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Oculus Dei 神の眼 (創作)

書店が主催して開かれた恋活パーティーの席で、最近読んだ本を元に1分間スピーチを求められ、私はこんな話をした。

「ミラン・クンデラの小説<存在の耐えられない軽さ>には人は誰かに見られていることを求めている動物で<他人の眼差し>がないと生きていけない」と書いてあって、それがどんな<他人の眼差し>を求めているかによって、人を4つのタイプに分けていました。

1番目のタイプは、限りなく大勢の不特定の人々の視線を求めるタイプ。
2番目のタイプは、知人の視線をたくさん求めるタイプ。
3番目のタイプは、自分が好きな、愛している人の眼差しを必要とするタイプ。
4番目のタイプは、そこにいない人々の想像上の眼差しを必要とする人達。

私は多分2番目の知人の視線をたくさん求めるタイプ。でも、恋をするときっと三番目に変わると思います。皆様はどうですか?」

10名の参加者から拍手をやや多めにもらえたような気がした。

自由に話す時間になると参加者の中で一番美しく思えた綾子が薄黄色のワンピースを靡かせて私のところに来た。

「そのワンピース、ハプスブルグ家の黄色ですよね、ウイーンの宮殿の色」
「ワオ思いがけない喩え、素敵です。で、さっきの視線の話、私は2番と4番のミックスかも」
「誰か好きな人だけの視線を求めるタイプに変わる予定は?」
「さあ、どうでしょう?あまり理解されない事情があるの。それでもよければ」

よく分からない答えが返ってきたが連絡先を交換し、次の週末に会う約束を取り付けた。結果私は1週間ソワソワしたまま過ごした。

本町近くのホコ天のカフェで待ち合わせることにした。
その日は白にバラの花柄、しかしけっして派手でなくバランスがいいワンピースから綺麗な脚が伸びていた。綾子は通行人の視線を惹いていた。
「で、この前言っていた変わった趣味って何ですか?」
「今見せるわ。一人暮らしの女はいろいろ不安なの。で、監視カメラをつけたけど、だれに監視してもらうかが問題。そこで見つけたのがこれです」

「Oculus Dei」(神の眼?)

スクロールすると、いろんな部屋が見えた。すべての部屋が綺麗に整頓してあった。中には女性が一人ソファに座っているのや、鏡台の前で化粧をしているように見える動画もあった。

「これって今、他の人の部屋を見ているの?」
「互いに見守っているの」
「覗きじゃないの?」
「覗きじゃないわ。だって自分で自分の部屋にカメラを設置して、ネットに繋ぐだけだから」
「でもこうやって今僕がのぞいてしまっている。それはいいの?」
「それはいいんです。理解してもらうために見せていますから。本当に理解してもらうまでアドレスは教えませんよ」
「怖くないですか、生活が見られることって」

「だってこのサイトに接続して私、部屋の中はいつも綺麗にしておくし、生活もきっちりしないといけないでしょ。切りたいときは切ればいいし、それは自由だけど、私は入れっぱなし」
「彼氏とかきたらどうするつもり」
「まず、その彼氏とやらが変な人だったらどうするの?一人暮らしの女性が自分の部屋で危ない事件に巻き込まれることがかなりあるらしいのよ。でもこうやっておけば、不審な行動があればすぐお互いに通知されるでしょう」
「なんで私にそれを教えてくれたの?安心そうだから?」
「二つ理由があるの。まず、部屋に連れて行っても恥ずかしくない感じだったから。つまり彼氏候補だよ」
「まあ、うれしいね。でもう一つは何」
「視線の話をしたから、こういうことにも理解があるんじゃないかと思ったわけ」
「つまり、私も衆人環視にさらされるということかな」
「そう、それが私と付き合う代償だとするとどうですか?」

全く予想外だった。この視線のあり方はクンデラの提示した4つのパターンのどれに当てはまるのだろうか?
「ところで<Oculus Dei>は宗教なの?」
「宗教法人よ。お互いのことをシスターとかブラザーというし。でも献金というのはなくて月会費だけだから」
「男性も入れるんだ」
「もちろん。お互いの生活を正しく美しくするのが目的だからね」

クンデラが1984年に「存在の耐えられない軽さ」を書いた年には考えられない「他者の視線」だった。なぜならインターネットプロトコルのTCP/IPはこの年にヨーロッパの研究所で実験が始められたのだから。

綾子と付き合うことにした。しかしまだ彼女の部屋にはいかず、外で食事をして、少しずつ馴染んでいった。旅行に誘って最初のセックスはホテルでした。相性は良かったと思った。
「そろそろ私の部屋に来てみない」
「セックスの時はカメラをオフにしてくれるなら」
「もちろんよ。私は露出狂じゃないわ」

綾子の部屋は、インテリア雑誌の表紙のようだった。そこに綾子が座るとそれもかっこいい。
そして、綾子はその時に<Oculus Dei>のサイトを見せてくれた。私も別アングルから写っていた。カメラは複数仕込まれているようだ。
サイトには、次々にコメントが書き込まれていく。
「大丈夫?」「彼氏?できたの?良かったね」「変な人でありませんように」

「安心して、みんな優しく見守っているだけだから」

綾子は真剣な顔つきでコーヒーを入れていた。
「ネットで検索するでしょう? そうするとその情報はほぼ公開されて、次の広告に反映されてしまうのは気づいていますね。<Oculus Dei>には広告はないわ。しかも善意で見ているから、ネットのブラウザーよりも安心よ」

綾子の話が完全に理解できないまま、二人はネット上多くのに見られていた。

「カフェでコーヒーを飲んでいる時に、通行人から見られるのと何が違うんだろう?」
「テラス席にいるのは自分がどれだけ素敵か、見せたい人たちだね。クンデラの区別でいうと一番の多くの不特定多数の眼差しが必要な人々」
「特定多数のシスターやブラザーに見られるのは不特定ではないわ。私はTwitterもInstagramもしないから、1番目ではないような気がするの」
全て納得できたわけではない。綾子の美しさに参っていた私は、なんとかなるだろうという気持ちで、その日は綾子の部屋で監視カメラにさらされることにした。
その日は緊張が続いた。見られているということがはっきりすると、変な気を起こす勇気も無かった。帰り道、道路を歩くと、商店街にも、交差点にもいたるところに監視カメラがあった。自宅のマンションにも監視カメラがあった。

そうか、どうせ監視されていたのだ。もう誰にも見られないことを求めるなら、人里離れないといけない時代だ。
ミラン・クンデラには5番目を追加してはどうか、と提案したい。
それは「カメラの眼差しを必要とする人々」だろう。
<おわり>

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