんだなって感じたね。うん。「ポンヌフの恋人」は皆言うけど、「サブマリン」あげる人は自分会った事ないから、良い機会だし貼っておくか。映画感想と名前つけておいて最後に全く違う映画の予告を貼るというね。

 改めて見返したら全然似てなかったわ。まあ良い映画な事にかわりはないんでね、ぜひ。 

 真面目に書けた気して気分は良いわ。何かね、結局その映画のメッセージとかテーマとか、秘められた想いとかさ、俺はそういうの凄く重視するんだけど、それはあくまで入力の段階であって、出力の場面では、自分にしか書けない感想をっていう気持ちが強いんだよね。だからまあ、書いた直後の今現在は、それが出来たという自負があるのでね、満足。ここまで読んでくれてありがとうね。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?