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Facebook で知ったのですが最近の日本では人物のスナップを正面から撮ることがないのですね…?? この撮影方法は何年頃から成ったのですか…?

池田福男氏の質問に答える。横木安良夫の意見でありつぶやきです。
正面から撮ることがない、ということはありません。
ただ、正面切ったスナップは、それなりに覚悟が必要だと思ってます。
キャンデッド(盗み撮り)だとしても、
かつてのニュース写真のようにフラッシュを照射して、事実として暴力的に撮ろうが、
もしくは平和に声を掛け、被写体と同意の上のストリートポートレイトとして撮るにしても、
撮影者と被写体には、対決、和解、共感、引用、などなどが含まれています。
それ自体は先人の撮影者が、獲得してきた写真の撮影手法です。

それは近代の思想に根差していると思ってます。
かつて、封建時代には、見る自由はかなり制限されています。
特権階級じゃなければ、
世の中見てはいけないものだらけです。
特に、権力に対しては、見る自由はかなりの制限があったと思います。

カメラのような記録する機械がない時代は、肉眼で見ることさえ、
多くのタブーがあり、世の中見てはいけないものだらけです。

同じように、「見せる自由」もなかったのです。
逸脱した格好、ファッションで公道を歩く自由なんてのも現代はあります。
ファッションは「表現の自由」のひとつです。

近代が獲得した最大の自由!じゃないのかな。

現代の日本は、同調圧力のせいか、
この不景気な20年ぐらい、街の若者のファッションが、地味になっています。90年代の原宿の先進性はどこに行った!

ファストファッションのせいばかりじゃないでしょう。
目立つことがいやなのかなあ。こわいのかな。だれかに何か言われるのが。
でも、ユニークでありたい。変身したい。

なのでアニメのキャラクターに化けることが、自己表現、蔓延しているのも、キャラクターになれば、何をしても、後ろ指さされない、からなのかなって、僕は漫画は好きだけど、アニメは苦手です。

まあ、ファッションって、商業主義だけじゃなく、反権力の意味もあったけど、今や、全部取り込まれている気もする。

さて、
現代人は、「見る自由」と「見せる自由」を近代になり、獲得したのです。

正面から写真を撮ることは、
そんな、撮る自由、見る自由、見せる自由、を謳歌しても、実は微妙な関係でなりたってます。
正直、撮っていいのか、どうかは、個人、
僕の考えは、「撮りたければ撮れば」
ということです。
盗撮(盗み撮りとは違います。ピーピング、明確に法律に触れる)と、
キャンデッドの境界は、極めてあやふやだからです。
単純に言えば、捕まる、指摘されたとき、「ごめんなさい」というのが、盗撮で、撮る理由をとうとうと語れればキャンデッドということかな。

その線引きは、戦うしかありません。
スナップにはその覚悟が必要なのです。

虎穴に入らざれば虎子を得ず

ということでしょう。
ですから、街で簡単にスナップすることは、覚悟がなければ薦めません。
被写体に殴られた、カメラマンはたくさんいます。
それでも撮りたければ、撮ればよいのです。
その覚悟が必要です。

今の時代、日常を生活しながら、その戦闘態勢をたもち、緊張感をもって写真を撮るなんて、すごい娯楽、バーチャルリアリティ、
といった、ナンセンスを認める勇気が、必要なのです。

僕は、僕の、自己責任として、正面も、キャンデッドも撮ります。
盗撮はしません。かっこ悪いから。シャッターを切って「ごめんなさい」
だけは、絶対言いたくないので。

2016年に、Facebook上で、SNAP BACKPHOTOというグループを作りました。
それは、街でスナップすることに躊躇する人が多いので、
だったら、後姿を撮れば、と作ったのがSNAPBACKPHOTOのグループです。CRPの写真集まで作りました。
長い間放置してきましたが、また活動しようと思ってます。

あの時は、157名が参加しました。なかなか興味深い写真集です。
背後から撮ると、写真に何か宿るのかな!

実は、背後から写真を撮ることは、スナップ 写真の王道ともいえます。歴史上、多くのSNAP BACKPHOTOが生まれてます。

写真に、顔が写ると、スナップの場合、被写体の人物にひっぱられ、どんなに自然に撮れていても、ある種の違和感があります。
その違和感が魅力的なので、人物スナップにはまり込むのですが。
そこには、撮影者の罪の意識もあるでしょう。見てはいけないものを見てしまうといった。ネガティブな感情もあります。だから見たいのです。

写真は、見る欲望の、結果です。見るだけじゃおさまらず、決定的に写真は、それの残すのです。事実を残すのではなく、その「影」をのこし、写っていないものは「無」にする作用があります。

写真に切り取られた時間と空間は、銀塩ならぺらぺらの薄片となり、
デジタルカメラなら0,1に分解され、残します。

でも、世界はぺらぺらではありません。
世界の99.99999999…%捨て去った残りが、
写真の記録です。
だから、踏んずけた蟻の、死亡を気にしないように、
本来写真は、「無」何も写っていないというパラドックス。

SNAP BACKPHOTOの魅力は、
顔がないことで、想像力が働きます。そして被写体が見ている景色を、一緒に見ることになります。背中はなんて、饒舌でしょう。
グロテスクな顔(どんな美男、美女も宇宙人から見ればブスかもしれない)を排除すると、写真は神秘です。

結論
正面から撮ってはいけないことはありません。
勇気があれば、万々撮りましょう。
その責任、すりるを自分で、受け入れることができるなら、
写真の醍醐味を、同調圧力とは反対側の自分になれるでしょう。


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