【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第2話)#創作大賞2024
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第一章 大海原の丈太郎
きっかけをたぐればそこに確かな真実がある、とは限らない。小芝井丈太郎が自分の身に起きている異変に気づいたのは、偶然、SNSで拡散されていた迷子の子犬を保護して飼い主に引き渡した三日後のことだった。
丈太郎は、あの子犬を保護したことがこの異変の発端だと確信していたが、真実は違う。彼の異変はもっと以前、子犬保護のひと月前にまでさかのぼる。
そのとき、丈太郎は写真部の仲間と一緒に学校近くの市民公園に来ていた。三週間後に開催される高校生写真コンテストの被写体探しをするためだ。
途中でトイレに行きたくなった。スマホをいじりながら公衆トイレに行くと、遠足らしき小学生軍団であふれかえっていた。仕方なく別のトイレに移動した。こちらにも小学生が並んでいたが、すぐに順番が回ってきそうなので並んで待つことにした。
待っている間、丈太郎はSNSのDМをチェックして、返信できるならしてしまおうと考えていた。こういうのは早いに越したことはない。
おもに稼働しているのはフォトグラファーアカウントで、近隣高校の強豪写真部で話題になっている人物は一通りフォローしている。そして、一年前までは考えられなかったことだが、彼の作品は一部の層に受けがよく、ファンを豪語するフォロワーまで現れた。
丈太郎はよく「心の美しさが作品に現れているせいかな」と部活仲間に冗談めかして言っていたが、実はまんざらでもなかった。俺は純真無垢でまっすぐな人間だからな。そりゃあ周りも俺を無視し続けるなんてできっこないさ。
そんなことを言うと、幼馴染で遠慮のえの字も知らない佐野悠利が「自分のツラ見てから言えよ」とすかさず冷たい視線を送ってくる。
たしかに、丈太郎は世間一般でカッコいいと言われている部類の高校生ではない。クラスのほとんどが入学からほどなくして眼鏡を卒業しコンタクトレンズデビューしても、彼は眼球に指を入れるのが怖いという理由で、いまだに黒縁の分厚いメガネをかけていた。髪をセットするのも面倒くさいので、自分専用のヘアワックスもドライヤーも持っていない。
一度、後ろの席の女子に、首筋に毛玉みたいなのがくっ付いていてキモいと陰口を言われたのがショックで、朝クシだけは通すようになったが、伸びきった癖っ毛が以前テレビの再放送で見た初期の金八先生に出ていた不良の加藤みたいで嫌になり、次第にやらなくなった。
運動部でもないのに唯一筋トレだけはやっていたが、彼の通う高校は水泳の授業がないので、彼の身体がどんなに引き締まっていても、それをみんなに知ってもらうすべはない。
とまあ、外見に無頓着なことは幼馴染の佐野に言わせれば最大の欠点ということになる。しかし、丈太郎をよく知っている写真部員たちにとっては、作品や投稿文の度を越したナルシストぶりと、それを発表している本人のイメージがあまりにも乖離しているせいで、そこにギャップ萌えという現象を引き起こしていた。
彼を知らないフォロワーに至っては、プロフ画像のモノクロ横顔の儚げな雰囲気のせいで、完全に印象操作されている。
佐野曰く「この先真実に直面する可能性ゼロの脳内お花畑なフォロワーたち」は、競い合うようにコメントやDMで歯の浮くような甘い言葉を送ってきた。
それもこれも、丈太郎がやや小洒落たコメント返しをすることが定番になっていたからだ。自分たちも丈太郎の作品の一部として貢献しているような錯覚を起こさせるのだ。
自然とフォロワー間でも一種の信頼関係のようなものが芽生え、丈太郎のアカウントのコメント欄は、それ自体がエンターテインメントになっていた。
だからこそ、気を抜くわけにはいかなかった。
毎日、誠意を持って。ありがとうという気持ちで。一文一文ていねいに。
「え?! 山本さん??」
丈太郎はスマホの通知欄を見て、上ずった声を上げた。前後の小学生が不審者を見るような眼差しを向けているのに気づいたが、配慮するだけの余裕はなかった。
「うそ……まじで? 山本さんが俺をフォロー? やばいやばい。うわぁ……」
丈太郎をフォローしてきた山本さんは、写真強豪H高の三年女子で、フォトコンでは上位入賞の常連だった。高校という枠を取り払った個人的なコミュニティでも活動の幅を広げており、最近ではやや名の売れている小説家の書籍の表紙デビューも果たしている。
そんな「すごい」女子高生フォトグラファーの山本さんに認知されていたということが、丈太郎には信じられなかった。
彼女の投稿には頻繁にコメントを送っていたが、多くのファンのうちの一人としてしか認識されていないと思っていた。胸のドキドキが止まらない。吐き気もしてくる。
「どうしよう……」
天にも舞い上がる心地とはこういうことを言うのか。小学生の順番待ちの列が前進した。丈太郎は心ここにあらずのまま前に進んだ。そのときだった。
ゴンッ!
トイレ内に響き渡るほどの大きな音。
個室トイレのドアが勢いよく開いて、タイミング悪く丈太郎の額を直撃した。
「痛っ……!!」
あまりの衝撃と痛みに目の前が真っ暗になり、立ちくらみがした。個室から出てきたのは兄弟らしき小学生2人組。中で口論をしていたのか、丈太郎にはまったく気づく様子もなく、「兄ちゃんはいっつもずるいんだよ!」「生意気言うな。お前が悪い!」と個室を出てもなお険悪を引きずっていた。
うずくまって動けなくなっている丈太郎を、小学生たちが何事もなかったかのように抜かしてゆく。スマホを見ながら一人で喋っているような不審な男には一切関与しないという強気な姿勢が見て取れた。もう小便どころではなかった。
フラフラしながら写真部仲間のもとに戻ると、「おっせえーよ!」と佐野が悪態をついてきた。
丈太郎は無言のまま佐野の至近距離に立った。
「近いって!」
押しのけられそうになるのを、腕にしがみついて阻止する。
「やばい……」
「なんだよ。うんこもらし? もらしちゃったの? いい年して」
「違う違う……」
「きゃっ! なにそのおでこ」
一年生の女子二人が悲鳴に近い声を上げた。
「先輩、おでこが真っ赤にふくらんでる!」
「え?」
丈太郎は自分の額に触れた。確かに怖くなるくらい輪郭が滑らかじゃない。
「本当だ! おまえ、なに? どこかにぶつけた?」
普段は辛らつな佐野も心配そうに眉をひそめた。
「うん。さっきトイレでちょっと……。いや、それよりも大変なことが──」
「小芝井、そのケガよりも大変なことはないと思うよ!」
部長の片桐に制止され、丈太郎は出かかっていた言葉を飲み込む。
そんなに俺のおでこ、やばいことになってんの? いや、それよりも俺、山本さんにフォローされたんだよ。天下の山本さんに。憧れの女神様に!
丈太郎はそのまま気が遠くなり、芝生の上にへたりこんだ。そのあとのことは記憶が曖昧でよく覚えていない。あとから聞いたところだと、しばらくベンチに横になっていたのだが、自撮りでおでこのふくらみが尋常じゃないことに気づいた瞬間、震えながら口から大量の唾液を垂れ流していたらしい。
片桐部長の判断で、丈太郎は佐野が責任を持って自宅に送り届けることになった。
「一応病院行ったほうがいいんじゃないか?」
丈太郎を部屋のベッドに横たわらせると、佐野は赤からやや紫色に変色してきた丈太郎の大きなたんこぶを指でつついた。
「いや痛いって。無闇にさわんなよ」
「なんか腫れかたが尋常じゃないぞ」
「大丈夫だよこのくらい」
五歳のとき近所の子供たちと鬼ごっこをしていて、アスファルトのくぼみにつまづいて転んだことがあった。そのときも同じ部分を強打したが、なんともなかった。あの時に比べたら今回の衝撃は大したことない。
「にしても、その小学生二人、お前にちゃんと謝ったの?」
佐野は大きなため息をもらしながら言った。
「いや、俺の存在もドアぶつけたこともなにも気づいてないみたいだった」
「そういうときはちゃんと教えてやるんだよ。お前はケガを負わされたんだから」
「だってさぁ、あのときはそれどころじゃなかったんだよ」
「はいはい。H高の山本さんね。良かったな、憧れの人にフォローされて」
「もう、良かったなんてもんじゃないよ。奇跡が起きたよ奇跡。佐野くん、これは俺の日頃の行いが正しかったことの現れだと思わないか?」
「うぜえな……」
佐野は浮かれ始めた丈太郎に辟易するように立ち上がると、とどめとばかりに負傷した額を指の先で叩いた。
「おい! 冗談になってないぞ!」
あまりの痛さに声が裏返る。そして、丈太郎が口にした通り、この佐野の何気ない行為が、冗談では片付かない全ての出来事の引き金となった。
そう。丈太郎が発端だと思っていた迷子の子犬の保護。あれは決して発端ではなかったのだ。だが、どうやってもそれに気づくことは、丈太郎には不可能だった。彼が家で動物を飼っていたり、犬や猫と接触する頻度が高い生活を送っていたというなら話は別だが。
【第3話】
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